第4章 許されざる者ども
Chapter 1
「……あっ」
パイが、床に落ちる。
アトリが拾い上げる間もなかった。「待ってました!」とばかりにマックスが飛びついて、がつがつと一気に平らげてしまったからだ。
「……意地汚いですね、マックスは」
「同感だ」とばかりに、クラリスとクラレントがぶるぶる鼻を鳴らす。
「……知りませんよ、今度こそ、敷物にされたって」
我ながら、勿体無いことをしたと思う。まだ、あんまり食べてなかったし。でも、だからって拾って食べる気なんてないけど。
「……そもそも、ここ、
干し草に水、鞍置きに蹄鉄。馬の世話をするのに必要なものは、全部揃っている。
ただし、クラリスとクラレント以外の馬はいない。折角厩があるのにどうしてだろうって思って聞いたら、エメさんいわく「掃除が大変だし、いざ
成程、合点がいった。エメさんは副業でカウガールをやっている。きっと、自分の馬は牧場に預けているのだ。
それはそうと、ここは厩である。アトリはベンチに腰を下ろし、持参した軽食を食べていた。ケサダが持たせてくれた、カボチャのパイだ。
「……今度は、ブッチさんも、一緒だったらなぁ」
ここのところ、アトリは一人で食事をすることが多い。部屋に閉じ籠ってする食事が。
側にいてくれるはずのブッチがいないからというより、アトリが意図的にそうしているからなのだけど。
それもこれも、洒落にならない事に遭遇したお陰だ。
あれは、カマロンの町に来てまだ間もない頃のこと。その頃はまだ、アトリは
慣れてしまえば
ブッチと一緒に食事できないのは心細かったけれど、愚痴を零すことはしなかった。
それぐらいの弁え、アトリにだってある。愚痴なんか零したって、どうにもならないものはどうにもならないのだ。
零せばもしかすれば、なんとかなるかもしれなかった。最近、胸の奥に変なものをなんとなく感じるし、変な物音がやたらと気になるし。多分、神経が過敏になっているだけだろう。完全に【異世界】に慣れきっているってわけじゃないし。
そんな中、事件は起こった。なんとなくぼーっとしながら食事をしていたら、知らない男の人にいきなり手を掴まれたのだ。
「美しいお嬢さん、どうか俺にあなたを崇拝させてください!」
「……はいぃ!?」
そして、突然のことでなにがなんだかで目を白黒させるアトリの手を引っぱってきた。
「……ちょちょちょちょっと、止めて……止めてください、放して!」
かと思ったら、次の瞬間、男は駆けつけたエメさんにぶっ飛ばされていた。
その際エメさんが「昼間っから行きずりの女と洒落こもうなんざ、いいご身分だね!」と怒鳴るのを聞いて、アトリはようやく察したのだった。「心身共にまともな状態でいたいってんだったら、女であることはひた隠せ」という警告は、そういう意味だったのだと。
こんなことがあって、アトリは部屋にしっかりと籠って食事をするようにしていた。
どうしても一人が嫌な時は、クラリスとクラレントがいる厩で食べるようにしている。一人になりたい、一人にしてほしいって思っていても、一人でいたくないってときは。
それが、言い分として完全に矛盾しまくっていることが分かっていようとも。
「…………」
何故だろう、どうしようもなく寂しいのは。
大体、一人でいて寂しかったこと、今まであっただろうか?
一緒にいてくれるだけで、ただ楽しい。寄り添ってもらって、安心感を得ることができる。
他愛のないおしゃべりをしたり、同じテーブルでご飯を食べたりする。
そんなことができる人がいなくても、アトリは今まで一人でなんとかやってこれたはず。
大体、一人でいることが、アトリの当たり前だったはずだ。
それこそ、【あの人】がいなくなってしまってから、ずっとずっと。
でも、この【異世界】ではそうならなかった。出会うことが出来たのだから。側に寄り添ってくれる、一緒にいてくれる、そんな人と。
ブッチ・キャシディ。
元【ワイルドバンチ強盗団】の
今は【不死者】たる存在。
けれども、アトリにとっては普通の人。
元の世界に帰ったら、その人はいなくなる。
また、独りになる。
「……嫌だ」
握りしめた掌の中から、嫌な音が鳴る。縋りつかれたお守りが、軋む。
「……嫌だ、そんなの」
無意識のうちに、アトリの口から言葉が零れ落ちる。
「……嫌だ、そんなの、嫌だよ」
ぎしっ、とお守りが、苦鳴のような軋みを上げた。けれども、アトリが気付くことはない。
元いた世界に戻らなければ、帰った方が、本当はいいはずなのに。他ならぬアトリが、それを望まなきゃいけないはずなのに。
けれども、アトリの口からは拒絶の言葉が、ぼろぼろと零れ落ちていく。
一人で過ごすことのない日常。
誰かとする食事のおいしさ。
自分以外の誰かの手の温もり。
それらが存在していないだけの日常に、戻るだけなのに。
「……なんで、どうして……?」
「一体、なにをなさってきたってんですかっ、
ブッチの姿を見るなり、ケサダは絶叫した。
「どこの馬鹿野郎ですかい!
「落ち着けよ、ケサダ」
「落ち着いてられますか!」
おおよそ十日ぶりに帰ってきたブッチは、到底まともな状態ではなかった。かなり濃密なにおいを纏っていたのだから。
だが、そんなことどうでもいい。
「
「ケサダ、落ち着け。あと、ちぃとばかり黙ってくれや」
「落ち着けやしませんし、黙れやしませんよ! ボリビアの地で死んだのがデマだって知ってホッとしてた矢先なんですぜ。つーか、なにがありゃあ、両手が出来損ないのローストビーフになるってんです!?」
ブッチは、両手に酷い火傷を負っていた。
シリンゴと対峙した際、銃身を直に掴んで引き金を引いた代償だ。
銃弾が射出される際の摩擦熱と、弾倉の隙間から吹き洩れ出る燃焼ガスは高温だ。人間の肉ぐらい、こんがり焼ける。
下手すれば、
けれども、これでもまだマシになってきているのだ。やらかした直後は、それこそ眼も当てられないぐらい惨たらしい状態だったのだから。
だが、今は出来損ないのローストビーフ――火ぶくれまみれ程度でしかない。
なんてことないのだ、文字通り人間としての人生が終わってしまうようなダメージですら。
【不死者】であることを思い知らされる。痛みに耐えることさえ出来れば、どれだけダメージを負おうとも【再生】出来てしまうのだ。
「確かにそうさなぁ。飯も食えねぇ自分の汚ねぇ尻を拭えねぇ、駄目人間になっちまうよなぁ」
「他人事みてぇに言わねぇでくだせぇ!」
「そういや、アトリのヤツはどうしてるってばね?」
ここしばらくの間、おざなりにしてしまっていた少女のことについて尋ねる。何もなければ御の字だったのだが。
「お嬢さんでしたら、厩で飯を食ってると思いますぜ。さっき、パイを持たせましたから」
「はァ!?」
ただ厩に引っ込むだけなのなら、分からないでもない。一緒に旅をするようになってから、クラリスとクラレントの世話は、ほぼアトリがやっているからだ。
だが、どうも違和感を覚える。
「なにか、あったのか?」
「実は……」
すべてを聞いて、ブッチは舌打ちした。そういう馬鹿をやらかす奴はどこにでもいる。
「って、
ブッチは今一度両手を見る。健康で瑞々しい肌に覆われた手に、火ぶくれは一つも見当たらなかった――もう、
「
ひりつく痛みが伝わってこなければ、手に変な違和感があるだけ。
「存在そのモンが無くなっちまおうが、痛みだけは残るってか? なァ……キッド」
「痛むんでしたら、ぶつくさ言ってねぇで薬でもお飲みになっていてくだせぇよ。カロメルかアヘンチンキぐれぇ持ってるでしょうに」
「そうさな」
とりあえずアヘンチンキでも飲んでおくかと、懐に手を突っ込んで――手に触れたのは、S&Wモデル2・アーミー。あの現場から持ち出してきたシリンゴの得物。
「つーか、マジでどうすっかなぁ、コレ」
正直、持て余すしかない。こんな縁起の悪いもの、数多の
「
「いや、ちょっとコイツで思うところがあってな」
「へェ、イイ銃じゃねぇですか」
「やるよ、俺ぁいらねぇし」
「いいんですかい!?」
「成り行きで手に入れただけだ。三挺も持っていたくなんかねぇよ」
元々、ブッチの得物はコルトM1851のみ。S&Wモデル2・スコフィールドの方は、色々あってただ手許に置き続けているだけだ。
現実を正しく見据えた上での判断だ。大体、持てる以上の数の銃を持つのは割に合わなかったりする。
弾薬の消費量と銃の手入れの時間が通常の倍になるっていう面倒は、抱えたくないものだ。いつ何時勃発するかわからない乱闘や銃撃戦に巻き込まれることが約束されている
故に、ブッチは違和感を意識せざるをえなかった。どうも、妙な引っ掛かりがある。
【ピンカートン探偵社】のこともある。けれど、それ以前のなにかを。
「いやぁ、ンなこと言われましても、まさかアタシみてぇな下っ端が、
されど、そんなのケサダは露知らずだ。誕生日に子犬をプレゼントされた少年みたく、大喜びしている。
「どう間違ったって、壁に飾ったりなんてすんな。次の新月の晩あたり、
「そんな遠慮がすぎる言い方なんて止めてくだせぇよ。まるで、この銃が不吉の象徴みたいじゃねぇですか」
「その銃、チャーリー・シリンゴの得物だぜ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます