Chapter 2
得た情報を、ブッチは【異世界】の文字で紙片に記す。
下手な暗号を使うより、ずっと安全だ。万が一見られたとしても、読めやしないのだから。
『【ネットワークにたずさわるもの、テディ、死ぬ】』
「また一人、逝っちまったわけか……」
確かそいつは、元は巡業劇団の下働きだった。友人を虐待し続けていた座長の娘をいさかいの果てに誤って殺してしまい、
「まだ、ガキだったってのによ……」
言葉を吐き捨て、グラスの中身を呷る。度数の高いアルコールが咽喉を焼きつつ流れ、胃の腑に落ちていく。
アトリから教わった【異世界】の言葉で言うところの【ゴゾウロップニシミワタル】。
「つっ!」
多分、これは美味い酒なのだろう。だから、文字通り【ゴゾウロップニシミワタル】で、思わず呻いて腹を押さえてしまう。
「どうした、ブッチ?」
「気にすんな、レイ。ちぃとばかり腹が痛ぇだけだ」
「オイオイオイオイ! 酒盛りの日に腹を下しちまうとは、
「あーははっ、ホントだねー」
「全く、
「って、ベン! それ、俺の酒だろ! ハンクス、なんで止めねぇんだ!」
「…………」
「うるっさいわよ、ローガン。騒ぐんなら極力静かに騒いでよ。アンタ普段からうるっさいんだから」
「ひでぇよ、ローラ!」
「同感じゃ、一理あるわい」
「デカ鼻まで!?」
「お前ら、あんまりローガンをいじめてやるなよ」
「でもさー、ニュース。本人だって、そーゆーことって普通、言われなきゃ分からないんじゃなーい?」
「ミークス、てめぇコノヤロウ! オイ、レイ! 止めてくれるなよ!」
「お前ら、少しは程度を考えろ!」
酒瓶が、次々とあけられる。皿の料理には手が群がって、あっという間に消えていった。
ブッチは、目を細め、笑う。
「ブッチ、あまり傷むようだったら、医者を呼べ」
「これぐらい平気だ」
「お前はいいかもしれない。けれども、俺はよくない」
レイこと、エルジー・レイは言う。
「よくないのは、俺だけじゃない。名高き
言い回しは戯曲家気取りだが、その表情は真剣そのもの。
もっとも、ブッチはレイが真面目な表情を崩したところを見たことないのだが。
レイだけではなかった。いつの間にかそこにいる全員から、ブッチは視線を注がれている。
ローガンこと、ハーヴェイ・ローガンから。
ベンこと、ベン・キルパトリックから。
ハンクスこと、カミーラ・ハンクスから。
ローラこと、ローラ・ブリオンから。
デカ鼻こと、デカ鼻ジョージから。
ニュースこと、ニュース・カーヴァーから。
ミークスこと、ボブ・ミークスから。
「なァよ、レイ」
居心地の悪さを感じて、ブッチは言う。
「キッドの奴ぁ、どこ行ったってんだ?」
レイは、あからさまに嫌な顔をした。
「キッドなら……あそこにいるだろう?」
コルトSAA・アーティラリーの引き金を引くより詩集をめくる方がずっと様になる細い指が、後ろを指差す。
つられて見れば、案の定だった。
「オイ、キッド。お前、まーた独りでお楽しみか?」
「…………」
ブッチの揶揄の言葉を、しかし、キッドはコートに覆われた背で受け止めるだけ。
背を向けているおかげで、面差しを窺うことは出来ない。もっとも、ステットソンハットを目深に被るのはいつものことなのだけど。
だからブッチは、キッドが何を思い考えているか分からなかった。この時だけじゃない。いつだって、どれだけ一緒にいても。
そんなキッドの傍らに添うことが許されたのは、ブッチを除けば情婦として入れ込んでいたエセル・エッタ・プレイスと【エステル】――ガンベルトに収まる絶対の信頼を置いていた得物のコルトM1851だけ。
キッドは、離れたカウンターで一杯やっていた。その場の全てに背を向け――まるで、馴れ合いを好まぬ
実際、キッドは馴れ合いを好まなかった。仕事の時を除けば、基本一人でいた。ブッチ以外の【ワイルドバンチ強盗団】のメンバーと組んでなにかをする――
そんなんだから、キッドは他のメンバーからあまりいい目で見られていなかった。
「長所なんて射撃技巧と紙巻き煙草の巻き方ぐらい」だの「法執行官とは意味は違うが同じ
ブッチが知る限り、キッドは大体こんな男だった。
「なァ、キッド。俺ぁ、時々思わずにゃいられねぇんだよ」
呼び寄せて隣に座らせたキッドのグラスに、ブッチは酒を注いでやった。
「なんつーかよ……今の
「…………」
「気づけば俺たちは居場所を失っちまっていた。ジェシー・ジェイムズ、ビリー・ザ・キッド、ベル・スター……先に逝っちまった数えきれねぇパイオニアたちと同じく、歴史の墓標の下の存在になっちまった」
「…………」
「なァ、キッド」
キッドは答えない。ただ。黙ってブッチの話を聞いている――ただ、それだけ。
当たり前だ。これはただ、ザ・サンダンス・キッドという男がとるであろう行動が、ブッチの前で再現されているだけ。
キッドだけじゃない。ここにいる【ワイルドバンチ強盗団】の面々の行動ですらも。
これは、幻だ。
故に、ブッチは嫌でも自覚せざるをえないのだ。
「そもそも、今更どこにあるってんだ? もうとっくの昔におっ死んじまっている、俺の居場所なんざ。俺ぁもう、とっくの昔に歴史の墓標の下の存在だってんだ。時のうつろいに抗えなかった、歴史の敗者でしかねぇ。けど、もしかすりゃあ、話はそれ以前かもしれねえょ。大体、俺たちに明日なんてあったか? 明日だけじゃねぇ、明日の先の未来、永遠ってモンがあったか? あったからって、約束されてたか? よくよく考えてみりゃあよ、俺たちにゃ最初から明日なんてなかったじゃねぇかってんだ」
文字通り死んで、なにもかも失って、思い知らされた。
「どうにもならねぇ今日を耐えることすら出来なかった、俺の居場所なんざ、今更そんなモンどこにあるってんだよ……なァ、キッド!?」
問わずにはいられなかった。それが、無駄な戯れにすぎないとしても。
ああ、と――思わず嘆息せざるをえない。キッド、外ならぬお前、我が唯一無二の相棒、ザ・サンダンス・キッド。
俺の胸にあるこのどろどろとしたわだかまりに、どうか答えてほしい。明日など
お前の【存在】を
「あるわけなんてないだろう? それぐらい、お前は何故分からない?」
だが、打ち破られる。泡沫の幸せに彩られた幻は、唐突に。
「ブッチ・キャシディ、お前はここで終わりなのだから」
果たして、どちらが早かっただろう。
失態を犯したことにブッチが毒づくのと、声の主が得物のS&Wモデル2・アーミーを抜くのは。
「よりによってお前か、シリンゴ」
「どこまでもお前を追い、軛にかけ、その死を見届けてやる……そう、かつて言ったはずですが? ブッチ」
ブッチは呼ぶ。己を追う、宿命の大敵の名を。かつての追跡者であり、最強最悪の追っ手こと、【ピンカートン探偵社】の探偵、チャーリー・シリンゴの名を。
シリンゴは呼ぶ。己が追う、宿命の大敵の名を。かつての撲滅対象であり、
「久しぶりじゃねぇかってんだ」
「ええ、実に七年ぶりです……お前がボリビアの地で死んだとされ、我々が捜査を打ち切って以来です。もっとも、僕は信じてなんていませんでしたけどね」
「素直に信じていりゃあよかったってのに」
「僕自身の勘と、探偵としての本能に従ったまでですよ。で、結果として」
シリンゴは、撃鉄を起こす。
「お前を、こうして捕捉することが出来た」
「決定づけなどしなさんなよ。軛どころか、手錠すらかけてねぇってのに」
「お前がここで僕に捕らわれるのは、既に決定事項ですよ。けれども、その前に」
「いいぜ。望まぬ再会を祝して、俺の奢りで一杯やろうや。おい、バーテン! コイツにペヨーテ・テキーラをバケツ一杯!」
「折角だが、謹んで辞退しよう」
「残念だな、美味いのに」
「美味い不味い以前の問題だ。
「
シリンゴのライトブラウンの目が、怒りの炎を帯びる。
しかし、それはブッチも同様だ。
一触即発は、時間の問題だった。
「……まぁ、いいでしょう」
だが、先に矛を収めたのはシリンゴだった。
「僕は別に、お前と楽しく口喧嘩をしに来たわけではないのでね」
眉をひそめたブッチに対し、シリンゴは先に帯びた怒りが嘘だったかのよう、淡々と言う。
「外ならぬ、お前の口から答えてほしいことがありましてね」
「嫌なこった」
「僕はまだ、何も言っていませんが?」
「答える義理などないと、答えてやったまでだ。
眼光が、激しくぶつかり合う。
「今一度言う。帰れ、とっとと
「ボリビアの地でのことです」
そんな中、シリンゴの口から放たれた言葉は、ブッチの内面を深々と穿つこととなる。
「お前の他に、一体誰があの場にいたんです?」
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