第3章 バモサマタール、コンパネロス!
Chapter 1
相手の
「……ひっ!」
「キエン・エス」
銃声!
毛布を跳ね飛ばし、アトリは目を覚ます。叫び声を放たなくて、よかった。
肺を絞るようにして息を吐き出し、胸を押さえる。手の平を通じて聞こえてくるのは、どっどっどっどっという、破裂の前兆を訴えかけるような鼓動、心臓の悲鳴。
反射的に、胸元を探った。お守りを、両の手でぎゅっと握りしめる。
「……あれは夢、あれは夢、あれは夢、あれは夢……」
ひやりとした金属の感覚を手に感じていると、次第に落ち着きが戻ってくる。同時に、頭が冴えてくる。
頭を軽く振り、現状を確認。周囲には、闇。アトリは、その中にいる。
しばらくすると、目が慣れてきた。ここ数日、世話になっている宿の一室の様子が、そこに置かれる家具の輪郭が、ぼんやりと見えてくる。
思えば、リアルな夢だった。
ここのところ、アトリはずっとこうだ。眠れないってわけじゃないのだけど、朝まで眠れなくなっていた。毎晩こうして飛び起き、お守りを握りしめて自分で自分を宥めている。
正直、夜は恐怖の対象でしかなかった。アトリが見る夢という夢に、彼の存在――キエン・エスが現れているからだ。
夢の中でキエン・エスは目を爛々と輝かせ、アトリを見据えている。
恐ろしさのあまり身の毛がよだつ。あの狂気に潤んだ
「……そもそも、人間じゃなくて【不死者】ですけれども」
その呟きに対し、「ふーん、ってことはじゃあ、俺もそうだってのか、なぁ?」って茶々がいつもなら入るんだけれども、でも――
「……って、ブッチさん、今いないんでした」
ふと思った。ブッチが帰ってくるのは、一体いつなのだろう?
ここ数日、アトリはブッチとほとんど話をしていなかった。それもこれも、ブッチがアトリの側を離れてしまっているからなのだけれども。
でも、別に仲が悪くなったとか喧嘩しているわけじゃない。お互いの関係は多分良好のはず。
「……でも、せめてどこに行っているのかくらい教えてくれてもいいじゃないですか」
それでも一応、聞いてみたのだ。そうしたらブッチは「【ネットワーク】関連だってばね」とだけしか返してくれなかった。素っ気ない口調で。
「……なんていうか、でも……根っからの悪じゃないんですよね。……
もっとも、かつて【ワイルドバンチ強盗団】から襲撃と強奪を受けた側にしてみれば、ブッチは極悪ド畜生もいいところなのだろうけど。
けれども、アトリにとってブッチは悪ではなかった。右も左も分からないアトリに、寄り添って色々と親身に接してくれた。ただ、偶然出会ってしまったってだけの、見ず知らずの他人でしかないはずなのに。
そうやって、身近に接しているからっていうのもある。けれど、でも――
「……人間、なんですよね」
そうである以前に、ブッチは人間だった。笑いもするし、驚きもする。戯言を言い、冗談を飛ばし、酒を飲んで酔っ払う。
銃を握る手は大きく、触れるとごつごつして硬い。そうであるのは、
アトリにとって、ブッチは一人の普通の人間でしかなかった。ただ、【不死者】であるだけの。
でも、同じ【不死者】でも、キエン・エスは――
「……考えるの、止めよう」
額に手を当てて、嘆息する。考えるのを、強制的に打ち切る。
疑ってしまえばきりがない。ありとあらゆる何もかもが、歪んで見えてしまう。
【あの人】だって、そう言っていたはずだ、多分。
毛布を被り直し、再び横になる。目を閉じて、再び眠りにつこうとする。
「……一人で寝るの、慣れていたつもりなんですけどね」
なかなか訪れてくれない睡魔への恨み言は、びっくりするぐらい弱々しかった。
窓の外はまだまだ真っ暗だ。夜はまだまだ、明けそうにない。
考えすぎかもしれないけれど、アトリの心境を投影しているみたいだ。
結局、夜が明けて、東の空が明るくなっても、睡魔は訪れなかった。
腫れぼったい目を擦りながら、階段を降りる。
階段を降りた先、階下に広がっているのは
二階建ての家屋のうち、一階が
時間が時間だから、お客の姿は見当たらなかった。マホガニーの長いカウンターでの立ち飲みも、テーブルを囲む酔漢も、スイングドアの向こうから内部を覗く目も。
近くのテーブル席に着く。頬杖をついて、薄ら闇の中に沈む
朝までまだ時間がある。そんなしぃんとした中に、アトリは一人。
独りは慣れているはずだった。
かなりの日数が経ってしまっているはずである。なんの因果か、アトリが【異世界】にやって来てしまってから。
多分、元の世界じゃ警察とかマスコミとかが動くぐらい大騒ぎになっているに違いない。
ふと、思う。もし、帰ることができて、周囲から説明を求められたらどうしよう?
「……山手線のホームで電車を待っていたら【異世界】に行ってしまいまして、そこで出会ったブッチ・キャシディっていう【不死者】の
宇宙人か妖怪か地底人に拉致されたところを根性で逃げてきたって言った方が、内容的にまだ信用されそうだった。
正直、まともな発言として受け取られないに違いない。
どうせ、みんなから嗤われるだけだ。嘘なんかついていなくても、誰かから怒られるだけだ。
だけど、甘んじるしかない。
アトリは【あの人】の――あの
「……それより、帰ったら、なにをしましょうかね?」
そう言わずとも、なにをするかなんて決まっている――はずだったのだけれども。
「…………」
全然考えていなかった。そもそも、考えるのなんて忘れていた。
学校に行く。コンビニでお菓子を買う。
撮り溜めしていたアニメを見る。積読していたラノベや漫画を読む。
そしてまた、人目を気にしながら、みんなの目を気にしてひっそり生きればいい。
「……だって、ここは【異世界】なんですよ? ……わたしが本来いるべき世界じゃないんですよ? ……だから、帰った方がいいのに決まって……」
でも、【異世界】にこのままいてもいいかな? っていう気持ちがないわけじゃない。
だってもし、アトリがいなくなってしまったら、ブッチは一人ぼっちになってしまう。
「…………」
多分、そんなことありえない。
アトリが元の世界に帰る頃、その側にはザ・サンダンス・キッドがいてくれるはずだ。
唯一無二の終生の相棒がいれば、アトリは必要なくなる。
元々、ブッチの側にいるべきなのは、ザ・サンダンス・キッドだ。どう間違ったって、【異世界】からやって来てしまっただけのアトリなんかじゃない。
きしっ、と小さな音が胸元で上がる。無意識のうちに、アトリは胸元のお守りを握りしめていた。それは、無意識のうち強く握ってしまったために上がった音だったはず。
苦痛の叫びを上げているみたく、お守りはきしきし鳴る。アトリは、それに気付いていない。
「
旅装の婦人、身なりのよさそうな紳士、家出少年、孫娘を連れた行商の老婆、退役軍人の男。
この場に居合わせた面々は様々だった。しかし、反応は返ってこなかった。そもそも、誰も聞いちゃいない。話を聞く余裕がないのだから。
「おじさん、うるさいよ。おいらたち食べるのに忙しいのに、ぺちゃくちゃほざかないでよ」
「死ね、クソガキ!」
それまで漫談を語っていた興行師の男は、足音荒く出て行った。
当たり前だ。乗合いの駅馬車で出される出来合いのものではなく、レストランで出される温かくて美味い食事を前にすれば、誰だってこうなる。
「まあ、なにはともあれ、皆無事に着くことができました」
そして食事が終わるころ、面々を代表して身なりのいい紳士が切り出す。
「そうは言っても、皆さんとはお別れなんですけど」
「あら、そぉ?」
そう返すのは、旅装の婦人。
「別に、お別れしたところで寂しくなんてありませんわ」
「薄情だなぁ、おねえさん」
口を尖らし、言うのは家出少年。さっき、興行師に憎まれ口を叩いた張本人。
「でも、ここでいいお相手が見つかるといいね。出来れば、アッチの相性もぴったりの」
「あたしの孫ちゃんの前で、そんな下品なこと言わんでおくれ!」
「おばあちゃん、あっちのあいしょうってなに?」
「耳をお塞ぎ、孫ちゃん!」
きーきー喚くのは、行商の老婆。彼女の孫娘は、指をくわえて小首を傾げている。
「相性、相性でありますか……そ、それでよければ、その」
もごもご遠慮がちに呟くのは、退役軍人の男。
「よければですけど、俺、故郷に農場を持っていまして」
「あら、ここのミント・ジュレップおいしいわ。おかわりをもらおうかしら」
「では、僕はボブ・モーゼスコーヒーワインをいただきましょう。少し濃い目で」
「おいらはいらないや」
「孫ちゃんは、おばあちゃんと一緒に山羊さんのミルクを飲もうかねぇ」
「のみたい! やぎさんのミルク、のむ!」
「あ、あのぉ……」
「冗談はやめて頂戴ね」
「おやおや、これは」
「おー、修羅場……にゃならないか、ちぇっ!」
「孫ちゃんの前でンなことやってごらん。あたしのリュックの中には、銃があるんだからね」
「うぇぇ、おばあちゃんがこわいよぅ」
旅を終えた同士の団らんが成立することはなかった。意気投合も以心伝心もしないから当たり前なのだけれど。
「それより、ァアー、疲れたぁ」
そんな中において、一足先にテーブルから離れる者が一人。
「おや、どこへ行かれるので?」
「軒先を借りるんだ。そこで寝るから」
「坊や、宿に泊まらないの?」
「おいら、実はそんなにお金持ってなくてさ」
「なのに家出かい? 呆れた子だねぇ!」
「そうなの? だったら、もとぐんじんのおじさんが、おにいちゃんをのうじょうのあるこきょうにつれていってあげればいいんじゃないの?」
沈黙が降りる。ただし、ほんの数舜だけ。
「なんで? だめなの?」
「孫ちゃんっ! なんてこと言うの!」
「えええええええ!?」
「あはははははは!」
「っぷぷぷぷぷぷ!」
彼らの集う場の空気が、和やかに沸く。
「気持ちは嬉しいけど、おいらにゃ行かなきゃいけない場所があるんだよ」
少年は肩をすくめ、その場を後にした。
レストランを出た少年は、目的地へと向かっていた。自然と歩調が速まる。
早くしないと日が暮れてしまう。その前に仲間と、大事な友達と合流しなければならない。
ズボンのポケットに手を突っ込んで、中身に触れる。指に触れるのは、レストランからくすねてきたパン一切れ。そして、例のモノ。
「豚の骨も持ってくりゃあよかったなぁ」
少年はぼやきつつ、人波に逆らって歩く。頬に当たる風、夕闇と夜陰の狭間のそれは薄ら寂しく、冷たい。
やがて、目的の場所へ到着する。
町外れに建つ廃屋、その一つを覗き込もうとして――
「やぁ、お待ちしていましたよ」
後ろからかけられた声に、ぎくりとなる。
「だ、誰だ!」
「つれないですねぇ、それと、先程の威勢はどこへ?」
思わず振り向いた先に、そいつはいた。
服装は、先程とは大きく異なっている。興行師の衣装から、チャコールグレイのスーツに山高帽子へと。
「事情をお話して、入れ替わらせてもらったんですよ。いやぁ、助かりました! けど、本職の方には大きく劣ってしまいますね。全然ウケませんでしたし」
相手は無防備だった。「それがどうした!」と、腰の得物を抜いて容易に撃ち殺せる、あるいは、脱兎の勢いで逃げ出せる。
どちらであれ、少年にはできたはず。相手が並の追っ手であれば。
「ああ、名乗るのが遅れました。僕はこういう者でして」
相手の身分証明を見せつけられる。
その手に翳されるのは懐中時計、その留めの部分。
金の鎖の先には、盾のチャーム。
刻まれるのは【PINKERTON NATIONAL DETECTIVE AGENCY】という文字。
そして、目を象った紋章――プライベート・アイ。
『
「【ピンカートン探偵社】より派遣されてまいりました、チャーリー・シリンゴです。お見知りおきを、テディ・ポッソ」
瞬間――少年、テディは、まるで全身が内臓になってしまったみたいな感覚にとらわれる。ただ、心臓が大きく脈打っているだけなのに。
「単刀直入に聞きします」
そんなテディなど意に介さず、シリンゴは言う。
「ブッチ・キャシディは、どこです?」
「どこにいるって? ふざけんな、この人殺し!」
なんとか発したそれは、踏み殺されるネズミの断末魔じみていた。
「お前らが、お前らが、殺したようなくせに! お前らのせいで、【ワイルドバンチ強盗団】は、
「悪行に手を染める
「お前が言うんじゃねぇよ! お前らの、お前らのせいで」
「まあ、確かに我々のおかげであなたの居場所はなくなりましたからね。殺人罪で追われていた、あなたの」
「……ッ!」
「些細なトラブルで巡業劇団の座長の娘を殺し、逃亡。官憲と賞金稼ぎから逃げていたところを【ワイルドバンチ強盗団】に拾われ、その一員となった。違いありませんね?」
「あ、あれはっ、あのバカ女が、マックスをいじめていたから……!」
「では、質問を変えましょう。【ワイルドバンチ強盗団】の残党どもがここのところ動き出しているのは、ブッチ・キャシディとなにか関係が?」
「…………」
「そうでなければ、わざわざこんな場所で仲間と落ち合うはずありませんよね?」
「…………」
「その沈黙は、肯定ですか?」
この時点で、既にテディは決定打をかけられていた。
「無駄な足掻きはやめなさい」
そんなテディに向けて、シリンゴは一歩踏み出す。
「あなたはそれ相応のことをしでかしています。ですが、即座に絞首刑台に送られることはないはずです。そのために、我々は、あなたに腕の立つ弁護士を斡旋するつもりでいます、あなたには、弁護士の立ち合いを求める権利がある」
シリンゴは、更に一歩踏み出す。
「だから」
「つまりさ、あんた、こう言いたいんだろ?」
テディは、沈黙を破る。
「内通者になれって、【ワイルドバンチ強盗団】を、
「ざっくばらんに言うと、そういうことです」
「分かったよ。……そういうことだってさ、マックス!」
「なに?」
シリンゴは、足を止める。
生じた隙を、テディは見逃さなかった。
「マックス!」
ズボンのポケットから取り出したそれを、放り投げる。振り返り様、なるべく遠くへ。
「っ!?」
シリンゴの足下を、なにかが凄まじいスピードで駆け抜けていく。テディが放り投げたものへ、一直線に。
「マックス、それを持って走れっ!」
「させるかっ!」
シリンゴは、懐から得物を――S&W モデル2・アーミーを抜き放った。
標的をマックスに定め、引き金を引く。
銃声!
「がぅ、っ!」
「しまったっ!」
だが、放たれた銃弾は、マックスを撃ち抜くことはなかった。
どうっ! と、テディは仰向けに倒れる。
マックスを庇って、テディは撃たれた。
慌てて駆け寄る。目を開いたまま、テディは絶命していた。
その隙に、マックスは託されたものを持ち去ってしまっている。
「くそっ!」
悪態を吐き捨てる。下っ端とはいえ構成員に接触し、ブッチ・キャシディへの距離を縮めかけたつもりが、まんまとしてやられたのだから。
「まさか、構成員にあんなものまで抱えているとは」
しかし、悔しがる時間はどうやらないようだ。騒ぎ声と足音が、どやどや近づいてくる。おそらく、銃声を聞きつけた町の住人たちだろう。わけを説明すれば納得してもらえるだろうが、今はそうするだけの時間ですら惜しい。
指笛を鳴らす。それを合図に、サーベラス――鮮やかな毛並みの黒馬が駆け寄ってくる。シリンゴの愛馬であり、相棒でもある。
「ハッ!」
一息で飛び乗る。馬腹を蹴り、人馬一体となって荒野へ飛び出す。
だから、結局彼らは気付けなかった。追う者と追われる者となることに徹しきっていたから。
彼らがそれまでいた場所、町の外れの廃屋の暗がりに隠れ潜んでいた存在が、目をを開く。
「キエン・エス」
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