Chapter 3


 グラスに注いだ中身を、ブッチは一気に呷る。度数の高いアルコールが喉を焼きながら流れ、胃の腑に落ちていく。


「いや、あれぐらい新大陸フロンティアじゃ普通だってんだよ。むしろ、日常風景っつーかな」

「……うぶぅ」


 ベッドに顔を突っ伏すアトリに、ブッチはほとほと手を焼いていた。


「はっきり言うけどよ、頭抱えてぇのはこっちだよ」

「……ぇうー」

「ァー、もういい加減にしろってんだよ! たかが銃声の一発や二発ぐらいで、そこまでビビるこたぁねぇだろうによ!」


 引き金を引けば、銃声が轟く。それは、新大陸フロンティアの人間たちにとってごく当たり前のこと。

 だが、アトリにとっては当たり前ではない。銃声を聞くなり、悲鳴を上げてしゃがみこんだ。

 おかげで、何事かと向けられる視線の集中砲火に晒される羽目になった。


「どうしてくれるってんだよ、全く。お前のおかげで。俺はかかんでもいい恥をかいたんだよ!」

「……無茶言わないでください」

「別に、無茶もクソもねーわ、このバカタレ!」


 ブッチはそんなアトリを引きずり立たせ、とりあえず目に留まった酒場サルーンに飛び込んだ。バーテンに半ば投げ渡すように金を払ってとった二階の個室に転がり込み――そして、現在に至る。


「……だって、まぢで怖かったんですよ、まぢで。……誰か撃たれたんじゃないかって思ったんですよ、まぢで」

「だからって、お前なァ……」


 後で分ったことなのだが、例の銃声は、誰かに向けられたものではなかった。

 カメリオの町からやや離れた場所で落馬事故が起こり、受け身をとり損ねて腕を折った乗り手が、空へ向けて引き金を引いただけ。謂わば、即席の救難信号が打ち上げられただけだった。

 けれども、アトリにしてみれば銃声が轟いている時点で、何かあったとしか思えない。


「……だって、だってですよ? ……真っ当な日本人っていうのはですね、銃声なんて一度も聞くことなく生涯を終えるのが当たり前なんですってば!」

「どういう当たり前だってんだよ、ソイツぁ!?」

「……多分、日本に限定されますけど、元の世界じゃそうだったんですよ!」

「コヨーテとかピューマに襲われたら、ひとたまりもねぇぞ!?」

「……どっちも日本に生息していませんって」

「熊の場合はどうすんだってばよ!?」

「……新聞を見る限り、出没するのは東北地方とか北海道の山間ぐらいです」

「ガラガラヘビは!?」

「……蛇はいますけれど、ハブはともかく、アオダイショウとかヤマカガシみたいに大人しいのばっかりしかいませんよ。……大体、ガラガラヘビなんていたら、警察沙汰になりますって」

「じゃあ、バッファローは!? ワニは!? スカンクは!? チュパカブラは!?」

「……いませんって。……いるにしたって動物園ですよ」

「なんだとっ、ニホンにはチュパカブラがいるのかっ、マジかっ!?」

「……いるわけないでしょう! ……いてたまりますかっ、あんなもの、現実に!!」


 アトリはブッチを睨んだ。


「……ブッチさん、あなた、日本人をなんだと思って」

「お前を見て話しを聞く限り、珍人ちんじん珍人ちんじんによる珍人ちんじんのための国家だと」

「……なんですか、珍人ちんじんって!?」

「俺が生まれる前に死んだっつー、どっかの偉い髭の政治家の諸玉の演説の一端だ」

「……ってか、諸玉の演説の一端が珍人ちんじんがどうのこうのって」

「ちなみに、女の……それもお前くらいのガキんちょの口から珍人ちんじん珍人ちんじんって連呼されると、卑猥っつーかなんつーか。あ、もしかしてこれが「萌え!」とやらなのか?」


 その一言で、アトリの中で、ぶぢんっ! と何かが切れた。


「うわぁぁぁああん! もぉ嫌ぁぁぁぁなんなのこの人この世界ぃぃぃぃぃぃぃ!!」






 カメリオの町へ来て、早数日。その間、アトリはアクシデントを起こしまくった。

 アトリにとって新大陸フロンティアは文字通り【異世界】だ。その【異世界】はアトリにとって未知の慣習と考え方、異文化によって構成されている。

 だから当然かもしれないけれど、受けっぱなしだった。カルチャーショックってやつを。

 ダイナマイトが普通に売られているのを見て「うわぁ!?」、人殺しより窃盗の方が重罪と知って「ぎゃあ!?」、絞首台で子供が遊んでいるのを見て「ぎにゃあ!?」ってなった。

 けれども、これら以上にアトリがギョッとせざるをえないことがあった。


「……冗談抜きに銃社会じゃないですか。……寧ろ、武器天国というべきか」


 この【異世界】の人間たちは、平気で武器を所持する。

 漫画やラノベでいうところの、クライムアクションやピカレスクアクションの悪徳の町とか犯罪都市を闊歩していそうな悪党ではなく、真っ当な生活を送っている一般人がだ。


「……セルジオ・コルブッチが描く世界観がまともに見えてくるのは何故? ……ここは、名無しの男がやって来なかったサン・ミゲル? ……それとも、三船敏郎がいない馬目宿まのめじゅく?」


 はっきり言って、心臓に悪かった。

 背後からコルトSAAで突然撃たれるのではないか、擦れ違い様にナイフで刺されるのではないか、いつ勃発するか分からない賞金稼ぎVS無法者アウトローの銃撃戦に巻き込まれるのではないか――とにかく、毎日気が気じゃなかった。

 ブッチが用心棒として側にいてくれなければ、精神がまいっていたと思う。







「とりあえず、雇われている身で、報酬もらっときながらこんなこと言うのもアレだけどよ」


 ベッドで膝を抱えるアトリを、ブッチは立ったまま見据えた。完全に、説教を垂れる姿勢だ。

【ワイルドバンチ強盗団】の首魁ボスとして数多くの人間と、しかも、その大幅を占めていたのが無法者アウトローであったおかげで、ブッチは一癖も二癖もある連中と渡り合ってきた。

 それこそ様々な連中、それこそ扱いやすい単純な者から魑魅魍魎キワモノまで、話術の手管を駆使し、ハッタリをきかせ、色々と。


「ここがお前にとって未知なる世界だってことは、俺にも分かるってんだよ。けど、それを分かってるのは、そういう事情を知ってるのは、俺のみに限定されていてだな」

「…………」

「とりあえず、俺が言いたいのはな……ちったぁ折り合いぐらいつけやがれってんだ。お前が元いた世界との。聞いてるか?」


 そういう連中の内に、女がいなかったわけじゃないけど、少女はいなかったはずである。それも、住む世界自体が異なっているという経緯を持った。


「……聞いてますけど」


 答える声は、砂塵に晒され続けた雑草みたくしおれていた。知識と文字を教授することを任せてくれと言った時の覇気など、とっくの昔にしぼんでしまっている。


「……聞いてますけど」

「あのなァ! お前、いい加減に」


 しろ! とは続かなかった。ぐすぐすと鼻をすする音が耳に飛び込んできたのならば、尚のこと。


「とにかく、あれだ。背伸びすんの、止めたらどうだ? お前、気張りすぎていやしねぇか?」

「…………」

「折り合いを付けろとは言ったぜ。けどな、無理強いした憶えはねぇよ」

「…………」

「帰るんだろ? 手段を見つけて、元の世界に、自分の家に」

「…………」

「だからなァ!」


 アトリの見事なまでの無反応ぶりに苛立ちが募り、思わず激昂しそうになる。

 だから、ブッチは行動に出た。


「おい、アトリ」

「…………」

「アトリ、手ぇ出せって」






 無言のまま、アトリはおずおずと手を差し出す。

 なにかが、手の平に触れた。


「……!?」


 ひんやりした感触に、身体が跳ねた。思わず落としかけてしまうが、それは回避される。


「……ブ、ブッチさん!?」

「落とすなってんだ、気ぃ付けろ」


 弾かれたように頭を上げたアトリが目にしたのは、差し出した自分の手を覆うように握っているブッチの両手。


「落とすなよ、放すぞ」


 アトリが反応するより早く、ブッチはそっと手を放す。

 手に乗せられたものを目にして、アトリは「あっ!」と短く叫んだ。


「大事に持っておけ……悪いまじない除けの、お守りだ」


 アトリはそれを、まじまじ眺める。見覚えがある。さっきまでブッチの胸元にあった、年代物の懐中時計だ。


「いや、ンな驚かんでもいいだろうが」


 目をぱちくりさせて驚くアトリに、ブッチは苦笑していた。


「泣く子も黙る【ワイルドバンチ強盗団】の首魁ボスがこれかよ……やっぱ、堕ちぶれちまったンだな、俺ってば」













「やはり、生きていたか……」


 はなから、「アップルヤードさん」は信じていなかった。

 そもそも、騎兵隊に囲まれた程度でくたばるようなタマではない。


「この僕から逃げられると思うなよ……ブッチ・キャシディ」


「アップルヤードさん」はその名を呟く。

 それは、「アップルヤードさん」である彼の、己が宿命の大敵の名。

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