Chapter 4
「……てっきり、わたしはそういうのってフィクションだと思っていましたけれど、でも、実際あり得てしまうんですね」
「…………」
「……【異世界】には、よくありがちだっていう剣と魔法はないんですよね……ドラゴンもエルフもいない」
「…………」
「いるのは、銃と、あと、ブッチ・キャシディっていう人で」
「…………」
「……そして、わたしこと浅倉アトリは、そんなブッチ・キャシディだっていう人に」
「おい……」
「……大事なものを、無理矢理奪われてしまって……」
「だああああっ、もう、いい加減にしろってんだよ! あのなァ、ってか【異世界人】、頼むから聞かれた変な誤解を受けかないようなことを吐き散らすの止めてくれねぇ? マジで」
「……アトリです」
だが、アトリは食い下がる。「ブッチさん」に対して。
「……ブッチさん、あの後奪ったじゃないですか。……わたしの大事なものを無理矢理」
ここで言う大事なものっていうのは、アトリの私物が詰まったリュックサックのことだ。
しかし、「ブッチさん」にしてみればわけのわからない原理とスペックで動く得体の知れないものが詰まった、危険物でしかない。
なので安全のため――そう、あくまで安全のために「ブッチさん」によって金庫に軟禁されてしまっているのだ。
ちなみにその金庫は、アトリが座席代わりに腰を下ろしていたりするのだが。
「……けれどですね、元はといえばブッチさんが」
「とりあえず黙れ、ってか、お黙りやがれ」
「……むぅ、ですけれど、ブッチさん」
「お黙りやがれってんだ。紳士で温厚な俺でも、キレるときはキレんだぞ」
ドスをきかせた声でそんな事を言われたら、黙るしかなかった。それ以前の話、その例えは間違いなのだけど。
「…………」
「分かりゃいいんだよ」
「ブッチさん」の腰には、銃がある。もしも、「ブッチさん」が引き金を引けば、銃弾はアトリを撃ち抜くことになるだろう。
そう言う「ブッチさん」は、強盗団の親玉みたく様になっていた。流石だ。
それもそのはず。「ブッチさん」の本業は、強盗だ。元、だけれども。
強盗みたくではなく、正真正銘のプロの強盗だ。もう、とっくの昔に引退しているとはいえ。
「ブッチさん」こと、ブッチ・キャシディ――かの【ワイルドバンチ強盗団】の名声と悪名を広めた、伝説の
己が名を旗印に【ワイルドバンチ強盗団】を組織し、
バイタリティあふれる戦力と巧妙な作戦を用い、
数多くの銀行や列車に襲撃を仕掛け、
鮮やかな手口で大金を奪い、
荒野や山脈を縦横無尽に駆け回り、
数多くの保安官や自警団といった法執行官、
それどころか、最強最悪の追っ手として放たれた【ピンカートン探偵社】の追跡までも振り切って、
一度も捕まることなく逃げ果せたという、
とはいえ、それはアトリが元いた世界では遠い過去の話である。
だけどもし、そうでなければ、ここがアトリが現実と認識するのとは異なる現実によって成り立つ世界、アニメやラノベでいうところの【異世界】であれば?
「……信じたくない気持ちは山々なんですけどね」
もし、これが夢だったらどれだけよかっただろう。
「……ちょっとそこまで行こうとしたら【異世界】に行ってしまった女の子なんて、普通いませんよ」
例えばの話――
地図に載っていない孤島には、財宝を守るドラゴンが潜んでいるかもしれない。
南国の海の底には、人魚たちが暮らす貝のお城があるかもしれない。
ブロッケン山では、今でも魔女たちがヴァルプルギスの夜を行っているかもしれない。
かげろうみたいに繊細で美しいエルフ、髭もじゃで大酒飲みのドワーフ、闇の中を孤独に生きるヴァンパイア。
彼らはもしかすれば、アトリが元いた世界にも存在していたかもしれない――きっと、人間なんかと仲良くする気がなかっただけで。
けれどもこの【異世界】は、そんなものが存在するよりずっとファンタジーだった。
それが発覚したのは、三日前。
正直、否定したかった。けれども、これは紛れもなく現実なのだ。
「……ええっと、ブッチ・キャシディ……って!?」
「手を上げろ!」って脅されたわけではないけれど、銃を真正面から突きつけられて、アトリは反射的に両手を上げていた。
「……え、だってさっき、ご自身のお名前はザ・サンダンス・キッドだって……」
「嘘に決まってんだろうが」
正直、相手が嘘をついていたことは最初から分かっていた。
「……ザ・サンダンス・キッドだって名乗った人は実はザ・サンダンス・キッドじゃなくて、実はザ・サンダンス・キッドの名を騙っていた偽者で……その偽者の正体っていうのは、実はブッチ・キャシディで……って、えぇ!?」
カチンッ! と、銃が鳴る。
ザ・サンダンス・キッド――じゃなくて、ブッチ・キャシディが、構える銃の上に出た出っ張り、撃鉄に親指をかけて起こしていた。いつでも撃てるという意思表示だろう。
銃を扱う所作は、手慣れたものだった。それこそ、生まれてこのかた全く馴染みないはずのアトリが見て分かるぐらい。銃を突きつけて脅す所作だって、様になっているし。
でも、そういうことをソツなくこなせるって、人間としてどうなんだろう?
「ンなこたぁ、どうでもいいンだよ。質問に答えろ」
「……えっと、じゃあ、わたしが知っていることなら、言える限り言います……だから、その」
「なんだ?」
「……撃たないで、ほしいなって」
了承の証だろう。銃が下ろされる。
とりあえず人心地ついて、ほっと一息吐く。腕を下ろす。
その際、ふと、気づく。
もしかして、これってコルトM1851?
はっきり言って、ミリオタとかガンマニアしか知らないような銃だ。
ぶっちゃけ、クラシカルにもほどがある。だって、コルトM1851は日本の歴史でいうところ、明治時代の以前の銃だし。
確か、時の徳川幕府の大老、井伊直弼が暗殺された桜田門外の変で使用されたのって、この銃だったはず。
けれども、よく考えたらブッチがこの銃を持っていたのは当たり前のことだった。
だって、ここはそういう銃を持つのが普通の世界だったのだから。
「……えっと、じゃあ、ブッチ・キャシディだから、ブッチさんって呼びますけれど」
「ああ、いいぜ、構わねぇよ」
「……わたしが知っている限り、ザ・サンダンス・キッドは……いえ、ザ・サンダンス・キッドだけじゃなくて、ブッチ・キャシディも、今はもうすごい過去の人のはず、なんですけど」
「……生存説、二人とも南米のボリビアで最期を遂げることなく生き延びていた説がないわけじゃないんですけど」
「ブッチ・キャディとザ・サンダンス・キッドがくたばったとされるのは、南米にあるというボリビアである……と」
「……二人が死んだことになっているのは、アメリカ西部開拓時代が終わった十八年後の一九〇八年……日本でいうところの明治四十一年で」
「ブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドはアメリカ大陸を植民地にした西部開拓時代と呼ばれる時代の人間である……と」
「……けれど、もし仮にそうであっても、二人が生きていた時代から今日まで、ざっと一世紀は経過しています。……だから、いくら頑張って生きたところで一〇〇歳は軽く越えていますし、失礼を承知で言いますけれど、その……生きていること自体に無理があるのですが……」
「ブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドがくたばったのは、ざっと一世紀前である……と」
「……ざっと、こんなところです」
「成程、ブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドが今生きていることは、普通に考えてありえねぇ……か?」
「……そういうことになりますね」
「けどよ、言い方を変えりゃあ、その二人が生きていたっつーことは確かだってんだよな?」
「……はい?」
「はい? じゃねぇよ。二人とも、もうおっ死んでいるって言ったのは、お前だろうが」
「……えぇ、まぁ」
「にも、関わらず、だぞ」
瞬間、ブッチの目が、鋭利な輝きを帯びる。
「問題なのは、何故、お前がそれを知っているかってことなんだよ!」
「……それって、どういう」
「俺はともかく、ザ・サンダンス・キッド……キッドのことだ! 【不死者】の代償を知らねぇわけじゃないだろ、キッドのことを
ブッチの声には、血を吐くような苦痛があった。
でも、アトリは困惑するしかない。
「【不死者】?」
分からない言葉を前に、首を傾げた。
「……あの、ブッチさん。……【不死者】とは、なんですか?」
「【不死者】は【不死者】だ。それ以外になにがあるってんだ」
「……分からないです」
「分からない……だと? てめぇ、まだシラを切るつもりだってのか、ァあ?」
「……シラを切るもなにも、わたしは本当になにも分からなくて……知らなくて……」
「分からない? おまけに知らない……だと? 知らないって、お前……お前なァ!」
「……ひっ!」
「なにも知らないって言うんだったら、なんで……どうしてお前は、アイツの……ザ・サンダンス・キッドのことをちゃんと知っている、知っておいてくれているってんだ?」
「……?」
当然だけど、アトリは分からなかった。それだけじゃない、納得することだって。ブッチが言うこと、全部。
故に、違和感を覚えざるをえない。いや、違和感があることは最初から分かっていた。だから、覚えざるをえないのは、違和感があることへの違和感とでもいうべきだろうか。
じゃあ、そんな違和感への違和感って、一体。
「なぁ、お前、大丈夫か? 今、なんか目ぇイッてたぞ?」
「……大丈夫です、多分……ですけど」
大丈夫なわけない。
気がついたら明らかに日本じゃない場所にいて、そこで出会ったのは自称ザ・サンダンス・キッドで、銃で頭を撃ち抜いたと思ったら熱くない炎をぼーぼー出す【不死者】で、その実態は、かの【ワイルドバンチ強盗団】の
そのブッチ・キャシディが言うに自分の相棒であるザ・サンダンス・キッドの存在がありえないことになっているらしくて。
いや、ありえないなんてことないだろう。知名度はマイナーであっても、一応、実在の人物だし。
「……変、だ……なんか、変だ」
それだけは分かっている。だけど、なにが変なのかが分からない。
「……それとも、わたしは、そもそもなにも分かっていないだけ……だとか?」
それもこれも、なにもかも全てがアトリが知るものとは別物ばかりのせいかもしれない。ブッチとの会話だって、実際きちんと成立しているように思えないし。
どんな時だって、きちんと自分を取り巻く状況を知っておくべき。ただそれだけなのに、アトリを取り巻く状況は途方もなく恐ろしい。
だからって、いつまでもこうして戸惑っているわけにいかなかった。
意を決し、アトリは決定的な問いを口にする。
「……あの、すみません……今、何年の何月か、わかりますか?」
流石に、これだけは間違っていないだろう。
多少は時差があるだろうけど、アトリの記憶が正しいなら、今は二〇××年の十月のはず。
しかし、返された言葉は、アトリが無意識のうちに願っていた「きっと大丈夫、なんとかなる」っていう一縷の希望を打ち砕く決定打となる。
「
十月だというのは、合っていた。十月だという、ことだけは。
「……キンウレキ? なに、それ……」
無意識に発した声は、震えていた。
「……それに、一九一五年? 今、西暦二〇××年じゃ……」
瞬間、アトリの身体に走る神経系が、一気に凍り付く。
故に、アトリは、恐怖に
この状況を、正しく理解してしまったために。
「……ぅあ、あああ!?」
「オイ!?」
「……ぁあぁあ、ああ、ああああ!!」
アトリは頭を押さえて、絶叫を放っていた。
ここは日本じゃなかった。それどころか、アトリがそれまで生きていた現実ですらない。
現実とは異なる世界。俗に言う【異世界】。
「いくらなんでも、こんなの……こんなの……! あんまりだぁあぁあああああ!!」
喉よ張り裂けよとばかりに、声帯を滅茶苦茶に震わせて。ただただ、絶叫し続けた。
そうしなければ、アトリは間違いなく壊れてしまっていただろう。
ありえない現象の真っ只中、たった一人、迷い込んでしまったこの現状に耐え切れずに。
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