Chapter 5


「……ええっと、遅くなりましたけど、わたしは浅倉アトリっていいます」

「…………」

「……二十一世紀の日本の人間で、ちなみに歳は十五歳で」

「…………」

「……えーっとですね、驚かないで聞いてほしいんですけれどね……わたし、おそらくこの世界じゃなくて、別の世界から来てしまったようでして」

「…………」

「……ブッチさんからすれば【異世界】ってことになるかもしれないんですけれどね」

「…………」

「……にわかには信じがたい話です、けれど……でも、歴とした事実でして」

「言いてぇことはそれだけか?」


 案の定、思いっきりジト目で見られていた。かわいそうな子を見る目だった。

 でも、もし立場が逆なら、アトリだってこんな態度に出ていたはず。


「……そもそも、どうしてこんなことになったのやらですよ」


 とりあえず、思い出してみよう。こんなこと、もとい【異世界】に来てしまったことを。


「……あってたまりますか」


 当たり前だけれど、あるわけなんてなかった。アニメやラノベのネタにありがちな、暴走トラックにはねられてみたいなことなんて。


「つーか、よ……そもそも、ここと違う世界ってのは、どういうことだ? 俺にゃ、さっぱり分からんのだが」

「……いや、そのままの意味でして」

「別の大陸とか国だとかだったら分かるんだけどよ……それともアレか? 俺みてぇな、こんな泥臭ぇ庶民とはご無縁であらせられるような、お雅でお綺麗な世界だってでもいうのか?」

「……そういう意味じゃないですってば! ……本当に、もう、全く違う世界なんです。……それこそ、歴史とか文明とか時空とか!」


 駄目だ、納得してもらえそうにない。そもそも、うまく説明出来そうにない。


「……うぬぅ、どう説明すれば信じてもらえるのやら」

「いや、普通、信じんわ」

「……ですよね、ハイ」

「普通、だったらな」

「……はい?」


 なにか含みを持たせる言い方をするブッチを、アトリは怪訝な眼差しで見てしまう。


「……えっと、それって、どういう……!?」

「いやなに、俺は信じてやってもいいと言ってやっているんだが?」

「……はいぃ!?」

「ンな驚くこたぁねぇだろうによ」

「……いや、だって、だってですね……まさか、信じてもらえるとは」

「嘘じゃねぇんだろ?」

「……嘘なんてついていません、けど……どうして、信じてくれるんですか?」


 アトリの言葉に、ブッチの目が揺れる。けれども、それは僅かな間のことで。


「ガキの口からあんな悲鳴を聞いて、俺がなんとも思わないとでも? それに」

「……それに?」

「お前が、信じてくれていたからだ」

「……はい?」

「アイツらみたいにいなくなっちまったんじゃなくて、【存在】自体がないものにされちまったキッド……ザ・サンダンス・キッドを」


 ブッチの口調は軽い。しかし、その言葉の内容は重たかった。


「そのベッド使っていいから、今日はもう休んどけ。少しは気を落ち着かせねぇと、ハゲるぞ」

「……あの、ブッチさん」

「なんだ?」

「……その、なんか、色々すみません」

「謝らんでいいって。ゆっくり休みな。話だったら、落ち着いた時にでもしてくれりゃあいい」


 最後にそれだけ言って、ブッチは部屋から出て行った。


「……もしかして、慰めてくれたのですかね?」


 いつの間にか、炎は消え去っていた。













「なんつーかよ」


 そして、現実におけるアトリは、ぎしかたぎしかたと揺れながら進む、幌馬車の上の人だ。


「つくづく思わざるをえねぇんだけどよ、お前が元いた世界……こことは異なるっつー世界? 【異世界】? すげぇ文明発達してんのな、俺がいるっつーこの世界とはまた別の知識で」

「……えぇ、そうですね。……あと、わたしはアトリです」

「その別の知識で色んなモンが出来上がっていて……ほら、あの【スマホ】ってやつみたいなの、あんなのが普通の雑貨屋みたいな所で売ってんだろ? それも、安価で。燃料切れで駄目になんなきゃ、仕事シゴトとか仕事シゴトとか仕事シゴトかでさ、上手く使えそうだってのになぁ……俺なら」

「……あげませんよ」

「なんだよ、ケチ!」

「……それよりいいんですか? ……かの悪名名高き【ワイルドバンチ強盗団】の首魁ボスだった人が、こんなわけのわからない世界の知識にほだされちゃうなんて」

「人間である以前の問題だっての。今の俺は【不死者】だって、何度も言ってンだろうが」


 ブッチは言う。おそらく、これまで何度も何度も繰り返し言ってきたであろうことを。


「……【不死者】という、【不】という否定の言葉で【死】を打ち消した【者】という言葉が表す意味の通り……本当に「死なない」んですよね?」


 そうじゃなきゃ、銃で自分の頭を吹っ飛ばしてほぼ即座に元通りになる真似なんて出来るわけがないし、説明だってつかない。

 ハリウッド映画仕込みのVFXか特殊メイクでも使えば、もしかすれば可能なのかもしれない。あれらはあくまでも映像世界においての表現法。現実じゃない。


「ところで、【異世界人】」

「……アトリです。……ってか、異世界人ってなんなんですか?」

「【異世界】の人間だからそう呼んでんだよ」

「……まあ、そうですけれど。……でもですね、そもそもわたしには浅倉アトリっていう、親からもらった名前がありまして」

「アサクラアトリって呼ぶよりも、【異世界人】の方が呼びやすいんだよ」

「……アトリです。……それと、浅倉は苗字で、アトリが名前です。……苗字の浅倉は、浅草花やしきの【浅】に、往年のいぶし銀俳優こと高倉健さんの【倉】と書いて浅倉で、名前は普通にカタカナでアトリです」


 アトリは、ポケットからメモ帳とボールペンを取り出して、【浅倉アトリ】と書いて見せた。

 ブッチは、軽く目をみはる。


「……どうしました?」

「【異世界人】とこの世界文化、カオスだわな~」

「……アトリですって。……そう言われると確かにそうですね。……日本って、普段から文字が飽和していますし」

「つーか、お前の話を聞く限り【ニホン】っていくつもの言語を掛け合わせて使うっていうじゃん。それって、なんか意味あんの?」


 いくつもの言語というのは、ひらがな・カタカナ・漢字のことだろう。

 ちなみに、この世界で主に使われている言語は、見せてもらった文字を見る限りアルファべットだったので、多分英語。

 だけど、ブッチによればそれらは英語じゃなくて【バベルヘイム・オリジン】なるものだとか。


「……そもそも、英語を創ったイギリス自体、この世界には存在していないんでしたっけ」


 それどころか、話を聞く限り、アメリカとかロシアとか中国といった国も存在していないらしい。


「……世界に名だたる列強大国が軒並み存在していないっていうんだったら、日本が存在していないって言われても納得できるかもですね。流石【異世界】……恐るべし!」






 正直、ブッチは【異世界】があろうがなかろうがどうでもいい。

 ぶっちゃけ、【不死者】が存在しているなら【異世界】があったっておかしくないのだ。

 だが、その【異世界】の人間ことアサクラアトリから話を聞く限り、【異世界】の存在はブッチの想像を遥かに超えたものだった。


 空を突き抜けた果てに浮かぶ月まで飛ぶ巨大な鋼鉄の筒。

 遥か遠くの大陸にある光景を映すことができる板。

 欲しい情報を欲しい時に好きなだけ言葉一つで電気の大河からサルベージできる技術。

 それに、【異世界人】アサクラアトリの恰好は、へんてこりんもいいところだ。

 新雪のように真っ白で美しいふわふわの、謎の獣の毛皮が襟周りを飾るジャケット。

 タイを巻いていない、襟のデザインがやけに鋭利な白いシャツ。

 インディゴ染めの青ではなく、インクで染めたみたいに真っ黒なジーンズ。

 革足袋モカシンに見えなくもないのだが、鹿革ではなく硬い布で作られ、複雑に噛み合う紐がフリンジやビーズの代わりにあしらわれた靴。

 ガラガラヘビの鱗やアライグマの毛皮ではなく、つるつるとしたカラフルな丸い板の装飾を施した、手品師ぐらいしか被らないようなシルクハットもどき。

 とにかく全部、【異世界】はブッチが知る限りの常識からかけ離れすぎている。

 アサクラアトリが語った話に登場する、宇宙ロケットもテレビもインターネットも、当たり前のものとして身に纏っている、フェイクファーが付いたジャケットも、カッターシャツも、ブラックジーンズも、スニーカーも、缶バッヂで飾られたおしゃれ帽子も。


「もし、こいつが持つ【異世界】の知識をうまいこと手にすることが出来れば……!」













「で、これからお前、どうするつもりだ?」

「……どうするつもりだって、言われましても」


 停めた馬車の側、おこした焚火を囲んで、ブッチとアトリは食事を摂っていた。

 献立は、乾パンとベーコンという、至ってシンプルなもの。

 正直おいしくない。乾パンは堅くて味気ないし、猛烈に塩がきいたベーコンはただしょっぱいだけ。

 それらをブラックコーヒーをがぶ飲みして、腹に押し込む。


「……正直、分からないです」

「だろうな」


 スマホは圏外、日本円は使えないだろうし、電子マネーは読み取る機械がなければただのプラスチックのカード。文明の利器らは、ただの物体と化している。

 なにせ、ここは【異世界】だ。アトリが持つ常識が一切通用しないと考えたっておかしくない。そんな中に、今、アトリはただ一人。


「……どうしよう」


 頭を抱えたところで、いい考えが浮かぶわけでもない。完全に打つ手なしだ。


「いや、もしかすりゃあ、なんとかなるかもしれねぇぜ」

「……え?」


 表情を曇らせて目を伏せかけたアトリだったが、ブッチのその一言に目をぱちくりさせる。


「要は、帰る方法を見つけりゃいいってんだろう?」

「……そう、ですけど」

「けどよ、その前に一つだけでけぇ問題がある。ソイツがなんだか、分かるか?」

「……?」

「まさかお前、今のままで新大陸フロンティアでマトモに生きていけるって、思っていねぇよな?」

「……そりゃあ、思っていません、けど」


 多分、今まで幸運だっただけだ。もし、ブッチと出会わなければ荒野で行き倒れてそのままになっていただろうし。


「それにお前、そんなナリじゃかなり目立つぜ」

「……そう、なんですか?」

新大陸フロンティアじゃ、事情はどうあれ女ってのはみんな髪を伸ばすモンなんだ。そんな無残な状態にして晒すなんざ、普通じゃ考えられねぇよ」


 アトリは、自分の髪――あんまり長いと結ったりするのが面倒だと思ってショート程度の長さにしていたそれを、少しだけつまんだ。

【異世界】に来てしまってから、アトリはまだブッチとだけしか出会っていなかった。

 男性はともかく女性の恰好は、文化圏や人種によってかなり異なるものだ。宗教によっては、少し間違えるだけで「下品」っていうレッテルが貼られるっていうし。


「……まあ、確かにそうですね。……長い髪は、女性であることの証だって言いますし」

「それだけじゃねぇよ。新大陸フロンティアは、男性優位主義マチスモだ。女が男と同等の労役に就くことが許されても、同等に扱われることはまずねぇって思っとけ」

「……つまり、女性は男性よりも格下の存在である! ってことですか」

「いや、なんつーか……そうじゃなくてな……」


 ブッチは目を逸らして言葉を濁す。ちなみに、この疑問は後にかなり面倒な形で解消されることになるのだが。


「まー、とにかく、新大陸フロンティアで【異世界】の常識が通じるって思わねぇことだ」

「……はい」

「だから、俺から一つ提案がある」

「……はい」

「俺を雇え」


 一瞬、何を言われたのか、分からなかった。


「……ブッチさん、今……なんとおっしゃいましたか?」

「俺を雇え、と言ったんだが」

「……なるほど、分かりました。……って、はぃぃぃい!?」


 我知らず、アトリは叫んでいた。


「なっ! にっ! をっ! いっ! てっ!」

「いや、そのまんまの意味でな」

「……って、そーいうことじゃないですってですね! ……ってか、ブッチさん! あなたっ、ご自身がなにをおっしゃっているのかっ、お分かりになっていますでしょうかっ!?」

「俺はマジで言ったんだが。まぁ、とりあえず落ち着け」

「……って、そんなのマジいくらなんでもありえないことですって! ……いや、マジでそうなんですって! ……例えるなら、フランコ・ネロからガンアクションの指南を受けるとか、セルジオ・レオーネからあの伝説的な演出スタイルを伝授されるとか、スティーブ・マックイーンからスクリーンに映えるガンマン的な演技を指導されるとか、山田康雄に」

「だからなァ……落ち着けってんだよ!」


 一喝されて、アトリは慌てて口を閉じる。


「俺はな、真面目に真面目な内容を真面目に話してやってんだよ。そこんとこ、分かるか?」

「……分かります、けど」

「じゃあ、聞け。いいか? お前ことアサクラアトリは、新大陸フロンティアのことなんざ何も知らねぇってんだろ? だから、この俺が側に付いて、色々逐一ご伝授してやろうってんだ」

「…………」

「それだけじゃねぇぜ? 俺は今はこんなんでも、射撃技巧だったら一応並みのガンマンよりは腕が立つ……まあ、そうであってもアイツらの内じゃ中の下かもしれねぇけどよ。でも、なにかあった時のことを考えりゃあ、な?」

「…………」

「それによ、旅をするんだったら、連れがいた方がいいんじゃねぇか?」

「……旅、ですか?」

「おうよ」


 旅するのだ、【異世界】を。

 この、【異世界】を。

 全く未知の領域である、【異世界】を。


 そんなことが、アトリの脳内をぐるぐる回る。


「嫌か?」

「……いや、正直、この状況に付いて行けていないだけ、でして……」

「つーか、早いとこ決めた方がいいぜ。うじうじ悩んだところで、なんの解決にもなりゃあしねぇよ」

「……うぬぅ」


 確かに、その通りだ。うじうじ悩んだって、どうにかなるわけじゃないし。

 だけど、ブッチの提案に乗るのに、不安がないわけじゃない。


「……一つ、いいですか?」

「なんだ?」

「……わたし、お金持ってないんですけど。……だから、金銭による報酬とかは……でも、お金の代わりになるものだったらあげられると思いますけど。……スマホとか」

「ソイツぁ、魅力的な案だな。……けど、却下」

「……えー、じゃあ、なにを……」

「コレだよ、コレ」


 こつんこつん、とブッチは自分の頭を指で叩く。


「……ええーと、それはつまり?」

「知識だよ。俺にとって未知なる【異世界】の」

「……ぇ!?」

「ソイツを、俺に教えてくれりゃあいい」

「……えぇ!?」

「あと、出来りゃあ【異世界】の文字も教えてほしい」

「……えぇっ!?」


 要は、ガイド兼用心棒をする代価に、アトリが元いた世界の知識を教えろって事だろうか?


「駄目か?」


 青鋼色スチールブルーの目が、アトリをじっと見つめている。

 アトリはしばらく、目を閉じた。まぶたの裏で、【あの人】が頷いた気がした。


「……分かりました。……やります」


 アトリは目を開き、ブッチを見つめ返し、言う。


「……教えるって言っても、わたしがやれる範囲にもしかしたら限られてしまうかもしれないですけれども……でも、それでもいいって言ってくれるんだったら……わたし、やります」

「ああ。可能な範囲で構わねぇよ」

「……はい!」

「旅に慣れたら、教えてくれる範囲を徐々に広げていってくれりゃあいい。こちとら、気長に待っていられるんでね」

「……はい!!」

「よっしゃ、決まりだ!」

「……でも、あくまでも、わたしが教えられる範囲内ですよ……って、聞いてないし」


 一介のJKにすぎないアトリが持っている知識など、限られている。

 ブッチが一体どんな知識を所望しているかは分からないけれど、これまで学校で習った文学や数学ならうまく教えられる自信はあった。


「……流石に、相対性理論を教えろとは言われないでしょうけれど」

「契約成立だな!」


 すっと、右手が差し出される。


「改めて名乗らせてもらうぜ。俺はブッチ・キャシディ。ブッチでいいぜ」

「……浅倉アトリ、です」

「そんじゃ、これから色々教えてくれってばよ、アサクラアトリ」

「……フルネームじゃなくて、出来れば……アトリって、名前で呼んでほしいんですけれど」

「ああ、分かった。じゃあ……アトリ、よろしく頼むな!」

「……こちらこそ、よろしくお願いします」


 おずおずとではあったけれど、アトリは手を伸ばし、ブッチと握手を交わしたのだった。

 こうして、旅が始まる。

 アウトローであり【不死者】であるブッチ・キャシディと、ただの少女でしかなかったはずのアトリの旅が。

 出会うはずなどありえなかった、二人の旅が。

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