Chapter 2


「ふぅん、迷子ね」

「……はい」

「ま、とりあえず飲んどけや。喉、乾いてるだろ」

「……いただきます」


 手渡されたブリキのカップには、湯気と焙煎特有の芳香がふわふわ上がるコーヒー。

 ふぅふぅ冷ましつつ、熱々のそれを少しずつ飲む。

 熱々と表現するからにはホットである、ホットコーヒーである。

 だけど、ただのホットコーヒーじゃない。石を集めて作った即席のかまどで一気に沸かした、超本格アウトドアコーヒー。

 正直、不味くはない。でもだからって、美味しくもない。

 ミルクも砂糖も入っていない所謂ブラックコーヒーなんだけど、苦さも香りもほとんど感じられなかった。なんていうか、ものすごく薄い。

 でも、これは相手側からの好意である。味の良し悪しなんて後回しにするべきだ。


「……あの」


 アトリは、居住まいを正した。男に向かって深々と頭を下げる。


「……助けていただいて、ありがとうございます」

「アー、いや、別に礼なんざいいってばね。ガキ一人、それも女なんざ見殺しにすれば、目覚めが悪ぃし……ってか、お前、どこのガキだ? 移動手段アシもなしにそんなナリで荒野を歩いて、どこに行くつもりだってんだ?」

「……そりゃあ、山手線経由で」

「ヤマノテセン?」

「……JRですけど」

「ジェイアール?」

「……一応、メジャーな鉄道ですよ?」

「聞いたことねぇな」

「……京浜東北線とか埼京線とか湘南新宿ラインはどうですか?」

「知らねぇよ。つーか、そんなまだるっこしい名前のモン、聞いたことねぇし」

「……ご冗談でしょう?」

「冗談もクソもねぇってばね、マジだよ」

「……えー、でも」

「つーか、考えてみろってんだ。どこの誰とも分からんガキを手前に、どうして俺みてぇにいい歳こいたおっさんがカマトトぶらなきゃならねぇってんだよ」

「……言われてみれば、そうですね」

「だろ?」

「……じゃあ、逆に、何線だったら知ってます?」

「サンタフェ、ノーザンパシフィック、グレートノーザン、サザンパシフィック、あとは……」


 聞き覚えのない線ばっかりだった。かといって、知らないわけじゃない。

 アトリが知る限り、これらは現代日本の首都圏を走る鉄道じゃないはず。


「……あの、ここ、日本ですよね?」

「ニホン?」

「……ジャパンです」

「ジャパン?」

「……日本語、随分お上手ですけれど……まさか、日本を知らないんですか?」

「ニホンゴ?」


 富士山、寿司、天ぷら、東京スカイツリー、秋葉原、折り紙、藤子・F・不二雄、織田信長。

 その他諸々、思いつく限りの日本文化をアトリなりに列挙したのだけど。


「……本当に、知らないんですか?」

「だから、知らねぇモンは知らねぇとしか言いようがねぇだろうが」

「……いや、でも……」

「大体な」


 アトリが考えることを見透かすように、男は切り出す。


「ンなしょーもない嘘をつくのに頭使うんだったらよ、もっと有意義なことに使うべきじゃねぇか? この、ザ・サンダンス・キッドに言わせりゃあよ」

「…………」

「なんだよ、言いてぇことがあるんなら言えってんだよ」

「……ええっとじゃあ、ザ・サンダンス・キッドさん?」

「キッドでいい」

「……キッドさんは、マイネームイズ、ザ・サンダンス・キッド……でおっけーなのですよね?」

「あのなァ、さっきからなんだよ。意味分からん言葉の羅列に、人の名前を組み込みやがって」

「……偏見による失礼を承知で言わせてもらいますけれど、初対面の相手からそういう風に堂々とビッグネームを名乗られちゃうと……なんていうか、ちょっと……」

「ビッグネーム? ってこたぁ……俺ってば、有名人みてぇじゃねぇか」


 有名人といえば有名人だけど。

 だけど、どちらかというと有名なのは、ザ・サンダンス・キッドという人物が所属していた組織の方かもしれない。


「……そりゃあ、かの【ワイルドバンチ強盗団】にその名を連ねるお方であれば」













【ワイルドバンチ強盗団】。

 アトリが挙げたそれは、組織だ。

 組織と言い表すからには集団、集団とは人間たちの集まり。

 集まるその人間たちは、世間一般では無法者アウトローと呼ばれている。

 一言で言い表すなら、【ワイルドバンチ強盗団】っていうのは、犯罪組織だ。

 主にやってのけたのは、銀行強盗および列車強盗。手っ取り早くお金を掴む方法、気力と計画性の持ち合わせがある無法者アウトローがやらかす、別段珍しいことではないこと。

 だけど、【ワイルドバンチ強盗団】がやる事は、下手な無法者アウトローがやらかすことのずっと上をいっていた。

 鮮やかにして大胆な手際、バイタリティ溢れる戦力、周到に練られた作戦は実に巧妙。

 信じられない事に、企てた犯行の成功率は一〇〇パーセント。

 所属メンバーの総人数は、残念ながら詳しく分かっていない。雇われや協力者を含めれば軽く一〇〇人を超えるとされているけれど、そんな中において主幹的な立場にいたという十人が、【ワイルドバンチ強盗団】を他の無法者アウトロー連中の追随を許さなかった。

 リーダーにして設立者、銀行強盗および列車強盗の麒麟児――ブッチ・キャシディ。

 ブッチの右腕であると同時に親友、ブレーン的存在――エルジー・レイ。

 もっとも多くの人間を殺め、仲間たちですらその獰猛さと狂暴性を恐れたという――ハーヴェイ・ローガン。

 馬術の達人ローラ・ブリオン、謎多きカミーラ・ハンクス、狡猾なるニュース・カーヴァー、随一の悪徳者デカ鼻ジョージなど、あとのメンバーも負けず劣らずの個性の持ち主。

 だけれども、そんな中においてもっとも注目すべき存在であり、忘れてはいけないのが、ザ・サンダンス・キッドである。





 

「……えーと、ですね……その、なんていうか、そんなの普通ありえないだろうって思うことがあるというか」

「具体的には、どういうこった?」

「……そのままの意味ですよ……外国人でキッドさんっていう方は結構いらっしゃいますけど、でも……大体それらのキッドさんたちが名乗っているのって、大体自称か愛称か芸名ですよ」

「言われてみりゃあ、そうさな。かの有名なビリート=ウィリアム・ヘンリー・マッカ―ティ・ジュニアだって、キッドって呼ばれてたっけな」

「……コアなネタを引っ張ってきましたね。……それ、普通の人だったら絶対分かりませんよ」

「でも、お前は分かっていた。ソイツぁ、違わねぇよな?」

「……ええ、まあ」

「じゃ、ザ・サンダンス・キッドについちゃあ、どうなんだ?」

「……どうなんだって言われましても……わたしなんかより、キッドさんの方がずっとお詳しいのでは? ……ある人物を名乗るからには、この場合ザ・サンダンス・キッドですけれど……キッドさんの方が、ザ・サンダンス・キッドを誰よりも理解しているはずですし……」


 今思えば、この発言がそもそも大きな間違いだった。


「お前……それ、マジで言ってんの?」

「……え?」


 変化は唐突だった。

 相手のそれまでの声が低まる――老成した蛇が唸るように。

 相手が纏う空気が、重みを帯びる――水の中を水銀が沈んでいくように。

 不穏なものを感じて、アトリは思わず息を呑んだ。キッドの青鋼色スチールブルーの目が、鋭く光っている。闇に潜む獣が、長く待ちわびた獲物を補足したかのように。


「別に、ビビることなんざねぇってんだよ。誤解させちまっているかもしれんだろうが、安心しろ。俺は、別に怒っているわけじゃねぇ」


 にィい、とキッドは笑う。


「むしろ、逆だ」

「……キッド、さん?」


 言っていることの意味がなんなのか、アトリは分からない。

 けれども、こういう笑い方をする類の人間なら、知っている。

 一言で言い表すなら、無法者アウトローの笑み。


【あの人】みたいな。


「永かった……永かった、だから」

「……キ、キッドさん!?」

「待ちわびたぜェ!」

「……っぁ!」


 硬い感触に、喰らいつかれた。

 アトリの喉が、キッドの五指に捕らわれる。ぎこちなくも和やかであったはずの場は、粗暴であっても優しさを見せていたキッドの豹変で、今や修羅場だ。

 悲鳴を上げようとする。けれども、辛うじて出せたのは、震える呼吸音だけ。

 その射すくめるような鋭い眼光、アトリに向けられているそれは、舌と声帯の機能が停止してしまうほどの威力を持ち得ているらしかった。


「ンな怯えんな。牛みたく売っ払ってやろうとか、豚みたく潰して食っちまおうっわけじゃねぇんだから、な?」


 脅しているのか宥めようとしているのか分からない。けど、冗談抜きに背筋が冷えた。


「別に、無茶な頼みをしようってわけじゃねぇ。俺には、どうしても入り用なものがあるんだ。お前はソイツを手に入れるためのものを、持っている……俺が言いてぇこと、分かるよな?」

「……そんなの、分かるわけ」

「この俺が言うんだから、間違いねぇんだよ!」


 アトリの人生経験上、こういう我を持つ人間っていうのはロクな存在じゃない。

 でもそれを、他でもないアトリがそれを認めてしまうのなら、【あの人】だってロクな存在じゃないと定義されなければいけなくなるわけで。


「そういうわけで、だ」


 づどっ! 


 鈍重な衝撃が、脇腹を突き抜ける。

 内臓が全部一緒くたにぐちゃぐちゃに潰れてしまうぐらい強烈なそれは、流れるような身のこなしで叩きこまれた、キッドの拳。


「……かふっ!」


 膝の力が砕け、崩れる。立つことをままならなくさせられ、よろめく。

 そうして倒れそうになったところを、ぽふんっ、と優しく受け止められた。


「ちぃとばかり付き合ってもらうぜ。とりあえず、悪いようにゃせんさ」


 それを最後に、アトリの意識は真っ黒に塗りつぶされる。













 昏倒させた少女を、ザ・サンダンス・キッドは受け止めた。


「死んでねぇよな?」


 力加減はしたはずである。だが、胸糞悪い。

 女を殴った。それも、まだ少女を。

 世界に敷かれる箴言しんげんにはこうある。一人の女を、たとえそれが娼婦であれなんであれ、粗末に扱う男はろくでなしだと。


「ンなの、構うかってんだ」


 あの日を境に、覚悟はとっくの昔に決まっていたはず。

 あの日、過去、未来、そして現在、全てを奪われた時からずっと――そう、あの日から自分ただ一人ずっと、終わりのない悪夢をさまよい続けているのだから。

 でも、それもやっと終わってくれる。この永い永い悪夢から、覚めることが出来る。

 だが、安堵の気持ちに反するよう、恐れの気持ちもまた存在している。悪夢から目覚めた自分を待っているのは、悪夢以上に忌まわしく、受け入れられないようなおぞましい現実ではないだろうか。

 現実において自分は、ボリビアの監獄にいるのだ――たった一人で。

 そして、目を覚ました自分に、牢番は無情の一言を浴びせるのだ――「お前の相棒は死んだのだ」と。


 ザ・サンダンス・キッドは死んだのだと。


「勝手に殺すなってんだ」


 頭を振って、否定する。ザ・サンダンス・キッドは死んだ――しかし、それを男は――ザ・サンダンス・キッドを名乗る男は、否定する。

 虚構じじつではなく、確かに存在しているのだ。ただ、誰も知り得ていないだけで。

 だが、この少女はどういうわけかは知らないが、知っていた。

 誰もが否定した、ザ・サンダンス・キッドの【存在】を。

 本来であればありえないはずの、ザ・サンダンス・キッドの【存在】を。


 虚構じじつではない、ザ・サンダンス・キッドの【存在】を。


「悪く思うなよ……」


 ザ・サンダンス・キッドを名乗る男は、意識を失った少女を抱き上げる。馬車の荷台に下ろし、横たえた。

 そして、鞭を入れられた馬たちが、前進する。馬蹄が地面を蹴る音と木材が軋む音が上がり、馬車は進み出す。

 こうしてアトリは、自分が知らない場所で、その行方を絶ったのだ。

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