(4)
維月に惚れ薬を盛ってから二週間。そのあいだにデートへ行くというような、特別な出来事はなかったが、風花はそれで満足していた。とは言え、そこには常に罪悪感がついて回ったが。
惚れ薬を盛って変わったことは、これまでの日常に、維月とキスをするという行為が差し込まれるようになったことくらいだ。
それ以上のことを風花は望んでいなかった――というよりは、まったく想像していなかったというほうが、正しい。
風花は維月と恋人になれることすら夢のまた夢と思っていた。だから、キスの先にあるものについては考えたことすらなかった。
風花にとってのゴールは、維月と恋人になってキスをすることだったのだ。
キスをすること。風花はそれがひとつ目のゴール、あるいはハードルでしかないことを認識していなかった。
風花とて、もちろんキスや手で触れあう以外のスキンシップについては、知っている。知っているが、それは知識としてあるだけで、明らかに実感を伴っていなかった。
維月とキスの先へ進むなどということは、風花にとっては夢のまた夢どころか、想像の埒外にあったのだ。
だから、維月から求められて、風花は動揺した。
ふたりきりの風花の自室で、いつも通りなんとなくキスをする雰囲気になって、実際にして――維月はそのあと、控えめに風花の膝小僧に触れた。風花が部屋着にしているショートパンツからむき出しになっている脚に触れた。
するすると維月の指先が上がってきて、風花の太ももを慎重な様子で撫でる。それがくすぐったくて、風花は喉で笑った。
けれども、すぐにその笑顔は引っ込んだ。
風花の目に映る維月はひどく真剣な様子で、風花を見つめていたからだ。
その視線ひとつで、風花は維月の発する雰囲気に飲み込まれそうになった。
「風花……」
維月の顔が近づいて、その吐息がかかる。いつもより、妙に熱い気がした。
そのまま風花の唇をついばむように、維月がキスを落とした。
「ん、ん……」
いつもは軽く触れればそれでおしまいだったのに、今日は違った。
維月は何度も何度も触れては離れることを繰り返し、角度を変えて、まるで貪るようなキスをした。
風花はいつもとは違う維月の行動に戸惑いながらも、懸命に応えようとする。
維月の雰囲気がいつもと違っていることは理解していたが、風花は彼の行動の意図することまでは理解していなかった。
維月の手が、太ももからぐっと上がって、風花の臀部に触れる。くすぐったいのと同時に、明らかにそれとは違う感覚が湧き上がった。
そこまでされて、風花はようやく維月の意図するところを理解し始めた。
し始めたが、確信にまでは至れなかった。
まさか、維月とそんなことをするとは風花はこれまでに考えたことがなかったからだ。
けれど、それはまったく頭の血の巡りが悪いとしか言いようがない。
発端は風花が盛った惚れ薬と言えど、それを抜きにしてもふたりは健全な高校生カップル。キス以外の、もっと直接的な触れ合いの方法があることを知っていて、そしてふたりとも二次性徴を既に迎えているのだ。
となれば、キスの先にすることは決まっている。
しかし、風花はそれを当然としていなかった。維月と恋人になって、手を繋いだりキスをしたりするだけで、風花は満足してしまっていた。
だが維月に求められて、風花は初めて彼と――セックスもできるのだ、という事実に気づいた。
「い、いつき……!」
風花は半ばパニックになった。
維月に恋焦がれながら、風花はまったく無垢に恋慕していた。恋焦がれてはいたが、維月とセックスすることを想像したことなんてなかった。知識はあったが、それが実感として伴っていなかった。
上擦った風花の声を聞いて、維月の動きが止まった。今の風花は、維月に押し倒されそうになっている、一歩手前の状態だった。
このまま押し倒されてしまったら、維月と。
そう思うと、風花は血の気が引いた。
維月の行為に恐怖を覚えたわけではなかった。セックスに対して嫌悪があるわけでもなかった。
けれど――罪悪感が、あった。
それは大波のように風花の心に打ち寄せて、あっという間に彼女の心臓を圧し潰さんとしている。
風花はまばたきすることも忘れて、維月を見た。
心臓の拍動は速く、大きくなって、風花の体の中で鐘を打ち鳴らしているようだった。
まったくおかしい話だが、風花の中ではキスまでは良かった。たとえ騙しているとしても、キスまではまだ良いという線引きを無意識のうちにしていた。
でも、なんとなく、セックスまでいくと「ダメだ」という気持ちが勝る。
惚れ薬を盛ることよりも、騙してキスをすることよりも、その流れでセックスをすることは「絶対にダメだ」と風花の心は言っている。
そうすると取り返しがつかなくなる気がしたが、冷静に考えれば惚れ薬を盛ってキスをした時点で、もう取り返しのつかない事態にはなっている。
風花はそのことに気づいて、全身から血の気が引くような感覚を味わった。
そしてもう二度と維月とはただの仲の良い幼馴染には戻れないのだということを知って、泣きたくなった。
その事態を招いたのが自分だということを痛いほどわかっていたから、なおさら。
「風花?」
どこかうつろになって目を泳がせる風花の変化に、維月は戸惑ったような声を出す。
その声はやはりどこまでも柔らかく、優しくて……風花はそれを自らの手で失うのだと考えると、絶望の淵に投げ入れられたような気分になった。
「……ごめん。嫌だった?」
維月が勘違いをして謝ってくる。
風花の脚にかかっていた維月の手が離れる。
風花はそれに安堵すると同時に、内臓から震えが立ち上ってくるような感覚を味わった。
「ごめん、維月」
謝らなければならないのは、自分のほうだ。
そう思って風花は維月と永遠にさよならをするつもりでその言葉を口にした。
「わたし、維月に……惚れ薬、盛った」
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