(5)

 維月にとって、風花という存在はただの幼馴染……“ということになっている”。


 物心ついたころから一緒にいる、かけがえのない存在。けれどもそのあいだには、男と女という違いが存在していた。


 だから小学校に入って色気づいたクラスメイトにからかわれることもあった。しかし維月はそれをくだらないと思っていたし、からかわれて恥じ入ることもなかった。


 風花は大切な幼馴染で、友人だと、心の底から言い切れたからだ。


 だから、歳の近い男女が並べばすぐ惚れた腫れたの話をするのはくだらないことだと維月は思っていた。


 それに、維月には憧れのひとがいた。


 風花の姉の雪子だ。


 風花と友達になり、自然と知り合う形となった雪子は、風花と姉妹と言えどもなかなか似ていない。母親譲りの美しい顔立ちはそっくりだったが、性格は正反対と言ってもいいだろう。


 引っ込み思案で慎重な性格の風花に対し、雪子は社交的で楽天的。維月はどちらかと言えば風花に似た性格をしていたから、雪子のその明るさに惹かれた。


 けれども、今思い返すだに維月のそれは恋と言ってしまうには、あまりにも稚拙なものだった。


 走光性の本能に従って街灯に群がる虫のような、ただ自分にないものを持つ人間を物珍しく思っていただけの感情に近い。


 しかし当時の維月には幼すぎてその違いがわからなかった。


 わからなかったから、風花に雪子が好きだという事実を隠し立てはしなかった。


 直接的に風花に雪子が好きだと言ったわけではなかったものの、風花は維月が雪子に恋をしていることを、じゅうぶんに承知していた。


 それが、のちのち己の首を絞めることになろうとは、維月は考えもしなかった。


 気づいたのは失恋とも言えない失恋を経験してからのことだ。


 三年前、雪子に恋人ができた。維月はそれを知って素直に祝福の言葉を口にできた。けれども内心では衝撃に揺れていた。


 雪子に恋人ができたことに、ショックを受けたのではない。


 雪子に恋人ができたと聞いても、傷つかなかった自分におどろいたのだ。


 そして維月は雪子への恋心が、夏の陽炎かげろうのようなまやかしだったのだと気づいた。


 それから三年が経ったが、風花は未だに維月が雪子を好きだと思い込んでいる。


 雪子と顔を合わせれば、維月を慮っている雰囲気が風花から漂ってくるのだ。


 維月はそれを後ろめたく、恥ずかしく思っている。今さらながらに風花の前で雪子が好きだ――実際は親愛の情以上のものではなかったが――とあからさまな態度を取っていたことが悔やまれる。


 けれども直接口に出して訂正する機会も巡ってこず、ずるずると現在に至っている。


「維月くん、いつ風花に告白するの?」


 母親に言われて旅行土産を渡しに周藤家を訪れた維月は、玄関から出てきた雪子を見て、己の中にはもう彼女への淡い恋心のひとかけらもないのだと思い知った。


 恋人がいるからだろうか、身なりに気を遣うようになっているらしい雪子は、前よりも美しくなっていたが、それは維月の心を動かしたりはしなかった。


 大学進学を機にひとり暮らしを始めた雪子は、しかしなんだかんだと実家には戻っていて、今日もそうだったようだ。


 維月から土産物を受け取って礼を言ったあとに、不意のひとこと。


「え?」


 維月は、にこにこと微笑んでいる雪子を前にして、口の端を引きつらせた。


「とぼけちゃって。そんなんじゃ横からだれかに搔っ攫われちゃうよ?」

「いや……俺と風花はそんなんじゃ――」

「ええ~?」


 維月が否定すれば、雪子は土産物の包装された菓子箱を手に、不満そうな声を上げる。


 維月は気がつけばとっさに雪子から視線を外して、目を軽く伏せていた。


 居心地が悪かった。


「風花のこと、好きなんでしょ? 見てればわかるよ」


 ずばり図星を突かれた維月は、黙り込むことしかできなかった。


 維月にとって、風花という存在はただの幼馴染――を超えて、大切な存在となっていた。


 風花は引っ込み思案だし、しかし反して体を動かすことは好きで陸上競技が得意で、だけど要領の悪いところがあり、不器用で勉強をすることは苦手だ。


 維月は、風花の短所をいくらでも挙げられる。そして、長所も。


 言葉にするのは苦手だが、なんだかんだと他人を思いやる気持ちがあり、距離感というものを風花は大切にしている。


 維月を頼ってはくるが、べったりとした関係ではないし、頼るばかりという一方的な関係でもない。


 維月が傷つけば風花も倍は傷つく、優しすぎる面もある。


 維月は、そんな風花が好きだった。


 親愛の情を持ち、見返りを期待しない無償の愛を風花に捧げることは、苦痛ではない。


 けれど、いつからだろうか。風花ともっと心を通い合わせたいと、深いところで繋がりたいと切望するようになったのは。


 その感情にふさわしい名を与えるとしたら、それはきっと、恋だろう。


 風花への感情は、雪子への感情とは違う。雪子へのそれはもっと美しく、無垢で、きらきらと輝いていた。しかし風花へのそれはどこかドロドロとしていて、切実で、ときおり心に陰が差すような、そんな感情だった。


 維月は、風花に恋をしていた。


 けれどもそれを、風花にだけは知られたくないと思った。


 風花は維月が雪子のことを好きだったことを知っている。それに、風花は雪子の妹だ。そんな状況で風花を好きだと思うのは、なんだか雪子との恋が叶わなかったがゆえに、風花に乗り換えたかのような印象があって、抵抗感がある。


 だから維月は風花への想いを胸に秘めていた。


 しかし雪子にはそのような葛藤はお見通しのようで――


「……わかった。お姉さんがなんとかしてあげよう!」


 などと大見得を切って胸を叩いた。


 そして翌日には雪子からテキストメッセージが届いた。


 内容は、風花に偽の惚れ薬を渡すという計画だった。

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