(2)
風花が、維月のどこか好きかというと、全部だった。長所も短所も丸ごと全部好きだし、欠点と思えるような部分ですら許せてしまえる。
風花は維月に恋をしていて、そして深く彼のことを愛していた。
たとえば、風花が維月の好きなところをひとつ挙げるとしたならば、勉強に付き合ってくれることだろうか。
風花より維月は頭がいいから、要領の悪い己のことを、ともすれば煙たがっても無理はないと風花は思っている。
それに、幼馴染と言えども風花と維月は女と男だ。性別の違いというのは、思春期の人間にとってはかなり大きいだろう。
けれども維月の態度は昔からひとつも変わらない。いつだって面倒見良く風花の世話を、なんだかんだと焼いてくれる。「しょうがないな」という顔をして。
それは風花にとっては喜ばしいことであったが、同時に己を恋愛対象としては見られていないのだということもを知らしめられているようで、もどかしい。
そして今日もそんなもどかしさを抱えながら、風花は維月を出迎えた。
一緒にテスト勉強をする約束をしていたのだ。これはもう中学生のころからの恒例行事だった。
優しい維月は要領の悪い風花に根気良く付き合ってくれて、「教えると復習になるから」などと笑ってくれる。
それがどこまで本心かまでは、風花とてわかるはずもない。
けれども維月に優しくされると、単純にうれしくなって、簡単に舞い上がりたくなる。
しかし今日はずっと緊張しっぱなしだ。なにせ風花はその胸中で揺らいでいた。
「惚れ薬」を使うべきか使わざるべきか。
しかしその天秤は「使う」ほうへと傾いていき、そうなると今度はいつ使うかに思考のリソースを取られる。
「ここ難しい?」
うんうんとうなりを上げそうなほど、じっと真剣な様子でノートに視線を落としていた風花を見かねてか、維月が柔らかく、気安げな声音で話しかけてくれる。
そんな維月の声を聞いて、風花は彼のことが好きで、どうしてもあきらめられない気持ちが浮き彫りになった。
「……ちょっと飲み物取ってくる」
部屋着のポケットの中に、雪子から渡された惚れ薬があることをそっと指先で確認して、風花は立ち上がった。
そのまま、なんでもない風を装って、二階にある自室から一階のキッチンへと向かう。
盆の上にグラスを二つ用意し、冷蔵庫から取り出したリンゴジュースを注いだ。
そして――惚れ薬の入った瓶を、ポケットから引き抜く。
雪子が一人暮らしをしているマンションに帰ってしまったあと、瓶の中身を舐めたりはしなかったものの、嗅いではみた。惚れ薬は、無臭だった。
風花は未だ半信半疑だ。惚れ薬だなんてものがこの世に存在しないことは、わかりきった事実だ。けれどもあれほどまで堂々と渡されては、「もしかしたら」という思いが生じる。同時に、邪念も。
雪子のことだから、毒や違法な薬物を渡してきたとは考えづらい。けれども、惚れ薬なんてもっとあり得ない。
風花は、頭では理解していたが、「もしかしたら」という思いも、邪念も振り払えず、リンゴジュースの入ったグラスの一つに惚れ薬を垂らした。
途端に、心臓がイヤな風に跳ねて、大きな鼓動が止まらなくなる。
それでももう、動き出した足は、思いは止まらない。
指先が震えるのを必死で押しとどめて、階段を上がる。
自室に戻れば維月が問題文とにらめっこしているのが目に入った。
互いによく見知った仲であるから、「リンゴジュースでよかったよね?」なんて言葉は風花からは出てこない。
勉強道具を広げたローテーブルの近く、間違って脚で蹴り倒さないような位置に盆を置く。
「ありがと」と維月が礼を言う。すぐにグラスに手が伸びたのは、喉が渇いていたからだろうか。
風花はそんなことを考えながら、じっと維月が手にしたグラスを凝視する。
止めるのであれば、もう、今しかない。
これが最後のチャンスだ。
けれども、いつまで経っても風花の口は動きはしなかった。
『――飲ませたあとじっと目を見つめれば相手が惚れてくれて、で、惚れ薬を飲ませた事実を告げれば暗示は解けるから!』
風花の脳裏に雪子の声がリフレインする。
維月の口を、喉を通って、惚れ薬を垂らし入れたリンゴジュースがグラスからなくなっていくのを見届ける。
風花は維月の目を見た。切れ長でキツネっぽい、油断がならない目つきをしているが、笑ったときに緩むその目元の優しさを、風花は知っている。
風花はグラスから維月の瞳へと視線を移す。
じっと見つめる。
引っ込み思案な風花は、他者と視線を合わせるのを苦手としていたから、維月と視線がかち合って、背中に冷や汗が流れるような感覚を経験した。
それでも、目をそらすことなく、じっと見つめる。
維月が好きで好きで好きで、どうしてもあきらめられないから、風花はじっと彼の目を見つめる。
「……なに?」
維月が、風花の視線に気づいてゆるく笑んだ。
たったそれだけの仕草でも、風花は心に直接手を突っ込まれて、かき乱されたような気持ちになった。
「そんなにじっと見つめて……。――キスするよ?」
風花は目を丸くした。
キス。風花と維月は間違ってもそんなことをする仲ではない。ごく健全な関係を築いている、幼馴染同士なのだ。
風花は言葉を失った。
現実を受け入れるのにはひどく時間がかかるだろうという動揺をして、思わず視線を外して目を伏せた。
――キス?
風花は、維月とそうすることをいともたやすく夢想して、じわじわと顔に熱が集まっていくのを止められなかった。
妙に肩に力が入って、それから維月へ視線を戻せない。そんな風花の様子を見て、維月が低く笑ったような気配を感じた。
「黙り込んでたら本当にキスしちゃうよ?」
風花はそれでも黙り込んだままだ。
顔を赤くして――期待に、胸を高鳴らせて。
「……キス、してもいーの?」
維月がどこか戸惑いをにじませながら言う。
先ほどのセリフは戯れのつもりだったのかもしれない。
けれども、もう、今は。
今、この部屋に満ちた空気は、維月の言葉を戯れにはしてやらないと言わんばかりだ。
「風花……」
吐息のような維月の声に、風花の頭は甘くしびれてしまいそうだった。
維月の手が伸びてきて、風花は思わず控えめながら顔を上げる。
維月と目が合う。どこか熱く、とろけているようにも見える維月の瞳は、薄っすらと濡れているようにも見えた。
「ん……」
肯定とも、単なる呼吸音とも取れるような、曖昧な音が風花の口から漏れ出る。
維月の指が風花の耳に触れた。
次いで、かすめるような柔らかさで――維月の唇が、風花の唇に重なった。
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