わたしの好きなひと(幼馴染)の好きなひと(わたしの姉)から惚れ薬を渡されたので、
やなぎ怜
(1)
「……これ、なに?」
「惚れ薬だよ!」
姉の
惚れ薬。そんなものがこの世に実在していないことくらい、風花にだってわかる。
けれども、これほどまでに堂々と宣言されてしまえば、「もしかして」と思ってしまうていどには、風花は良く言えば純粋で、悪く言えば意思の弱いところがあった。
「惚れ薬……」
「そう! これ、あげるからさ。ぱっと
姉の口から滑舌良く幼馴染の名前が出てきて、風花は心臓をドキリと跳ねさせる。
いや、正直に言ってしまえば、彼の名前が出てくることは半ば予測がついていた。
それでもなお、彼の名前が――思いを寄せている幼馴染の名前が出てくれば、風花はその繊細な心臓を跳ねさせてしまうのだった。
「好きなんでしょ? 維月くんのこと」
次に風花は顔を真っ赤にした。色白の肌は火照って朱に染まる。
これまでにも散々、雪子から「維月くんに告白しないの?」とか「早くコクっちゃいなよ」と
三つ離れた姉の雪子と風花は仲が良かったから、風花の惚れた腫れたの事情は筒抜けなのである。
特に雪子は勘がいい。早い時期から風花の、彼女と同じ年の幼馴染への気持ちに気づいていて、雪子はずっとその恋路を応援してきた。
けれどもそれはいつだって控えめなものだった。具体的には、風花に維月の情報を流したり、ときおり彼女をせっつくくらいのことしかしていなかった。
それが、ここにきて「惚れ薬」である。風花が耳を疑うのも無理はなかった。彼女でなくとも、雪子の正気を疑うだろう。
しかし雪子の態度があまりにも堂々としていたので、風花は半信半疑で謎の液体で満ちた瓶を手に取る。
惚れ薬。そんな都合のいい薬は世の中には存在しないし、仮に存在していたとしても、惚れ薬に頼るなんてことは卑怯な真似と言わざるを得ないだろう――。
風花はそう考えたが、元来より引っ込み思案な性格が災いして、実姉である雪子にすら強い物言いはできず、閉口するしかなかった。
それに、と、風花はチラリと上目遣いに雪子を見やる。
風花が維月にいつまで経っても愛の告白をすることができないのは、半分以上がその性格のせいだ。
内気で、意思表示が苦手な風花にとって、たとえ好意であっても表明するのには相当の勇気がいるのである。
あれこれと失敗したときのことばかりを考えて、二の足を踏む。そういう状況をもう小学生のときからずっと続けているわけなのだ。
雪子が「惚れ薬」を持ち出してせっつくのも、ある種、無理はなかった。
けれども、けれども。
風花にだって、言い分はある。
もう一度、風花は雪子を見やった。実の姉妹であるから、風花と雪子の顔立ちは似ている。
ファッションモデルをしていた母に似た面立ちだから、決して見苦しくはない。否、ほとんどの人間がその顔を美しいと評するだろう。
実際に、風花だって己の顔に釣られて告白してきた男子生徒を何人か覚えている。
けれども、けれども。
けれども――維月が好きなのは、風花ではなく雪子なのだ。
似た顔をしていても、維月が好きなのは風花ではなく、雪子なのだ。
それでは、いくら美しい顔をしていても意味がないと風花は思った。
いや、いっそまったく違った顔立ちであれば、あきらめもついたかもしれない。
けれども、自分と似た顔立ちの姉に、維月が思いを寄せていると知ってしまえば、なんだかひどく傷ついて、悔しい気持ちになる。
風花は、そんな自分が嫌いだった。種類は違えど、雪子も維月も好きだから、なおさら。
それも、維月に告白をしない理由の――言い訳のひとつ。
だけど、維月が決して雪子と一緒になれないことも、風花は知っていた。
「あ、もうこんな時間?!」
雪子のスマートフォンが振動する。設定していたアラームを止めたあと、スマートフォンの画面を操作して、雪子がメッセージを送ったのがわかった。風花は画面を見ずとも、その相手すら、わかった。
「じゃあこの惚れ薬あげるから。飲ませたあとじっと目を見つめれば相手が惚れてくれて、で、惚れ薬を飲ませた事実を告げれば暗示は解けるから!」
既にがっつりメイクをして着飾っていた雪子は、バッグを手にして立ち上がる。
「じゃあこれから
大学生である雪子には、付き合って今年で三年になる、同じ歳の恋人がいるのだ。
維月とは、結ばれるはずもない。
風花はそれを知っている。維月も、それを知っている。
順当に行けば維月は失恋している。失恋して三年になる。
けれども風花は、そこにつけ込む気にはなれなかった。なりふり構っていられる余裕なんてないのに、ちっぽけなプライドが邪魔をして愛を告げる気になれなかったし、そもそも始めからそんな勇気は風花にはなかった。
維月が失恋して三年。もう彼には新たな思い人がいるかもしれないし、恋なんて当分はいいと思っているかもしれない。
どうであれ、己に希望はないのだと風花は悲観的に考えていた。どうしても、維月と結ばれるビジョンが思い描けなかった。
「惚れ薬……」
己の手に収まった、瓶詰めの惚れ薬を再度見やる。
――この惚れ薬を使えば、維月と……?
惚れ薬なんてあるわけないという思いと、もしかしたらという思い。
惚れ薬を使うなんて卑劣だという思いと、私に希望なんてないのだから、という思い。
ふたつの狭間で揺れながら――風花は結局、この「惚れ薬」とやらを使うことにしてしまったのだった。
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