9話 『小鳥遊祐希』として
「小鳥遊ちょっと待て」
相沢先生に声をかけられるのは転校日以来のことだった。相沢先生は祐希の担任ではあるが、担当科目は女子の体育と授業の中で関わることは一切ない。
なるべく自分から接することは避け今日まで来たのだが、ついに逃げる肩を掴まれてしまったようだ。
「なんですか」
「これ、ゴミ捨て場まで捨てておいてくれ」
唐突に相沢先生からまるまる太ったゴミ袋を手渡された。
「今から帰るだろ?ついでに頼む」
「俺ゴミ捨て場の場所なんて知りませんよ」
「校舎裏だ。昇降口から出て裏に回れ。頼んだ」
昇降口でスリッパから外靴へと替え校舎を出る。たどたどしく校舎裏に続く道の景色を視認していく。やがて校舎の壁がなくなり、校舎裏に差し掛かる。
今まで周囲の景色を映していた瞳は次の景色を映そうと、校舎裏に視線を運ばせた。
そこには--
校舎の壁に三角座りでもたれ掛かる儚げな女子生徒がいた。
放課後の裏校舎に女子生徒が一人。それは『何か』あることは火を見るよりも明らかだった。
すぐさま祐希は回れ右をして、引き返そうとするが体がその一瞬の切り替えに対応できず、もたつき地面を蹴る音が静かな校舎裏に響いた。こんな時にも体は言うことを聞いてくれない。
慌てて祐希は自分の存在に気づかれていないか確認するために、再び女子生徒の方に視線をゆっくりと運ぶ。
女子生徒は祐希の方に顔を向けていた。目尻に涙を浮かべながら
視線がぶつかり合う。
しばらくの沈黙。
女子生徒はそのむず痒い気まずさを紛らわすためか、ニッコリと笑った。
その瞬間背筋に冷たいものが吹き上がる。
今祐希が立っている場所から女子生徒が座っている場所は多少の距離がある。人物を正確に認識できるかは曖昧な距離だ。あの女子生徒の視力が悪く、この場にいる人物が『小鳥遊祐希』と認識していないのならこの場から去っても何の問題もないだろう。
だが、そうじゃないのなら明日にでもあの女子生徒の口から祐希の悪評が流れるかもしれない。
『困っている人を見捨てた』と。そんな話がささやかれ始めたら、『小鳥遊祐希』の評価は地の底だ。
--あくむと同じ日常を送るかもしれない。
そんな過剰な考えが頭の中を支配した。
…………。
……。
…。
「--こんなところで何してるんですか?」
気づけば祐希は女子生徒に近づいて声をかけていた。
「あ、いや……その、少し考え事をしていただけです」
座っている彼女とは違い、立ったままで話しかける祐希。肩まで伸びた黒髪の女子生徒は祐希に一度視線を向けるが、また正面を向き直した。
一度彼女が上を向いたことでわかる 泣いていたという事実。
今もまだ彼女の目尻には小さな光の雫が太陽の光を反射させながら存在を主張している。
「よかったら話聞きますよ?」
「でも……迷惑かもしれないですから」
ここで退いたら『小鳥遊祐希』が廃る。
「全然いいですよ」
「……そっか……なら聞いてもらってもいいですか?」
数秒悩んだ末に祐希の申し出を受けた。
「うん」
祐希は彼女の話を聞こうと校舎の壁にもたれ掛かるように腰を下ろした。
女子生徒との間は一メートルと話を聞くにはやや距離があった。
「……」
「……」
「……あの、遠くないですか?」
「そ、そう?」
相場がわからないまま大人しく距離を詰める。二人の距離は約五十センチメートルと言ったところだ。
それから全く距離を詰めようとしない祐希を見て、女子生徒は立ち上がり残りの距離を詰め、肩が触れ合うほどのところで再び腰を下ろした。
「……んっしょ」
内心戸惑う祐希を知る由もなく女子生徒はにっこりと笑う。
「聞いてくれますか?」
「う、うん」
彼女の話は実に女子高生らしいものだった。
現在、彼女には好きな人がいて何度も想いを伝えようとしたが、あと一歩の勇気が出ず結局まだなんの進展もないまま悩んでいたのだという。
話を聞いた以上中途半端にはできない。祐希もそのことを覚悟の上で彼女に声をかけたのだから当然祐希の次の言葉は、
「……何かできることがあるのなら手伝いますよ」
もちろん彼女がこの申し出を断るのならそれでいい。むしろ断ってくれた方が祐希にとってはありがたいのだ。
「いや、でも……」
その出だしが聞こえたところで祐希は心の中でガッツポーズをする。
「そ、そう、なら--」
「……て、手伝ってもらってもいいですか?」
断る口ぶりだったため祐希も早々に離れようと口を開いたのだが、言い終わる前に彼女の声にかき消されてしまった。
「……」
現実というのはいつでも自分自身の味方ではなかった。
「あの、やっぱり迷惑でしたか?」
「い、いや。そんなことはないよ」
「なら……」
もう「断る」という選択肢は祐希には残されていない。
「いいよ。でも何をすればいいのかな?」
「そう、ですね。……とりあえず……どうしたらいいんでしょう」
祐希から苦笑いが溢れた。
「自己紹介、とか……」
「あ、そうですね。私二年C
「二年B
「あ、あの噂のヒーローさんでしたか」
彼女、朝倉望加はニッコリと笑った。
未だ祐希は苦笑いだった。
ゴミ捨て場でゴミ袋を置いた後、望加から場所移しましょうと言われ、図書室へとやって来た。
図書室を利用している生徒はちらほらといて、机で勉強している者、本を探している者、読書している者と様々だ。
望加は室内の奥へと案内し人気のない机の椅子に手でスカートを押さえながら礼儀正しく座った。祐希は向かい合う形で座る。
「何が大切なのかな?」
恋愛経験のない祐希には無理難題である。
「えーと。好きな人は誰なの?」
とりあえず当たり障りのない基礎情報を聞いておく。
「……三年の
もちろんその名を聞いても祐希にはその人の顔は浮かばない。
「私こういうの初めてだからどうしたらいいのかわからない」
告白されることは何度かあっても告白する側になるのは初めてなのか。それはそれで親近感が湧いてきた。
ここにきて祐希は再び考える。
求められているものは一見『小鳥遊祐希』の意見のようにも思えるが、そうではない。ここでは「成功させるための意見」が求められている。
そもそも交際なんて片方の意見でどうこうなるものじゃない。相思相愛の時に初めて成立するもだ。だから祐希が的確な方法を提示しても相手にその気がないのなら無駄なことだ。
「小鳥遊くん……?」
黙りこくる祐希を心配し、望加が声をかけた。祐希は場を取り繕う言葉を探す。
「え、えっと朝倉さんはその先輩に告白したいんだよね?」
「……そ、そんな直接言われると……でも、う、うん」
「俺はその告白を成功させるために手伝いをすればいいんだよね?」
「う、うん。そう……」
ここは今一度考えをまとめるために時間が欲しい。
「もう少し考えさせてくれないかな?」
「……そう、だよね。難しいよね」
祐希は立ち上がった。
「あ、ちょっと待って」
「……?」
「連絡先交換しようよ。その方が今後も都合がいいと思うし」
「……そうだね」
お互いがスマホを取り出し、同じメッセージアプリのアイコンを押す。
そこで祐希の手は止まった。
転校初日、祐希に連絡先を聞いてきた女子は多かった。祐希がメッセージアプリを開いたと同時に半ば強引にスマホを操作され、あれよあれよとされるがまま連絡先を交換させられた。
つまり、祐希にはここから先どのように操作すればいいのかわからなかった。
このメッセージアプリに馴染みがないわけではない。ただ使うことが極力なかっただけだ。
スマホを奏楓から渡された時にはすでにこのメッセージアプリはインストールされていたし、奏楓の連絡先も入っていた。だから、そもそも自分が連絡先の交換の仕方を知らないんて今の今まで知る由もなかったのだ。
「……」
「……ん?」
望加は不思議そうに首を傾げる。
このメッセージアプリは今や現代においては必需品。そんなアプリの基本機能とも呼べる機能を使えこなせないなど夢にも思はないだろう。
素直にやり方を聞けばいいのだが、『小鳥遊祐希』のイメージを壊しかねないためなかなか口に出せない。
「もしかして、やり方わからないの?」
その言葉を聞くやいなや、全身から汗が吹き出した。
ここで否定してもどうしようもない。
「う、うん……」
ゆっくりと頷いた。
「そっか。んー困ったね。私も知らないんだよね」
祐希は自分のことを棚に上げ、唖然とした。
「私ピコピコの類が苦手で、全部相手か弟に任せてたんだよね。でも小鳥遊くんも知らないとなると……どうしようか」
「ピコピコって、ゲームのことだよね?」
「私からしたら、全部一緒に見える」
その話は一旦置いておこう。
「んー調べるしかないかな」
望加は一旦メッセージアプリを閉じ、検索アプリを開いて調べ始めた。
「……なるほど」
「わかった?」
「小鳥遊くんに任せたよ」
「うん」
「ここを押して、ここを押す……?」
祐希と望加は協力し、お互いの連絡先を交換するために奮闘する。
祐希は教えてもらえれば理解できるのだが、望加はそう簡単にはいかず、一つの操作をするごとに眉を潜め、終始疑問符を頭につけていた。
機械音痴にもほどがある。
「で、お互いのスマホをかざす……」
「な、なるほど……?」
ピコンと連絡先が交換された音が鳴る。
「これで、よしかな?」
祐希はサイトを確認しながら言った。
「すごい、かっこいい!!音がなった!!」
欲しいおもちゃを買ってもらった子供のように目をキラキラと輝かせはしゃぐ。
確認して見ると望加の連絡先の名前は「のぞか」と登録されていた。
「このことは二人の秘密ということでお願いね」
シーと右手の人差し指を口元で立てた。
「うん」
図書室を出て、二人は昇降口で靴を替え一緒に校門を後にする。
「バイバイ」
胸元で小さく手を振る望加に別れの挨拶をして別れた。
その後かおりと合流し二人で帰路に着いた。
奏楓が作った夕食の親子丼に舌鼓を打ちながら祐希は切り出した。
「あの、告白をするにはどうすればいいと思いますか?」
「--!?もうそんな相手ができたのですか!?」
口に入っているものを飲み込んでから奏楓が言った。
「違います。頼まれたんですよ。手伝ってくれって」
「もうそんな友達ができたのですか!?男ですか!?女ですか!?」
「友達じゃないです。偶然知り合っただけです。……女子ですよ」
「女子!?すごいじゃないですか。初対面で恋愛相談されるほど信頼を持たれているってことじゃないですか。正直私は祐希には女友達ができるか心配でしたが杞憂だったようで。ですが困りましたね。祐希のコミュ力の評価を限界突破しないといけません」
「俺のことどんな風に思っているんですか……」
「んーそうですね--」
「いや、いいです真面目に答えないでください」
「大丈夫ですよ。可愛い弟だと思っていますから。」
「……で、どうなんですか」
逸れてしまった話題を照れ隠しの様に戻す。
「そうですねー……。祐希はその相手のことをどこまで知っていますか」
奏楓は一度お茶を呷り、気持ちを落ち着かせてから応える。
「どこまで、ですか……?」
「その人の名前、人となり、周りからどういう評価をされているのか、趣味、考え方、部活、好きなのも、誕生日、血液型、星座と言った様なその人に当てはまる何かです」
祐希は望加の顔を思い浮かべる。
「……名前くらいですかね」
少しの間自分が何を知っているか考えてみたが、当然のことながらそれしか出てこなかった。会ってまだ二日しか経っていないのだから当たり前の話だ。
付け加えて言うのなら奏楓も出会って四日だがそれでも名前以外のことは未だはっきりとしない。元神様であることを除けば、年齢不詳、職業は姉であることぐらいだ。
「あっ、あと連絡先知ってます」
「よかったですね」
子供の自慢話を微笑みながら聞く母親の様な顔で奏楓が聞き入れる。奏楓のそんな反応に祐希は自分自身が恥ずかしくなった。
「それでですけど」
「……はい」
「何においてもまずは知ることが大切です。カバディのルールを知らないのにプレイする人なんていますか。正直バカですよ。手伝うにしたって同じことです。少なくとも基本情報は押さえておかないと後々苦労します。だから、知ることから始めたらどうですか?」
思っていた以上に的確な返答に祐希は目をパチクリとさせた。
「……」
「お役に立ちましたか?」
「確かにカバディのルールはよく知りません」
「私もです」
親子丼を一口食べる。
「あ、あと祐希には恋する男女の気持ちなんてわかるわけないと思いますから、とりあえず、恋愛について調べてみたらどうですか。恋愛ドラマとかは参考になると思いますよ?」
夕食後、自室にて祐希は恋愛について色々なまとめ記事を読んだ。
何しろ失敗ができないことだ。成功確率を上げるためにはなんだってやる所存だった。
一通り読んだ後は、奏楓の言っていた恋愛ドラマを視聴し始めた。
『恋の作戦会議』というタイトルのそれは、とある女子生徒が好きな人に告白をするべく、一人の男子生徒から意見をもらいながら一緒に作戦を立て実行していくうちに、だんだんお互いの悪いところや良いところに気づいていき最終的に二人が付き合う、というような話だった。
ノートとペンを構えて、その都度参考になりそうなことを書いていった。
ドラマ視聴が終わる頃にはそのノート三ページ分が文字で埋め尽くされた。
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