6話 勇気の選択

目覚まし時計が鳴るとベットから上半身を起き上がらせた。寝ぼけ眼でも部屋の内装は確認できる。それは間違いなく、小鳥遊祐希の部屋だった。

 夢オチも頭の隅で考えていたが、どうやらここはまごうことなく現実のようだ。


 祐希が洗面所からリビングに着くと、もう朝食の準備は終わっていた。

 二人はお互い向き合うようにダイニングテーブルに座り「いただきます」と合掌をした。

 和食だった昨日の朝食とは違い今日の朝食は洋食のトーストだった。

 祐希はブルーベリーのジャムを塗り、一口食べる。

 なぜだろう。近くのスーパーで売っている安物のパンのはずなのに今後の人生にその印象を残す美味しさだった。トーストの焼き加減だろうか。表面はサクサクで、歯を入れれば力を加えなくても自然と中に入っていく。

 昨日の朝食といい絵は絶望的ではあるが、料理の腕は朝から希望を与えるほどだった。

 気付いた時には祐希はもうトーストを食べ終わっていた。


 二年B組の教室に入ると空気感が一気に変わった。

 今まで騒がしかった教室だが、祐希が入った途端その騒がしさはピタリと止まり、教室内にいる生徒全員が祐希に注目する。そんな行動にドキッとして一瞬教室内に入ることを躊躇してしまう。 

 女子生徒と目が合うと「おはよう、小鳥遊くん」と挨拶をしてくる。昨日調べたサイトの中に「挨拶」の項目もあったことを思い出した。


 --確か、「笑顔で挨拶すればうまくいく」だったか……。


「おはよう」とぎこちない笑顔を作りながら挨拶を返した。それに女子生徒はニコリと笑い再び友人と談笑に戻る。会話の発展が見られなかったので祐希はそのまま自席に着いた。

 果たして今の数秒のやり取りに効果があったのかは定かではない。ただ、彼女たちの反応を見るに悪い印象を抱いているようには見えなかった。嫌われていないことが今の祐希には十分な救いだ。

 今日から本格的な授業が始まる。それはつまり祐希が『小鳥遊祐希』として振る舞う時間が長くなるということだ。

 おはようの一言で随分と心は騒いでいる。たった一言ではあったけれどそれは祐希の甘い自信を後押しした。



「小鳥遊くんは兄弟いる?」


休み時間に祐希の席に集まった女子の一人が質問をしてきた。


「姉がいます」


「へー今なにやってるの?」


「……テレビとか観てるんじゃないですかね」


「え、それって家にいるってこと?」


「はい」


「大学生?」


「……そう、ですね」


「へーどんな人なの?-」


そこからこの二日間しか知らない「お姉ちゃん」のことを話した。奏楓については神様ということ以外は知っていることは少ない

 小さい頃の思い出話もあるわけがないので、曖昧な返事でお茶を濁すしか方法がなかった。その度に女子生徒からは不思議な顔されたが、うまい返しができるほど小鳥遊祐希は経験値は多くない。

 ノリが悪いと思われていないだろうか。そんな不安を残しながらメモアプリを開いた。

『女子と話す』○



「先生、漢字の送り仮名が間違っていますよ」


「あ、本当だ。……ありがとう小鳥遊くん。みんなもそういうの見つけたら積極

的に指摘してね」


手を挙げる時がこれば手を挙げる。多少の勇気はいるが、心配することはない。必ず答えられる問題にだけ手を挙げればいいのだから。

毎回じゃなくても先生に印象を与えられればそれだけで勝ちだ。

『授業中積極的に発言をする』○



「あの先生ここがわからないんですけど」


「うん。どこかな」


 数学は元々苦手だ。数字を見ただけで頭が混乱する。問題文での計算が出てきた日には頭を抱えて軽く一時間は次には進まない。


「ここなんですけど」


「あーここはね--」


 わからないがわかれば問題が解ける。問題が解ければテストでの成績が上がる。成績が上がれば、先生や生徒からも信頼される。

 信頼されれば、もう何も怖いものはない。あくむのような人生を送らないで済む。

『先生と話す』○



「先生、俺持ちますよ」


 騒がしい教室で女性の先生がプリントを両手で抱え込もうとしたところに声をかけた。

 ただでさえ教師は手提げカバンに入った自身の授業用具も持たなければならない。そこに生徒から回収したプリント類を持つのは大変だろう。

 高層ビルのように積み重なっているわけでもないが、ここで重要なのは意思を見せることだ。


「あー悪いね」


「いえいえ、それでどこまで運びましょう」


「職員室まで頼むよ」


「はい」


運び終えたあとお礼を言われながら職員室を後にした。そしてスマホを取り出してメモアプリを起動する。

『先生の手伝いをする』○



 数日をかけ着々と掲げた目標に丸が付いていく。実に順調だ。

 一つ懸念点があるとしたらわざわざ調べた友達作りの要項が全く活かせてないということだった。

 相手を怒らせないために敬語を多用した。ほとんどが受け身だったため相手の髪型や持ち物への話題はできなかったし、そもそも会って間もない人に対して髪型に触れるほどの勇気を持ち合わせてはいなかった。

 人の表情の違いも機微の変化も見分けられるはずもなく優しさという優しさを見せられる場面もなかった。

 これは友達を作るための方法だったはずが、そのどれもを使えこなせていないとなると不安が混ざり始める。現状、悪い状況にはなっていないからいいが、なるべく早く活用しないとどこかでボロが出てしまいそうだった。

 しかし現状は順風満帆。生徒たちからも、先生たちからも『小鳥遊祐希』という人間が好印象に見えていることはまず間違い無いだろう。もはや転校初日に遅刻したことは枷にもなっていない。

 

 それらまた何日か経った頃だった。


「あ、あの……」


「なぁ、いいだろ。そんな怖がるなって」


「や、やめて……ください」


 一人帰路につく祐希の視界の隅にそんな光景が映った。坊主スタイルの髪をトップ立たせている若い男が制服を着た少女にしつこく迫っている。逃げようにも少女は体を密着させられ、体を自由に動かせないでいる。

 五時頃だというのに田舎の街には人の影はなく。祐希だけがその場で見て見ぬ振りをしていた。

 男の行動は過激化していく。


「い、いや……」


 恐怖で声が出せず、否定する言葉は静かなこの場所には響かない。

 拳を強く握る。

 止められるのは祐希だけ。声をかければ撃退できるはずだ。けれども未だにその光景は視界の端にあり、今にも消えてしまいそうだった。

 関わりたくない。怖いものから逃げて何が悪い。

あの状況に口を挟むことが祐希である必要はないはずだ。今は誰もいないががあと数秒もすれば誰かが異変に気づく。幸いここは田舎道なので建築物が少なく見渡しは良い。

 激しい動悸に知らんぷりをして足を踏み出す。まぶたにこれでもかという程力を入れて視界を遮った。

 だが、数歩歩いたところで立ち止まった。

 もし祐希が助けたのなら、あの少女はもちろん、学校の人たちからの信頼と好感は跳ね上がることが想像できる。でも、少女を助けなくてもきっと今の祐希の地位は変わらない。

 何度も考えるが、無意味な行為だという結論がループする。


「あ、あの……」


考えとは裏腹に誰に聞こえるわけでもない独り言のような小さな声と一緒に顔を向ける。しかし届かない声に反応を示すわけもなく、なんの解決にもならない。

 再び侵攻方向に向き直した。

 今の一言でも相当な勇気が必要だった。けれども空振りに終わり、改めて恐怖が支配する。

やはり無理だ。きっと違う誰かが助けてくれる。祐希よりもその誰かに英雄の称号を渡した方がいいに決まっている。

 祐希にできることは目を瞑って逃げるようにこのまま進行方向に足を動かすことだけだった。

 頼むから、誰か来てくれ。


「ほら、怖くない怖くない。きっと楽しくなるからさ」


「--た、助けて……」


 助けを呼ぶ声はとても小さかった。あれが少女の精一杯だ。そんな声を聞いて颯爽と助けに来る者は本物のヒーローだろう。

 しかし、そんな人はいない。誰にも聞こえないほど小さな声だったのだから。

 --祐希を除いては。

 他の誰でもない小鳥遊祐希には聞こえていた。視界を遮ったことで他の五感が鋭くなったのか、祐希の耳には確かに届いた。まるで祐希に助けを求めるように。

 もう、考えるのはやめた。


「--あ、あの!嫌がってますよ!」


「あ?」


たった一文字で、祐希を震えがらせる。低くて鋭い声に思わず耳を塞ぎたくなるほどだ。


「なんだよ。お前この子の彼氏かなんかか?」


「……違います、けど」


男に気押されおざなりな勇気に綻びが生まれる。


「じゃ、お前には関係ないだろ。どっか行けよ」


「その子を離してください。嫌がっているが見てわかります」


「もう少しで、了承を得られたんだよ。だから邪魔するな」


 祐希は視線を少女に写す。彼女と目が合うと男の言葉を否定するように首を目一杯横に振った。


「嫌がってます」

 

祐希を睨みつける視線。それだけで人を殺せるのではないかと思うほど鋭利だ。


「……警察、呼びますよ」


「あ?お前にできるのかよ」


 威圧的な態度。

 ごそごそと男は祐希を視界に入れたまま自分のポケットの中をいじる。十徳ナイフを取り出し、祐希の腹部に突きつける。


「ほら、どっかいけよ」


 それができたら、最初からここにはいない。

 さすがに刃物が出てくることは想定していなかったから、焦りと恐怖が混ざり合う。汗も至る所から出ていて気持ち悪い。


「早く行け」


 溢れ出る恐怖を全て右手に込める。するとウ〜ンと正義の味方が駆けつける音が聞こえた。


「--もう、警察呼んでました」


 実は男に声をかける前から祐希は警察へ連絡していたのだ。今のやりとりは警察が来るまでの時間稼ぎだった。


「クソっ--」


 男は片手で掴む少女ともう一方でナイフを向ける祐希を一見した後、毒を吐きその場から逃げようとした。

 とっさに祐希は男の腕を掴む。鍛えられた筋肉がそれを拒むが目一杯力を込めた。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 文字通り。恐怖が頭を支配する。


「離せよ!」


 手は簡単に振り解かれる。元々筋力に差がありすぎる。あくむならともかく祐希は非力だ。握力もない。

 男は駆け出し、目の前から遠ざかっていく。もう手を伸ばしても掴めない。


 --だから、男の体に突っ込んだ。


 倒れこむ男の腹部あたりに両手を回して離さない。


「クソっ離せって!!離せよ!!」


 地面と激突して鼻血を出しながら叫ぶ。もがく。ジタバタと足が暴れる。


「おとなしくしなさい!!」


 やがて祐希に加え警察が男を取り押さえる。


「クソっ……なんだよ!!おい!!覚えとけよ!!絶対に後悔させるからな!!」


 誰も聞く耳を持たないが、祐希だけは男から睨まれ、その言葉が耳にこびりつく。



 パトカーに乗せられたのを見て、やっと安堵した。


「……ふぅ--」


「……あ、あの、ありがとうございました」


 少女は祐希に頭を下げる。よく見ると少女の着る制服は海鈴高校のものだった。


「大丈夫だった?」


「……はい。あなたのおかげで……」


 そこで恐怖が限界突破し少女は泣き始めた。

 しばらく見守っているとやっと安心してきたのか涙は引き始める。


「ごめんなさい……」


「大丈夫だよ」


 そこから二人は一時間ほど事情聴取をされその後家に帰った。



『昨日愛知県の××市でわいせつな行為をしたとして男が逮捕されました』


 それは昨日祐希が出くわした事件だった。

 実名は報道されていないものの被害にあった少女を助けたとして、祐希のことも紹介されていた。


「へーめちゃめちゃ近所じゃないですか。怖いです」


 昨日のことは奏楓には話していない。

 祐希は我関せずと言ったように朝食の食パンを食べる。


『--絶対に後悔させるからな!!』


 頭の隅に残る男の言葉。すでに逮捕されたとはいえ、報復されるという一抹の不安が残る。おそらくだがあの男は近いうちに釈放される。そのことを考えると、身震いが止まらない。

 やがて、登校時間になり家を出た。


 昨日遭遇した小さな非日常は新聞の見出しを飾ったわけでもなく、残念ながらよくある事件の一つとして処理された。明日には誰の記憶にも残らず忘れられていることだろう。

 そんな気持ちでB組の教室をくぐった。


「あ、それな」


「怖いよね。すぐそこだよ」


 会話の内容的にそれが昨日のことを言っていることがすぐにわかった。身近に潜む恐怖のせいか雰囲気が暗い。


「おーい。席につけよー」


 相沢先生が呼びかける。


「あーみんなも知っていると思うが、昨日この近くで不審者が出た。被害者はうちの生徒だ」


 そこでクラスが騒つく。

 近くとは言え、ニュースでは実名の報道はされておらず、その身元も関係者以外は知らない。だから、祐希以外の生徒はその被害者が海鈴高校の生徒だと今初めて知ったのだった。


「幸いにも、通りすがった人物のおかげでその子は無事だった」


 そこで一瞬相沢先生が祐希の方を見た気がした。


「犯人は刃物を持っていたらしいが幸いにも負傷者は出ず、無事に逮捕された。みんなも十分気をつけてくれ」


 その後、好奇心が強い生徒たちはその被害者が誰なのかという話で持ちきりだった。

 名前が挙がったのは「かおり」と言う二年A組の生徒。根拠が何かは不明だったが、信憑性があるとすればその生徒は今日学校を休んでいるということだった。

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