5話 願いの叶え方


 掃除当番がどうとか日直がどうとか、色々言っていたが知らない名前で埋め尽くされた黒板を見ることは祐希にとっては億劫だった。

 これからどうすればいいのかと頭を悩ませていると時計の針は十時を過ぎたところで終業のチャイムを鳴らした。

 一気に賑やかになる教室を耳で感じながら下校しようとバックを背負う。

 早くこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

自己紹介は失敗に終わり、生徒からは奇怪な目で見られた。さっきまでの時間もやたらと視線が気になって仕方がなかった。運動もしていないのに変な汗が頬を流れて、妙に緊張した。

 目を合わせると死ぬことを覚悟して、そっと後ろの扉から教室を出ようとした。しかしその行先をとある女子生徒が止めた。長い黒髪をなびかせて、満遍なく笑う。

 扉しか見えていなかった視線にちょうど彼女の目が横入りした。キラキラと宝石のように輝く目に後退りしそうになった。


「……うっ」


「ねぇねぇ、小鳥遊くん。どうして今日遅刻してきたの?」


とうせんぼする生徒がそう尋ねると、どっと人の波が祐希におし押せた。その全員がB組の女子生徒だった。

「私も気になる!!」「ねぇ、どうして?」「聞きたい聞きたい!!」「小鳥遊くんかっこいいね」「小鳥遊くんはどこから来たの?」「今日からよろしくね」

あっけに取られた。

もはや『小鳥遊祐希』という虚像は建築不可能だと思っていた。

しかしこの想像を大きく裏切る結果を見るに、どうやらまだ希望はあるらしかった。そうとわかると今まで頭を悩ませていたまとまらない考えをかなぐり捨て、未熟な笑顔で女子と対応した。


 かれこれ十五分。

 女子の波は引き、教室の人口が一気に減少した頃、祐希も教室から出る。その間右腕を扉にぶつけ、小さく悶えた。

 慣れてなかったからか、この数分での疲労感が尋常ではなかった。頭もまだモヤモヤとして晴れてはいない。早く帰って横になりたかった。

 転校生という物珍しさゆえか、それとも転校日に大遅刻という前代未聞なことを成し遂げた奴の顔が見たいという興味本位か。どちらにしろ『小鳥遊祐希』の名前は今日だけで学校中で注目せれるものとなった。

 昇降口で上履きから外履へと履き替え学校の校門を後にする。来た道は何度も確認し、いやでも覚えているのでもうあの地図を見る必要はない。




「……」


 余裕綽々と帰り道を闊歩した祐希だったが、絶賛迷子中だった。

 理由は単純。

 思っていたよりも覚えていた道順が不十分だったのだ。そんな曖昧な記憶を頼りにしながら進んだものだから、結果自分の所在がわからなくなった。

 周囲には高い建物はなく、ただでさえ広く感じていた空が一層その面積を増やしたように見える。太陽は斜め上にあり、これから本気を出し始めそうだった。

 焦り始めたのか、太陽の暑さのせいなのか祐希の頬を汗が伝う。

 状況把握のため改めて周囲を見渡す。

 すると遠くの方に遊具らしきものが蜃気楼のように見えた。

 目を凝らしてその公園に視力を集中させる。あくむとは違い祐希の視力は高く、くっきりと遊具の輪郭を捉えることができた。

 自己主張が控えめな色。渦巻き型の滑り台をはじめとした遊具たち。

 見覚えがある。

 それは登校時に祐希に救いの手を差し伸べたありがたき公園様であった。そして今も再び祐希の元へ姿を現し道しるべになられている。

 心中両手で拝んでいた。

 一安心した祐希は迂回しようと体を捻った時。

 廃工場の白砂利に埋もれているそれが太陽の光を反射し、両目を攻撃したのだ。


「……ピアスか」


 拾い上げたそれは、銀フレームに青色の宝石が埋め込まれたピアスだった。

 見た目の綺麗さから最近落とされたものであると推測できる。だが、廃工場の駐車場らしきこの場所には少々洒落っ気が強いため疑問符が浮かんでしまう。

 落とし主が探しに来ることを考え、せめて見つけやすいところに置いておこうと、近くに設置してあった木製の柵の上にそっとピアスを置いた。



 玄関のドアを開いて靴を脱ぐ。

 リビングの扉を開けて中に入ると「お帰りなさい」という声が聞こえた。まだ聞き慣れないその女性の声にびくっと肩をあげる。


「た、ただいま、です」


 ここは祐希の家ではあるが、慣れない家の内装と会って間もない異性との二人暮らしに気が休まることはない。


「少し帰りが遅いようですが?もしかして道に迷ったりしてました?」


 冗談のように言った奏楓だが、図星を突かれ祐希は頬をかく。


「あ、えっと、学校のことをいろいろ説明されまして……」


 右も左も分からない状況で仕方がないとは思うが、この歳で迷子になっていたなんて言えず、事実とは異なる理由で言い訳をした。


「…すいません。大丈夫でしたか?」


 申し訳そうに奏楓は聞いて来る。祐希はそれが何を指しているのか気づき、


「まあ……大丈夫だった、です」


 そこで思い返す、今日の自分の不甲斐なさを。


「いやーうっかりしてました……これからは気をつけます。で、改めて、これからよろしくお願いします」


「あ、はい」


 これからこの場所で、『小鳥遊祐希』として生活していく。

 やはり改めて考えるととても現実味のない話だ。でもこれは紛れもない現実であり、目の前にいる女性は神様なのだ。

 正直見える未来は暗いものだ。今日それがわかった。

 足踏みばかりの自分が情けない。逃げてばかりだったからこそ一歩進むことがこんなにも怖いことだとを思い知らされた。

 だから攻略法を祐希なりに考えた。

 自室に行き、さっき奏楓から渡されたスマホのメモアプリを開いた。

『女子と話す』

『男子と話す』

『先生と話す』

『授業中積極的に発言をする』

『先生の手伝いをする』

『友達を作る』

『昼食を一緒に食べる』

 等々。そして最後におまけ程度で『彼女を作る』と打ち込んだ。

 これは目標。積極的にここに書いた行動を実際に行い、この項目に丸をつけていく。やるべきことが明確に慣れば、多少なりとも動きやすい。

 もちろんこれは祐希なりに考えたもので、この行動をすればうまくいくなんて根拠はどこにもない。ただ一つ言うのであれば、これは全てあくむはとらなかった行動だということだ。

 あくむにはいじめられていたという事実がある。小学校の頃はともかく高校ではあくむにも少なからずいじめられる理由があった。だから、それを反面教師とすれば何か見えてくるのではないか。

 全ての項目が丸で囲まれたときそこにはあくむではなく、『小鳥遊祐希』がいることを信じて。



 部屋着に着替えようと、ふと制服のブレザーのポケットに何かあることに気がつき、取り出して見るとそれは奏楓の画いた地図だった。

 家を出る前に「地図を画くので安心してください」と言われたが、蓋を開けてみればこれだった。

 三十分の遅刻でも同級生たちの反応は好感触と捉えることができた。だが、それはまだ許される範囲だっただけで、あれ以上遅れていたなら態度が変わっていたのかもしれない。この地図を捨てて引き返していたら、もっと学校に到着する時間は遅かったかもしれない。

 そう考えるとこの地図はあったほうが良かった。だが、やはり一番はこの地図がまともであることだった。

 二階にある自室から一階に降りた祐希は奏楓に地図を見せる。


「これは、なんですか?」


「どう見ても私が画いた地図ですね」


「よくこれで地図としての役割が果たせると思いましたね」


「もしかして祐希は地図を読むのが苦手なんですか?困りましたね。私的にはかなり簡易的に画いたつもりだったんですけど。私としたことが、祐希の知能指数を見誤りましたかね」


 さらっとひどいことを言われた気がするのだが、今回は気にせずに進める。

 どうやら奏楓には自分の絵心の無さに自覚がないらしい。驚きである。


「うさぎって描けますか?」


「なんでですか?」


「興味本位です」


 奏楓は紙とペンをダイニングテーブルの上に持って来て、ペンを紙の上で走らせた。時折「んー?」と唸りながら考える仕草を見せながら五分程掛けてでき上がった。


「はい、できました」


「ん……?」


 確かにそれはうさぎの耳が長いという特徴は捉えていたが、そこ以外は全くうさぎではなかった。

 異様に胴体は長く、二足歩行を思わせる描き方で非常に気持ちが悪い。


「なんですかこの化け物」


「うさぎです」


「え?」


「可愛いうさぎです」


 一体あの悩む仕草はなんだったのか。どこを悩んだというのか。とても五分も掛かるでき栄えとは思えない。


「うさぎが嫌いなんですか?」


「いえ、好きですよ」


 なんの嫌悪も抱いていないのにこんなにも悪意を込められるものなのか。


「き、キリンは描けますか?」


「簡単です。特徴を捉えれば描けない人はいませんよ」


 やけに自信満々に言うものだから少しの期待を抱いた。

 うさぎよりも早く描き上げたそれは確かにキリンの特徴である長い首をしていた。だが、そのほかにも胴体、前足と後ろ足も首と同じくらい長く、特別首が長いという印象は受けなかった。体の斑点とも相まってダルメシアンとも思えなくもない。いずれにせよ気持ち悪い。


「……いた。描けない人……」


「?」


「このキリン自己採点でいくらぐらいですか?」


「そうですねー七九点くらいですかね」


 微妙に謙遜しているところがまた……。いっそ百点と言われたほうが清々しい。


「このうさぎは……?」


「八六点ですかね。まだまだです」


 一体どこらへんに八六点の要素があるのだろうか。謙遜しているように言うが顔はまんざらでもなさそうにずっとニマニマとしていた。




 夕食後、リビングにあるテレビを見て一息付きながらスマホに触れる。

 昼間に書いたメモアプリの目標を眺める。

『女子と話す』

『男子と話す』

『先生と話す』 

 改めて確認すると、実に馬鹿馬鹿しい。

 これはわざわざ目標として設定するものなのか。

 普通の高校生活を送っていたらこんなものは日常茶飯事でわざわざ意識することもないだろう。この三つは特にそうだ。一体どれほどの人がこの目標に苦戦を強いられるのだろうか。

あくむに驚愕すると同時に祐希にも不安が生まれた。

 メモアプリを一度落として検索サイトを開き「友達 作り方」と打ち込んだ。ヒットした複数の記事の中から一番上のサイトを開いた。

 その記事には友達の作り方についての方法がいくつかの項目に分けられ記されていた。

 「笑顔」

 最初に記されていた方法はそれだった。

 祐希は口元に意識を集中させ口角を上げることを意識する。教室の前ですでにやっていたことだが、改めて難しいと感じる。

 使い慣れない筋肉を動かすことは容易ではなくどうしてもぎこちなくなってしまう。これを数分でこなそうとしたのがそもそも無理な話だったのだ。


「……何してるんですか。気持ち悪いですよ」


 口角を目一杯上げていたため奏楓が不気味そうに聞いてきた。


「い、いやなんでも、ない……です」


 見覚えのあるやり取りをした後にまた同じ恥ずかしさと気まずさを覚えながら、スマホの画面を下へとスクロールする。

 次の項目には「ポジティブ」と記されていた。

 「でも」や「だって」と後ろ向きな言葉を使うのではく「大丈夫」や「できる」などの前向きな言葉を使うこと。

 次は「優しさ」

 人を気にかけ困っている人がいれば「大丈夫?」と声をかけられる優しさ。そんな人は誰からも好かれるようだ。

 他にも言葉遣い、挨拶、質問の回数、頼みごと、持ち物や髪型を褒めるなどためになる情報が多く記載さていた。

 自分の不甲斐なさを忘れたわけではないがそんな情報を得られただけで自信と明日への期待が湧いて来た。

 すると突然どこからか機械的なアラーム音が鳴った。


「あ、お風呂湧いたみたいですね。先入っていいですよ」


 今日は色々あり心身ともに疲れ果てたので、その言葉に甘えダイニングチェアから腰を上げた。

 ボーとしていたためか、ダイングテーブルの脚に小指をぶつけてしまう。その痛みはどの体になっても共通で、遅れてやってくる痛みに静かに悶えた。

 桶でお湯をすくいおもいっきり体にかけた。思った以上に体は冷えていたようで、その熱さに悶えながらも、もうひとすくいしてさらにかける。一回目ほどの熱さは感じなかった。

 髪と体を洗い、湯船に浸かると、ふぅーと気の抜けた声が漏れた。

 しばらくしてから、自分の両手を見る。

 この一日でわかったことがあった。


 --自分ではない体を操るのは気持ちが悪い。


 十六年ともに成長した馴染みの体ではなく見知らぬ『小鳥遊祐希』の体。だから違和感が生じてならないのだ。

 両手を軽く握り、開く。

 こんな何の変哲も無い動きでさえ、感覚がズレているようで気持ちが悪い。

 微妙なあくむとの身長差。見慣れない高さからの風景。自分のつま先を見下ろした時の脚の長さ、歩数の違い、体毛の量、視力、好み、力の入り具合、前世では意識していなかった体のバランスの取り方、四肢を動かす時の体の重み、自分の間合いの理解、体力の違い。何から何まで違う感覚。


 --気持ち悪い。


 普通意識しないところまで気になるようになった。これがとてつもなく鬱陶しい。

 そんな敏感になった感覚のせいなのか頭の中はずっと靄がかかって晴れない。これもあくむと祐希との間によって生じるズレなのだろうか。

 この靄のせいでうまく思考回路が回らない。

 何かを深く考えようとすると靄は濃くなり、意識がそっちに削がれてしまう。それがストレスだと感じるのは当たり前のことだろう。 

 しかしもうあくむを感じさせるものは記憶以外何一つ残ってはいない。名前を始め身体能力などあくむを構成するものは祐希にはない。そう思うと妙に嬉しかった。

 お湯を両手ですくい顔にかけた。

 体が十分に温まり、疲れも多少取れたのでそろそろ出ようと立ち上がる。脱衣所に繋がる扉をスライドさせると、


「あっ……」


「ひゃっ……!?」


 脱衣所には奏楓がいた。

 祐希は瞬間的に扉を勢いよく閉めた。


「な、ななな何してるんですか!?そんなところで!?」


「いやーそういえば祐希の着替えの下着やパジャマとか用意してなかったなと思いまして」


「そ、そうですか。でも場所教えてくれれば自分で行けましたよ」


「いや、さすがの私も男性に裸で周りをうろちょろされるのはちょっと……」


「し、しませんよ!!そ、そこに置いといてください」


「はい。ここに置いておきますね。……それにしてもなんですか『ひゃっ』って、女子ですか」


「そ、そりゃびっくりしますよ!!何で声かけないんですか!!」


「弟の体で欲情なんてしませんよ」


「そういう話じゃないですよ!!」


「別に減るものでもないじゃないですか」


「そんな言い訳がまかる通るなら痴漢で捕まったりしませんって!!」


「大丈夫です。お姉ちゃんは無敵ですから、警察になんて負けません」


「そこは折れてくださいよ。安全な生活をおくる為の法律なんですから」


「お姉ちゃんは無敵なので関係ありませんね」


「そんな最強生物の呼称じゃないですから」


「なら私は元神様です」


「最強じゃないですか!!」


「そんなに恥ずかしがるなんて祐希は乙女なんですねー」


「……もういいですから早く出て行ってください。着替えありがとうございます」


「はい。では失礼します」


 そう言うと脱衣所から出ていく音が確かに聞こえた。その音を聞き、もう一度扉をスライドさせた。念のためゆっくりと。

 そこには奏楓の姿はなかった。祐希はホッとして風呂場を出る。

 体を拭き、奏楓が持ってきてくれた下着を履いて、パジャマを手にとった。


「何だこれ」


 それはデフォルトされたたぬきのイラストが背中側にプリントされており上下セットで着ると二本足で立っているたぬきが現れるようになっていた。

 その絵はどこか気持ち悪く、奏楓の絵にも似た絵柄である。


「……どんなセンスだよ」


 別にパジャマにこだわりはないので着てみる。正面側には「ぽん」と覇気のないフォントで書かれていた。


「……」

 祐希はそのまま脱衣所を出ようとした時、左肩を扉にぶつけまた静かに悶えた。

 こうして『小鳥遊祐希』の生活一日目が終わった。

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