4話 二年B組

「はぁ、はぁ、はぁ……」


目的地の高校の正門前で膝に手をつきながら尋常じゃない疲れに顔を歪ませていた。右手には奏楓のかいた地図をくしゃくしゃに握り締めている。


 時間は少し遡る。

 祐希は口頭で教えてもらったところまでたどり着いたので、この先からは奏楓にかいてもらった地図を頼りにしながら進もうと、四つ折りで渡された地図をここで初めて開いた。


「…………なんだよこれ」


 十数秒の思考の末、そんな言葉が漏れた。

 奏楓がかいた地図。

 それは地図ではなく子供の落書きだった。

 簡単な道順と目印になるものだけが描かれているはずなのだが、まるでわからない。文字で書けばいいもをなぜか絵で表されていているが、その絵が絶望的に下手なのだ。

 まず上下左右の向きは合っているのだろうか。

 何度も向きを変えながら正しい方向を導き出そうとする。時には目を細めたり、見る角度を変えてみたりとできることをしてみたが、さっぱり理解できなかった。

 一番理解できなかったのが地図の右下にある茶色の色ペンでとぐろを巻いているもの。どう見たってアレにしか見えない。なぜこれを描いたのか奏楓の感性が計り知れなかった。

 祐希は絶望した。

 初登校での遅刻というのは非常にまずい。

 『小鳥遊祐希』としての生活をスタートした今、学校側からの評価というのはとても重要だ。それは周りの人間の『小鳥遊祐希』の印象にも繋がってくる。

 第一印象が悪いとそこから好印象を与えるのは難しいのだ。もし、与えられなけらばあくむの願いは叶えられずに終わってしまう。

 後ろにあったカーブミラーに目をやる。

 奏楓が背中を押してくれた髪の毛は、まだ乱れていない。だが、『小鳥遊祐希』として生きていくと決めてから一時間も経たずに、早くも終止符が打たれようとしていた。

 もう一度奏楓の地図を見る。

 何度見たってかいてあるものは変わらない。

 諦めるしかないのか。

 今から引き返して正確な学校の場所を奏楓に聞くのが得策だろう。

 地図から視線を話し、回れ右をしようとした時だ。


 --とある公園が視線に入った。


 そこは大きな池を中心に周りが舗装された公園。その広い敷地の中の小スペースにある自己主張が控えめなベージュ色で塗られた遊具たち。その中の渦を巻くように作られた滑り台が気になった。

 視線を地図へと移す。


「……これ滑り台か?」


 絶望的な絵だがよく見れば渦巻き型の滑り台に見えなくもない。ここまでの道のりは間違っていないと思うので、この地図に画かれているアレのようなものは今祐希の目の前にある公園のことを指していると推測出できる。

 そうとわかればあとは道順を確認するだけだ。他にも目印が下手な絵で描かれているのだが、解読している余裕はないので公園からの道順だけを確認し、また一歩を踏み出した。


 --しかしそう上手くはいかなかった。


 問題が二つあった。

 一つ目は絶望的な地図のせいかその絵は全く記憶に残らず、何度も確認しながら進むことになったこと。

 二つ目は祐希にはあくむの身体能力が反映されていないということだった。

 外見が『小鳥遊祐希』となったことでその体も『小鳥遊祐希』個人のものとなり、あくむの有していた身体能力もなくなったのだ。

 祐希はあくむと比べ体力が少なく簡単に息切れを起こした。前世の感覚のまま走ると祐希の体は悲鳴をあげるのだ。


そこから震える足を動かしなんとか目的地である高校にたどり着いたのだった。

まだ回復しない体力に顔をしかめながら校舎に目をやった。

 市立海鈴高等学校。

 これから二年間祐希が通うことになる学校だ。


「あら、君は……?」


 祐希に声をかけたのは五十代ぐらいの事務員の女性だった。


「あ、えっと……す、すいません。今日転入する木山……た、小鳥遊祐希なんですけど……」


「君が?何やっているのこんな時間に来るなんて。先生たちが心配していたわよ」


「すいません……」


 もう一度謝罪した後、祐希はその事務員さんに職員室に案内され、先生たちに説明してくれる。


「もっと早く来ようね」


 そう声をかけたのは髪に少しの白髪を入れた五十代前後の男。この海鈴高校の校長先生だ。言葉は優しいが顔は笑っていない。


「すいません」


 腰を少し折って謝罪をする。怒られてもおかしくないこの状況で、祐希は身構えた。だが、


「もうすぐ君の担任の先生が来られると思うんだけど……あ、来られたね」


 祐希を咎めることはなく、優しい口調で受け入れた。

 校長先生は視線を祐希の後ろに向ける。それにつられ祐希も顔を後ろに向けた。

 廊下の向こうから一人の女性が歩いて来る。


 --それはまるで、レッドカーペットを歩いているかのようだった。

 

 女性に適切な言葉かはわからないが、歩く彼女はとてもカッコよかった。タキシードのような黒色のベストをきっちり着こなし、股下の長いパンツは持て余すことなく履いている。

 長い黒髪を後ろで結い、動きの少ない上半身に伴ってゆらゆらと上品になびかせている。

 祐希の目の前で立ち止まった。祐希自身背が小さいわけではないがそれでも少し視線を上に上げてしまう。


「こちら君のクラス、二年B組の担任の相沢恵先生」


 校長先生がそう説明してくれる。


「二年B組担任相沢恵だ。これからよろしく」


 そう言って相沢先生は手を前に出してくる。握手ということだろう。

 祐希はそれに従い「よろしくおねがいします」と言って相沢先生の手を握る。


「では小鳥遊くんをよろしくお願いします」


「はい」


 校長先生と相沢先生が軽く話した後、祐希は相沢先生に二年B組のクラスに案内される。  

 教室に向かう間、しばらく無言で気まずい空気が生まれた。

 何か話題を振って会話をした方がいいのではないか、そんな考えが頭に浮かぶ。普通はどう言った話で盛り上がっているのだろう。会話以前にろくに友達もいなかった祐希にはわかるはずもなかった。

 そんな空気を相沢先生が壊した。

 相沢先生は遅刻したことへの注意喚起と今クラスは何をしているのかという説明をしてくれた。どうやら既に始業式は終わったらしい。

 しばらく相沢先生の話すことに不細工な相槌を打ちながら聞いていると、


「だが、やはり遅刻はダメだね。初登校での遅刻。それは教員達の信用にも繋がる。もしかすると君が関わる人たちにも悪印象を与える可能性がある。だから二度と遅刻はしたらダメだよ--木山あくむ君」


 淡々と話すものだからただの気を使わせた会話かと思っていたが、最後のその名前が祐希を凍りつかせた。

 祐希は立ち止まる。それに気づいたのか、それともそうなると知っていたのか、相沢先生も祐希の数歩先で立ち止まり、後ろを--祐希の方に振り返る。

 無意識に相沢先生を睨む。先生とは言え自分を『木山あくむ』と認識して発言された言葉に警戒をせずにいられない。

 相沢先生はニヤリと不気味に笑った。


「フッ……そんな警戒しなくてもいい。私は君の味方だ」


 それでも警戒を緩めないのは前世の悪い癖。人を簡単に信用しないようにしていたからだ。


「……あなたは神様ですか?」


 たとえ木山あくむのことを知っていたとしても、今の祐希にはそんな面影すらない。だのに相沢先生は小鳥遊祐希が木山あくむであることを的中させた。

 そこから考えられるのは神様である奏楓に精通している『神々』の一人ということだ。


「はは、そんなに強張るな、君にそんな顔は似合わないよ」


 そう言われてハッと気づく。今自分はそんなにも力んでいたのかと。無意識に。気づかないうちに。知らず知らずに。

 これも悪癖と言うのか。気をつけなければ、この生活に支障をきたすかもしれない。


「まあ、遅刻の件は置いといて本題を話そうか」


 その言葉に祐希は身構える。

 ここは職員室から少し距離がある廊下の中央。今は授業中でもあるため足音は聞こえない。静かだが、そのぶん声がよく通る。

 第三者が聞いても今までの相沢先生が告白した内容が理解できる人はいないだろう。それでも祐希は他の誰かに自分の正体がバレることに恐怖してしまう。

 ブワッと背中から冷たい汗が噴き出す。


「言っただろう。私は君の味方だ--」


 ゴクンと生唾を飲む。

 聞こえるはずはないけれど、廊下の静かさゆえに聞こえてしまいそうなほど大きく祐希の体内で響く。


「--だから、困ったら頼ってくれ。担任としての責務というわけではない。私は君の力になりたいんだ。それを伝えたかった」


「--!?」


 てっきりその情報をタネに脅しまがいなことをされると思っていた。だから想定していたものとは真逆な内容に驚きが隠せない。

 一度深呼吸をして精神を落ち着かせる。

 すると思っても見なかった言葉が祐希の口から漏れた。


「……信用できるんですか」


 もともと人間不信ではあるが、文字通り命を張って助けた奏楓の存在は大きく彼女以外の言葉を鵜呑みにはまだできない。


「それは君の勝手な解釈によって築かれるものだ。私がいくら本当のことを言っても君自身がどう思うかまでは保証できないからな。だが、私は君の味方。この部分に嘘はないよ。絶対に」


「……」


 それは相沢先生の言う通りで、そんな言葉に易々としっぽを振るほど祐希の心は綺麗ではない。


「じゃ、そろそろ行こうか」


 相沢先生は前に向き直り、再び歩き出す。

 祐希は数歩間を開けて相沢先生の後ろについて行った。

 



「着いたぞ」


 相沢先生がそう言ったことで祐希は顔をあげた。


「ここが、君がこれから一年を過ごす二年B組の教室だ」


 教室の扉は閉められていて中の様子は伺えないが、室内から漏れる男女の声が祐希の鼓膜を刺激した。

 初登校で遅刻というやらかしでどんな風に思われているかわからない。

 あくむという人間を表に出さず『小鳥遊祐希』という人間を最大限演じ、悪いイメージは払拭させる。マイナスからのスタートになってしまったが、これを乗り越えなければあくむの望んだことは叶わない。

 まずは、自己紹介。

 ここである程度の人物像は測れる。

 面白みのある人物はここで人の心を掴み、一笑いを起こすだろう。

 祐希もこの自己紹介で生徒から奇怪な目ではなく、良好な視線をもらえるようにしなければならない。

 元々あくむのコミュニケーション能力は低くはない。やろうと思えばやれないことはないと自分を鼓舞した。


「小鳥遊」


「……はい」


「笑顔だ」


 そう言い相沢先生は教室の扉を開け、閉める。一人で教室内に入り教壇に立った。


「……笑顔」


 緊張と不安、その他のいろいろなものが無意識に顔をまたも強張らせていたようだ。

 ここに鏡があればどんなに良かったことか。祐希には強張っていた時の顔も、笑顔の顔も想像ができない。

 扉から漏れてくる会話の内容的にまだ祐希が呼ばれるには少しの時間がありそうだった。 

 だからその場にしゃがみこんで両手で頬の口角を上げてみる。にー、というオノマトペがつきそうなぎこちない表情。

 口角の上がる感覚を必死に覚える。

 何度も口角を上げては下げ、上げては下げる。


「--こんな時間になってしまったが、転校生を紹介する」


 口角を上げては下げる。


「入っていいぞ」


 意識を頬に集中させていたため相沢先生の祐希を呼ぶ声は耳に入らなかった。


「……」「……」「……」「……」「……」 


 教室が転校生の登場を今か今かと期待し、静まり返っている中。その転校生は数秒たっても教室には入ってこない。


「……何してるんだ?」


 相沢先生が祐希を隠す教室の扉をガラガラとスライドさせる。

 座り込んで両手を頬に当てる祐希と目があった。


「……あ」


「……いや、本当に何をしてるんだ」


「--!?」


「早く中に入れ」


 祐希は勢いよく立ち上がり、教室の中へ入る。

 静まり返っていた教室は祐希が入室したことによって糸が切れたように一気にざわつき始めた。

 一方の祐希は相沢先生に笑顔の練習をしているところがバレたことの恥ずかしさで顔は真っ赤、頭は真っ白になっていた。教室内のざわつきにも気圧されて視線は下を向く。


「……」


「自己紹介をしてくれ」


「……」


 騒ぐ教室内で相沢先生の促しは聞こえただろうか。聞こえていたとしても祐希には声を出す勇気は湧いてはこないだろう。

 集まる視線。

 自分に対して囁かれる言葉の数々。それら全てが悪意に変換され祐希へと伝わる。羞恥心。恐怖心。話すことはおろか顔を上げることさえも祐希には難を孕んだ。


「……小鳥遊」


 相沢先生に肩を叩かれ我に返る。


「あ、あの……」


「自己紹介を」


「は、はい。……た、小鳥遊祐希、です」


 シーンと静まりかえる教室内。誰もがその先を聞こうと耳をすませた。

 けれども、転校生はそれ以上口を開かなかった。

 たった一言で祐希の自己紹介は終わったのだ。 

 恥までかいてした笑顔の練習はなんだったのか、全く活かされていない。そもそも床に自己紹介をしていたのでは元もこもない。

 これでは自分がどんな視線を送られているかどうか確かめられるはずもない。いや、見なくても既に自分が奇異な目で見られていることは容易に想像ができた。


「はい、よろしく。小鳥遊は窓際の一番後ろの席だ」


 時間がないのか、それとも祐希のことを気遣ってくれたのかそれ以上の追求はせず、早々に片付けられる。

 今の祐希にとってもそっちの方がありがたい。

 やってしまったと内心思っていた。こんなはずではなかった、と。

 しかし脳の隅の方からフラッシュバックされる嫌な記憶の数々とこの教室がリンクしてしまう。

 席へと向かうさなかガタンと、とある男子生徒の机に体が当たってしまった。クスクスとちょっとした笑いが起き気恥ずかしくなる。座席主と気まずい感じになりながら慌ててズレてしまった机の位置を元に戻す。

 今更顔を上げることもできず無言のまま通過した。

 再開されたホームルームの時間。

 二年生初日ということでこれからの日程の説明など、業務連絡が続いた。

 あくむのような日常を送らないと意気込んだものの、目の前にあったのは厳しい現実、と言うより不甲斐ない自分自身だった。

 何を調子に乗っていたのだろう。何に期待していたのだろう。注目される外見になって何でもできると勘違いしていたのか。

 間違いを知っているのにまた同じ間違いを繰り返そうとしている。このままでは上手くいくわけがないことは祐希自身が一番よくわかっていた。

 机に肘をつき、頭をかかえる。

 窓から差し込む日の光が祐希の暗い部分を浮き彫りにするかのように眩しく照らした。いっそこの感情も太陽のせいにしてしまいたい。

 こうして新しく始まった『小鳥遊祐希』の学園生活はひどく退屈で憂鬱な感情から始まったのだった。



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