3話 自分に嘘を。

 カーテンの隙間から差し込む光が瞼を刺激し、否が応でも意識が覚醒しようとする。


「--んぅ……」


 長い眠りから覚めた目が、次に周りの景色を映してくれる。


「……」


 知らない天井。自分を暖かく包み込むベッド。大きくも小さくもない男子っぽい内装の部屋。


「……ここは……」


 ベッドから上半身を起こし、まだ完全に覚醒しきっていない脳から記憶を掘り起こす。


--学校からの帰り道に不思議な空間に迷い込み、神と名乗る女性と出会い--死んだ。

 

「……そうか……おれ、死んだのか……」


 思い出した記憶が確かならあくむはあの時死んだはずだ。

 やはり、おかしかったのは世界でも神様でもなくてあくむの頭だったのか。

 仮にそうならあくむが居る場所は自分の家か病院のベッドの上の二択のはずだ。間違ってもこんな見知らぬ誰かの部屋ではない。

 ここがどこか気になり、窓を覆っているカーテンの隙間から外の景色を伺う。

 カーテンで隠れていた太陽の光が瞼をさらに刺激する。

 眩しくて目を閉じた後、ぼやける片目で窓の向こうに広がる世界を見た。


--それは見知らぬ景色だった。


「--!?」


 カーテンを勢いよく開く。

 そこにあったのは見知らぬ住宅街。

 目を移せば木々の緑があちらこちらに多く見える。見知らぬ建物に、見知らぬ道。見知らぬ緑。どれもこれもあくむの住んでいた東京の街にはなかった景色だ。

 外の景色の見え方からしてあくむが今いる部屋は二階だ。

 視線を部屋の中に戻し、窓と反対側にあるドアへと向かい、ドアノブをひねった。


 部屋の外にはフローリングの廊下が他の部屋と下に降りる階段に繋がっていた。

 それは日本の一般的な家の間取りだ。

 疑問は募るばかり。

 一度頬を引っ張ってみたが、ただ痛いだけでこれが夢ではないと証明するだけだった。

 階段を降りてすぐ隣にあるドアを恐る恐る開ける。

 その瞬間、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。

 ドアを開けたそこはリビングで、直線上にはキッチンがあり、そこで見知らぬ女性が料理をしている。


「あ、起きましたか。おはようございます」


 女性はIHコンロの火を止め、フライパンの上の卵焼きをお皿に移す。


「さあ、朝ごはんにしましょう」


「あ、あの……」


 目玉焼きの乗った皿をキッチンの反対側にあるダイニングテーブルに置くと女性はあくむの方を向いて改まる。

 見た目からしてあくむよりも年上ではあるが顔に幼さを残している、長い黒髪のとても美しい女性だ。


「まずは、ありがとうございました」


 そう言って女性は深く頭を下げた。

 彼女の突然の行動にあくむは困惑する。


「あ、あの……」


「私は奏楓かえで。あなたに助けてもらった神様です」


「え--」


 あくむが助けた神様。それはあくむが死んだあの時--。

 とは言うものの今あくむの目の前にいる神様と名乗る女性は、あの時の神様と名乗った女性とは容姿が異なり、首を傾げざるを得ない。


「ああ、これはこの世界に馴染むための姿です。神の体は地上とは相性が悪いので。だから普通、神たちはあの時のように空間を作り出すのです」


 困惑する思考の中に、その言葉はなんとか頭に入った。神様が地上に降り立つ時、その空間は作り出されるらしい。

 確かに、人の目に触れることを避けるための処置だとするのなら納得はいく。人が停止した世界なら人の目を気にすることはない。


 「助けてくれた」と奏楓は言った。それはつまり、あの時あくむは確かに自分の命を使って、死んだということだ。


 なら……。


 自分の両手を見る。

 死んだのなら今見ているこの景色は何なのだ。


 『死後の世界』


 それが一番ありえる話だ。こんな日当たりの良い所だとは思っても見なかったが「そうです」と奏楓が首を縦に降ったのならそれを信じてしまうだろう。


「あなたはあの時、命を使い私を助けました。そして望みましたね。次に生まれ変わった時は笑っている人生を送りたいと。ここはあなたが望んだ場所。あなたは『小鳥遊祐希たかなしゆうき』十六歳の高校生として生まれ変わったのです。残りの人生をここで過ごしてください」


「おれが、望んだ……?」


「はい、ここはあなたが望んだ場所です」


 再度同じことを言う奏楓の顔はふざけていない。真剣な顔をしているわけでもないのだが、不思議とその言葉にはリアリティがあり、あくむを唖然とさせた。


「う、生まれ変わった……?」


「はい」


 あくむの疑問にただ頷くだけでそれ以上の答えは明かさない。


「私はあなたのここでの生活を助けるためにここにいます。ここでの立場的にはあなたの姉になります。よろしくお願いしますね」


 ニコリと目を細めて微笑む。

 現実離れしている現実に頭がついてこない。

 神様という非現実との遭遇がここまでのものを生み出した。もちろん願ったのはあくむ自身ではあるが、こんな形で叶うと誰が予想できただろうか。

 呑気なことに、こんなことが起きているのにも関わらず寝起きの頭は未だボーっとしていて要領得ない。

 右手で頭を押さえながら、川の流れに任せるように思考を漂わせた。


--受け入れる。いつもそうしてきた。


 殴られようが蹴られようが、されるがままだった。だから慣れている。


「……顔、洗ってきていいですか?」


「はい。洗面台はそこを出てまっすぐです。あと、私に対して敬語はやめてください。私たちは血の繋がっている姉弟ですから。ですから私も『祐希』と呼びますね」


 ……少しずれている気がするが、まあいい。

 あくむは洗面台へと向かった。


 蛇口をひねり水を出す。

 頭は靄がかかったようにはっきりしない。

 顔に水をかける。顔は手よりも水の冷たさが沁みる。眠気覚ましにはちょうどいい。

 近くにあったタオルで顔を拭くと、自然と顔の位置は洗面台の正面に来る。すると鏡と目があった。


「--!?……誰だよこいつ」


 あくむ--祐希はその時初めて自分の容姿を知った。

 黒髪の短髪。切り揃えられた眉毛。長いまつ毛に切れ長の目。とても整った顔立ちだ。

 これをイケメンと言うのだろう。そこに居たのは木山あくむではなく、『小鳥遊祐希』だった。


「……こういうことか」


『小鳥遊祐希として生まれ変わった』

 この奏楓の言葉は紛れもなく言葉通りの意味だった。

 『小鳥遊祐希』はイケメンなのだ。木山あくむとは似ても似つかない、全くの別人。

 すると今までの--前世のような生活はできない。


 木山あくむは諦めていた。

 いじめられている現実を『日常』だと言い張り変えようとしなかった。

 だが、あの時。奏楓を助けた時。今までの『日常』を否定し奏楓を助け、願った。その願いはこんな形で叶った。でもそれは形でしかない。

 変えるために与えられたもの、それがこのようしなのだ。

 あくむが願ったことはあくむの記憶があるからこそ叶うものなのだ。間違いを知っているからこそ正しく進むことができる。

 なら、祐希は正しくなければならない。この容姿に反してはならない。

 いじめの影響によって捻じ曲がってしまったあくむはこの体に相応しくない。


 --だからかわる。


 嘘で自分を塗り固め、『小鳥遊祐希』という人間を演じるのだ。

 もうあくむのような日常は送らない。


「--絶対に叶える……!!」


 そう決心し、まるで今までの自分を洗い流すかのように顔に再び水をかけ、泥を拭き取るようにゴシゴシとタオルで顔を拭きリビングへと戻った。


--さっぱりするために顔を洗ったはずなのに、なぜか頭の靄は晴れることはなかった。


「さあ、朝ごはんにしましょう」


「あ、はい」


 祐希が洗面台から戻るとダイニングテーブルに卵焼きの他に二人分のご飯と味噌汁がすでに置かれていた。

 祐希は手前側の椅子に座り、奏楓は祐希と向き合うように座る。


「いただきます」


「……いただきます」


 合掌したあと、まず卵焼きを口に運ぶ。最初に感じたのは違和感だった。

 あくむは甘いものが苦手で卵焼きも砂糖ではなく醤油での味付けが好きだった。だが今は……うまい。

 この卵焼きは甘めの味付けにも関わらず美味しいと感じる。

 苦手としていた甘味がすんなりと受け入れらたことに驚きが隠せない。

 卵焼きを観察してみる。

 その卵焼きは家庭で焼いたものとは思えないほどのクオリティ。焦げ一つなく綺麗な黄金色をしていた。もしかするとこの卵焼きを焼いた奏楓の料理力の高さがあくむの好みを一口で克服させてしまったのだろうか。それとも単に『小鳥遊祐希』の好みなのか。

 違和感にまみれながらも美しい朝食に舌鼓を打っていると、ふと奏楓の後ろにあるカレンダーが視界に入った。そのカレンダーは四月面で開かれている。


「……今日って何日ですか?」


 敬語じゃなくてもいいと言われ、立場は姉になると言うので祐希は元の口調に戻そうとするが、まだ会って間もない相手にタメ口は気が引ける。だからつい敬語になってしまった。

 奏楓は顔を後ろにあるカレンダーに向け、


「今日は……七日ですね」


「七日……」


 祐希は四月面のカレンダーから七日を探す。上から見ていけばすぐに見つかる数字だ。


「……月曜日」


 四月面のカレンダーには七日は月曜日と印されていた。


「確か俺って高校二年生、じゃなかったですか……?」


「はい、そうですよ。今日が始業式であり、祐希の転入日です……ね……あっ」


 奏楓も自分で言っているうちに気づき、祐希の後ろに掛けられている壁時計を確認する。  


「……学校何時からですか?」


「えーと。八時半からだったと思います……」


 只今の時刻は八時十五分過ぎ。

 二人して同じ時計を二度見して、お互い顔を見合わせる。


「……あの時計、壊れいてたりしますか?」


「私的には壊れていて欲しかったです」


「それって、つまり……」


「私たちは焦った方がいいってことです」


 奏楓に手伝ってもらいながら急いで学校の支度をする。学校は違えど着慣れたブレザータイプの制服はすんなりと袖が通った。


「ネクタイ、付け方わかりますか?」


「はい」


「ベルト、キツくないですか」


「大丈夫です」


「……髪の毛が少し乱れていますよ」


「そ、そうですか」


「じっとしててください」


 奏楓が足先を伸ばしたことで祐希の顔と奏楓の顔が急激に縮まる。奏楓は祐希の髪の毛に気を向けていているが、祐希は数センチという女性との距離に緊張する。


「人の第一印象は三秒から五秒の間で決まり、その主な判断は顔によって決まるそうです。肌、口元、鼻、目元、眉毛、そして髪の毛。決して顔が良いからというものではなく、最低限の身だしなみとしてです。そういうところも気にかけたほうがいいと思います」


 前世でそんなところを気にしたことなんてなかった。

 しかし『小鳥遊祐希』として過ごして行くのなら今から習慣をつけるのが良いのかもしれない。


「……はい、できました」


 奏楓は満足そうだ。

 祐希の髪は短くそれほど乱れることはないと思うのだが、やはり違いが出るものなのか。


「カバンとこれ、学校までの地図です」


 奏楓は学校カバンと一緒に四つ折りにされた紙切れを手渡してくれた。カバンを背負い玄関に移動する。

 その間、奏楓から近所までの道のり聞かされた。どうやら地図にはそこから先の道のりしかかいてないらしい


「ではいってらっしゃい、祐希」


「……い、いってきます」


 時刻を確認してから約五分。

 学校が始まるまで残り十分を切っている。『小鳥遊祐希』としてなんとしてでも遅刻するわけにはいかない。

 玄関を出れば見知らぬ世界。戸惑いを覚えるもすぐに歩き出した。

 見知らぬ土地で駆け出せば迷子になる可能性が高い。だから周りを何度も確認し、奏楓に教えられた目印を探す。走ることができない代わりにできるだけ早足で向かった。


 祐希が学校にたどり着くのはその約一時間後のことだった。


 

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