2話 神に願いを、

「--なんだよ、これ……!!」

 期待とは全く違う光景に再び驚いていた。

 今いるのはあくむの家の前。--否、あくむの家があったはずの場所の前だ。


 --そこにあくむの家はなかった。


 まるで宇宙船に家丸ごとキャトルミューティレーションされた後のような光景。

 今は綺麗に舗装された土の下地だけが見えていた。いや、それだけではない。そこにはもう一つ異様なものがあった。

 それはこの世界が失ったはずの色を持つ巫女服姿の女性だった。

 彼女は家の代わりにと言うように敷地の中央部に足を左右に崩し座っている。


「--!!」


 あくむと同じで色と時を持っている。

 それが何かしらの関係性があるのは明白だった。

 今、回れ右をして顔を背け、時間が解決してくれるのを待つなんて考えはこの時間の止まっている世界にとっては不毛なものだ。

 だから彼女と接触するしかない。しかし、体は鉛のように重い。

 足元から敷地との境目はほんの僅か、妨げるものは何もない。なのにあくむには自分の身長よりも遥かに高い仕切りのようなものがあるように感じる。


「クソっ……!!クソっ……!!」


 膝を拳で何度も叩きながら自分を鼓舞する。

 しかし痛みに伴う成果は期待できない。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 深呼吸。

 頭の中を真っ白にすれば多少の恐怖は消える。同時に無駄な仕切りも消えた。

 歩む足は一つ一つが重く、次に進むことを拒んでいる。

 彼女との距離が近づくにつれ、あくむの心臓の鼓動は恐怖で速くなる。背中からは嫌な汗が噴き出して仕方がなかった。

 五感全てが危険だと訴えている。

 それでもあくむは止まれない。ここで止まればもう進むことができないとわかっていたから。

 女性を見る。

 彼女の長い髪はまるでさっきまであった太陽の赤色を全て吸収したかのような綺麗な赤色をしていた。


「--んぅ……」


 今まで目を閉じていた彼女は、あくむが目の前に立つと目が覚め、ゆっくりと目を開けた。

 数秒、お互いの視線が交差する。

 あくむの存在を確認するとはっきりとしないその目をさらに見開き、ここがどこなのかを確認するように辺りを見渡した。

 そして再び顔を戻し、


「  あなた、は……?」「あ、あなたは何者ですか?」


 彼女の声を遮るように問いかけた。

 あくむには彼女の問いを聞いているほどの余裕はなく、自分の恐怖心を取り除くことで精一杯だった。

 女性は少し俯き言った。


「……私は神。……この世界を見守る神様です」


 実に馬鹿馬鹿しい回答だった。だが、そんな馬鹿馬鹿しい理由でしか現状を説明できなかった。


「かみ?……神様がこんなところで何をしているんですか。こ、ここはどこですか……?」


 口調に冷静さは保ちつつも、焦りが混じる。


「ここは、神たちが世界を調整するときに使う……空間。本来なら例外なく、色と時間を失うはずなのですが……」


「ここがあなたの……その、神の力?でなったものなら早く戻してもらえませんか」


 あくむは非日常を喜ぶほど日常を嫌ってはいない。誰がなんと言おうと、あれがあくむの普通の日常なのだ。


「ここは確かに……私の力でなったもの……ですが、意図してやったものでは……ないので私の意思で戻すことができません」


「--じゃあ、どうすればいいんだよ!!」


 意味もわからず一人世界に取り残され、希望が見えたと思ったら、それも潰える。そんな現状に苛立ちを覚え不意に口調が強くなった。


「大丈夫、です……。ここは、もともと……私の力によるものです、から、私が……この世界から消えれば、自然と世界は……元に……戻ると、思います」


 神様のその言葉であくむは、ハッとして冷静になる。

 状況をなんとかすることを優先させていたため気づくことが遅れてしまったが、神様の体には刃物のような切り傷が複数あり、そこから流れる血によって全身が赤く染まっていた。

 身につけている巫女服はボロボロで、元の布の面積よりも圧倒的に小さくなっている。

 そのせいで本来なら露出の少ない巫女服からは彼女の血によって赤く染まった肌が所々露わになっていた。

 そんな状態から察するに……。


「消えるって……死ぬってことですか?」


「そう……ですね。この怪我では帰ることができません……ので、ここでその時を待つしか、方法はありません……」


「……その怪我は治せないんですか」


 あくむはこの状況を元に戻せればそれでいい。その方法が、神様がこの世界から消えることならそれで構わない。

 ただ、神様は言った。「この怪我では戻れない」と。ならその怪我を治して帰ってもらった方が死なれるよりずっといい。


「--これを治すには人の命が必要です」


「--!?」


 その一言が再びあくむに恐怖を覚えさせた。

 命を使うと言うのはつまり、死して神様を助けると言う意味だ。

 神は神でも目の前にいるのはあくむの命を頂戴するために現れた死神なのかもしれない。心臓を直接撫でられているような、痛みにも近い気持ち悪さがあくむを襲う。


「お、おれの命がですか?」


「……」


 ゆっくりと呼吸をしながら口を開く。


「……いえ、構いません……私は……死ぬことを恐れてはいません、から……あなたはその命を大切にしてください」


 自分の命の危機を免れたことで内心安堵する。

 だが、残るのは神様の死、のみだった。


「誰かの息絶えるところなど……見たくはないでしょう?な……ので、ここから離れる……ことを……お勧めします……」


 だんだんと声のトーンが落ちている。

 喋ることさえ辛いのか、言葉と言葉の間が増えている。そこで神様の死期を悟った。

 あくむはまだ死にたくはないし、神様も神様で助けを求めていない。

 背を向けた。


 薄情かな。

 瀕死の状態の人、いや神様を見捨てると言うのは。決して抵抗感がないわけではない。助けてあげられないのなら、せめてその最後を見届けてあげるのが優しさではないのか。あくむが弱い人間でさえはなければきっとそうしていただろう。

 こんな冷たい世界でたった一人、誰からも見届けられることもなく死んでいくなんて。「ごめんなさい」と内心呟いた。

けれども踏み出した足は重力なんて感じさせないほど軽かった。


「--」


 --なぜだろう。あくむには今走馬灯のようなものが見えた。それは幼少期から現在までを振り返る内容だ。


 --園児の頃はよく笑っている自分。


 --小学生の頃からだんだん笑うのが少なくなった自分。


 --ここ数年、全く笑っていない自分。


「--」


 --いつからだろう。


 嫌で仕方がなかったのに、独りでいること、無視されることに何も思わなくなったのは。

 これが自分の日常だと割り切って現実から目を逸らし何も変えようとしなかったのは。

 理由はない。

 ただ諦めていただけだ。

 自分が何も言わなければ問題にはならない。周りも見て見ぬふりをしている。きっと周りが正しくて、声をあげる自分が間違っているのだ。


 神様が消えればまた元に戻る。日常だと信じている、あの日々へ。

             


         

「--いいですよ。おれの命使ってください」


 弾むように動く足は重力よりも遥かに重い意志によって止められて、口からはそんな言葉を放っていた。

 体を神様の方に向け、短い距離を再び縮めていく。足に重力が戻ったようだった。

 二人にはさほど距離はなかったため、あくむが発したその言葉は神様にも聞こえていたはずだ。だが、彼女はその言葉に驚くことはなく、ただじっとあくむの姿を捉えている。


 --もう、いいのかもしれない。


 あくむの母親はあくむを産んだ時に亡くなった。もともと体が弱かったらしい。

 父親は母親が亡くなったことが影響し仕事にかける時間が増え、遊んでもらった記憶はかすれるほどにしか覚えていない。

 あくむは親と過ごした時間はとても少なく、また親から受けるはずの愛情をもらった経験も少ない。


--自分が死んでも誰も悲しまないのではないだろうか。


 子供に『あくむ』なんて大層な名前をつける親だ。自分のことなんてきっとなんとも思っていないだろう。

 そんな考えが自分の発言を後押しさせる。


「おれの命使ってください。だけど、その代わり……次、おれが生まれ変わった時は……もっと……もっと、普通の生活を送らせてください」


 その声は震えていた。

 かろうじて声として発せられてはいるが、次もできるかは怪しい。

 目頭が熱くなり、視界がぼやけ始める。

 自分からとはいえ今から『死ぬ』という恐怖に耐えきれなかった。


「普通の……生活……?」


 今にも消え入りそうな声でそう聞き直す。


「……笑って、いたいんです。おれは、その……除け者にされることが多くて……独りでいる時間よりも、泣いている時間よりも笑っている時間を多くしたいんです……」


 しばらくの沈黙。


「--わかりました」


 神様自身「構わない」とは言ったものの、やはり窮地から脱することは嬉しいのか、ひどくあっさりとあくむの言葉を受け取った。

 あくむもその承諾の言葉を聞いて覚悟を決める。

 神様の前で膝立ちにると、初めて同じ高さで目が合った。顔は切り傷と血、汗、泥でボロボロに汚れていたが、その美しい顔立ちは隠しきれていなかった。


「……あなたの望みは……必ず、この私が……実現させ……ます。……この命に……変えてでも……」


「……フッ、それじゃおれが助ける意味がないじゃないですか」


「…そう、ですね……でも……あなたの願いは……必ず……」


「……はい……」


 そして彼女は最後の手向けのつもりか、痛みなど感じさせないほどの笑顔を作った。

 痛みはなかった。

 目を閉じて数秒、眠るように意識は遠のいていく。


「--」


 ああ、いい終り方かもしれない。やっぱり独りで死ぬよりずっといい。


「--」





 そしてあくむは死んだ。

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