ヒキイシ / 樽山酒乱 作

名古屋市立大学文藝部

ヒキイシ

一、ヒキイシ


 この話は俺の年上の従兄弟いとこおさむ兄さんから聞いたんだ。

 理兄さんは俺より十個ぐらい年上でね、名前にそぐわなくって気性の荒い人でさ。悪い人ではないんだけど、ヤンキー気質っていうのかな、あれは。

 どうも、すぐに頭に血が上っちゃうところがあるんだよね。正義感が強すぎるっていうか。そういう人いるだろ。

 理兄さんは車が好きでさ。就職するとすぐにお金を貯めて頭金あたまきんにして、自分の車を買ったんだよ。

 今は結婚して家を出てるけど、その頃は俺の家からさほど遠くない、母方のおばあちゃんの家に住んでたんだ。

 俺の住んでるとこも、おばあちゃんの家も田舎だからさ。

 働くのに車がないと困るってのもあったとは思うけど、ほんとに車が好きだったんだろうね。

 たまに遊びに行くと、よく自分の車をきれいに洗車してるとこに出くわしたよ。

 で、その理兄さんが、車で事故を起こしたことがあったんだ。

 夜のコンビニでの自損事故だった。

 車はフロント部分が、アコーディオンをたたんだみたいに酷い状態になってて、理兄さんがケガ一つなかったのが奇跡ってぐらいだったよ。

 それで、これが不思議だったんだけど、あんだけ大事にしていた車がめちゃくちゃになっちまったのに、理兄さんはどうもそれ以外のことでずーっとソワソワしている様子だった。

 俺が話を聞いたのはその時だ。


◆◆◆


 事故のきっかけは、理兄さんが真夜中にクリームパンが食べたくなってしまったことだった。

 女の人が好きな食べ物を指していもくり南京なんきん……なんて古い言葉があるけれど、母方のおばあちゃんは甘いものがそんなに好きじゃなくてさ。

 おばあちゃんの家には料理用の砂糖もないぐらいなんだよ。

 それに比べると理兄さんはわりかし甘党で、買い込んだお菓子が切れてるときには、深夜に車を走らせて、最寄りのコンビニまでなんやかんや買いに行っていたらしい。

 ド田舎で、しかも今より十年ぐらいは昔の話だからさ。

 当然だけどコンビニまで行くにもちょっとしたドライブぐらいかかるわけ。

 まあ、甘いもの買いに行くってのは、半分は車を走らせる口実だったんだと思うよ。

 理兄さんはそんなわけで、三十分ぐらいかけてコンビニに行くと、クリームパン含めていくつか食べるもんを買って、すぐに家に帰ることにした。

 店内には理兄さん以外居なかったらしい。夜中の二時とかだったってんだから、まあ当然だよな。

 しかし、コンビニを出ると、駐車場の真ん中あたりに人影があった。

 真っ暗で顔はよく見えなかったけれど、体つきからして、年のころ十代ぐらいの青年だった。

 理兄さんは駐車場を見回して、妙だと思った。

 真夜中のコンビニ前といっても、周りに民家がたくさんあるようなところじゃない。

 太い道路が前にあるので、昼間は客がかわるがわるやってくるけど、夜中はガラガラで、他の客とはめったに出くわさないって感じの店なんだ。

 けど、駐車場には、青年が乗ってきた自転車なんかなかった。

 理兄さんは少し不気味に思いながらも、さっさと帰ることにして車に乗り込んだ。

 すると、理兄さんの車の進行方向を邪魔するように、フラフラと青年が車の前に歩み出てきたんだ。

 理兄さんが強めに何度かクラクションを鳴らしても、全然どかなかった。

 車のヘッドライトで照らすと、行き先を遮るように立っている青年の口元が見えた。小ばかにするように、ヘラヘラと笑っていたそうだ。

 その瞬間、理兄さんは頭にカーッと血が上ってくるのを感じた。

 普段も血の気の多い人なんだけど、その時は自分でも感じたことがないぐらいの、抑えきれない怒りを覚えたらしい。

 それで、理兄さんは、なんと車のアクセルを全力で踏み込んで、青年をいてしまったそうなんだ。

 いや、普段の理兄さんはそんな人じゃないからさ、聞いたときはほんとに驚いたよ。血の気が多い人って言ってもさ、車を運転してるときはリラックスしててね、イライラして運転するところを見たことがないんだ。

 でも、もっと不可解なのはここからだ。

 ドン、という大きな衝撃があって、理兄さんは目の前が一瞬真っ暗になった。そして、全身がじわじわと痛みを訴えるのを感じた。

 どう考えても人にぶつかった程度の衝撃じゃあない。

 理兄さんが痛みをこらえて車から這い出ると、あの青年の姿はどこにもなかった。

 代わりに、まん丸くってばかでかい岩が、車のフロント部分をぺしゃんこにしていた。

 岩には無数のヒビが走っていた。

 理兄さんは、大きさと質感からして、事故でヒビが入ったっていうんじゃなく、元々ヒビの入った岩だと思ったそうだ。

 大岩のヒビは、コンビニの蛍光灯の光に照らされて、ニタニタと不気味に笑っている人の顔に見えたそうだ。

 理兄さんはビビッてコンビニに何とか駆け込むと、コンビニの店員に救急車を呼んでもらった。

 全身の骨が折れてるんじゃないかってぐらい痛かったらしい。まあ、実際には打撲程度だったんだけど、そんなの医者にてもらわなきゃ分かんないからしょうがないよな。

 理兄さんは救急車で運ばれていくときに、駐車場の丸岩を恐々こわごわと確認した。

 すると、驚いたことに、そこには何もなかったんだ。

 ただ、兄さんの車の塗料の付いた、わだちのような跡が、道路に向かって点々と続いていたって話だ。


◆◆◆


 車に乗ると気が大きくなる人っているよな。

 あの岩はああいう人を怒らせて、わざと轢かれるように差し向けて、自分にぶつからせて車をぺしゃんこにして、ニタニタ喜んで笑っている岩の妖怪なんじゃないかって、理兄さんは言っていた。

 あの石が期待したほど理兄さんが怒りっぽくなかったので、アクセルの踏み込みが浅かったから助かったんじゃないかと、そういう話だった。

 理兄さんは相変わらず車が好きだけど、自分で運転するのは苦手になっちゃってさ。

 どうしても自分が運転しなきゃいけない時以外は、奥さんに運転してもらってるらしいよ。



 二、ヒキイシ


 理兄さんの話を聞いてから、俺はずっと似たような話を聞いたことがある気がしていて、のどに小骨が刺さったままみたいですっきりしなかったんだけど、最近何のことだか思い出したんだ。

 それってのは、俺が同居してた父方のおばあちゃんから聞いた話でね。

 俺の家は共働きで、小さい頃に俺が寝るときは、枕元でおばあちゃんがおとぎ話だとか昔話だとかを聞かせてくれたんだ。

 浦島太郎とか、桃太郎とか、聞いたことがあるような話でも、おばあちゃんは話し上手で、毎回話の展開が変わるんだ。

 中にはおばあちゃんが作ったお話だろうな、と思うような聞いたことがない昔話もあった。

 俺は今でもホラーとか苦手だけどさ、小さいころは輪をかけて怖がりだったから、どの話もおばあちゃんはハッピーエンドにしてくれてたよ。

 毎回違う内容だったけど、その中でも好きだった話に、浦島太郎があってさ。

 玉手箱を開けたら乙姫様からのラブレターと、テレフォンカードが入っているんだ。カメへの電話番号付きで。

 地上では元々の浦島太郎よりもものすごく時が流れていて、浦島太郎は電話ボックスからカメに電話して迎えに来てもらって、竜宮城で末永く乙姫様と幸せに暮らすんだ。

 テレフォンカードとか、電話ボックスが出てくるところで笑っちゃってたな。

 けど、そんなおばあちゃんが、あるときなんだか不気味な話をしたことがあってさ。

 今になって思うと、多分あれはおばあちゃんの作った話じゃなかったんだと思う。おばあちゃんの母親だとか、おばあちゃんのおばあちゃんだとか、誰かから聞いたのを、そのまま話してくれたんだろう。普段話してくれてた話とは、全然雰囲気が違ったからさ。


◆◆◆


 昔々、大昔のこと。

 あるところに貧しい農村があったそうだ。家々が山の斜面にどうにかしがみついているような村で、斜面にあるものだから、田んぼも畑も開墾がうまくできない。かといって、ほかに売り物になるようなものがある村でもなし。

 そんなわけで、村人たちはいつまでたっても貧乏で、いつも腹を空かせていた。

 あるとき、若い男の村人が、山に下草を刈りに行った。

 すると、普段は村人しか通らない細い道を、華美な鎧を着こんだ侍が、一人でひょこひょこと歩いていた。

 侍は片足を怪我しているようで、びっこをひいていた。

 貧しい村人に、空腹から魔が差してしまった。

 侍を突き飛ばして殺してしまって、持ち物をはぎ取ろうと考えたんだ。

 と、その時、遠くから大きなイノシシがすごい勢いで走ってきた。

 草むらの中を駆け抜けて、どういうわけか侍の方に向かって一直線だ。

 村人は隠れて様子を窺うことにした。イノシシが侍にぶつかって、侍が死んでくれれば、自分で殺生をしなくていいからな。

 イノシシは侍のいる方に吸い込まれるように走っていく。

 村人は侍が死んでしまうのを、冷や汗をかいて、目をつぶって待っていた。

 あっという間の出来事だった。

 ゴン! という大きな音がしたので、村人はゆっくりと目を開いた。

 村人は度肝を抜かれた。

 それまで侍が居た場所には大きな大きな岩があって、それにぶつかった様子のイノシシは、頭がぐしゃぐしゃにつぶれて、血をだくだくと流して死んでいた。

 侍の姿はどこにもなかった。

 ただ、ガサガサと脇の草むらから音がしたので、そちらを向くと、見たことがないぐらい大きな狸が村人の方をじっと見ていた。

 村人は怖くなって村に逃げ帰って、見てきたことを村の皆に話した。

 村の長老がいうには、それはヒキイシという大狸の仕業だという。

 ヒキイシは京の都で急ぎの牛車ぎっしゃを惑わし、大岩にぶつからせて死骸をむさぼる老狸だったのだが、お上の怒りを買って僧侶に痛めつけられて、この村くんだりまで逃げ延びてきたんだとか。

 ヒキイシは、見た者が、殴りつけたり、ぶつかったりしたくなるものに大岩を見せかけて化かすというから、きっとイノシシには大岩が、自分の縄張りを荒らすイノシシに見えて、ケンカを仕掛けたんだろう、と長老は説明した。

 後で村人たちが現場を見に行ったら、大岩はそのままそこにあって、大きなイノシシは肉をすっかり食い散らかされて白い骨だけになっていたらしい。

 それ以来、大きな岩を見かけるたびに村人は細かく割って処分するようになった。

 そんなことをしているうちに、いつしか何もなかった貧乏な村は、石細工の得意な村として栄えるようになったとか。



 三、ヒキイシ


 今話した二つの話は、どちらも轢かれる石というのがモチーフになっている話だ。

 一つ目の話は理兄さんの実体験だから名前はないけれど、轢かれようとする石の話だな。二つ目の話は、おばあちゃんがはっきりと狸の名前を「ヒキイシ」と言っていた。正体は狸だが、その手口から、石に焦点が当たっている話でもある。

 は、その二つの話から、自分と似たものを感じ取って、あんな名前を名乗っていたんだろう。

 俺が今から何の話をしようとしているか、わかるだろう。

 そうだ。こないだ事故で死んだ……俺たちだけは「事故で死んだ」と思っている「ひきいしおさむ」のことだ。


◆◆◆


 引石は、最初に名乗るとき、俺の顔をチラッと見てから、「おれ、引石修」と言ったんだ。

 サークルの新歓の時だったな。

 最初に目が合った瞬間、俺はなんだか妙な感じがしたんだ。

 目玉の裏側を素手で触られたような、本当に妙な、不快な感覚だった。

 ……そうか。お前も引石と目が合ったときに、そんな感覚がしたことがあったか。やっぱりな。

 お前も何となく気づいてるんじゃないかと思うんだが、あれは俺たちが引石に記憶を読み取られている時の感覚だったんだろうな。

 引石は、俺の記憶から理兄さんの話とヒキイシの話を知って、冗談半分に「ヒキイシオサム」って名乗ることにしたんだろうと思う。

 その後、新歓の飲み会で、クラスが同じだって分かって、趣味も合うじゃんか、ってなってさ。

 それまで仲が良かった俺とお前の二人に引石を加えて、三人でよくつるむようになったんだよな。

 昼飯も一緒に食べるようになった。

 今考えると、その辺の流れも不自然だよな、やっぱり。

 あの時、もう入学して一か月ぐらいは経ってたんだから、俺たちぐらいのクラスの規模だったら、サークルの新歓にクラスメイトが居たら分かるよな? 全員でも四十人だぜ?

 特に、あんなに気が合うクラスメイトに、あのタイミングでようやく気付くなんてさ。

 ほんとのところ、引石はあのサークル新歓の時、初めて俺たちに接触を計ったんだろう。

 まあ、とにかくそれ以来、引石と俺たちはそれなりに楽しいキャンパスライフを過ごしていたわけだ。

 引石と過ごしていた期間、一体何度、例のあの目玉の裏を素手で触られたみたいな感覚がしたか分からない。

 最初はひどく不快に思ったような気がするんだが、そのうち慣れちまって、夏休みに入るころにはなんとも思わなくなってたな。

 そして、こないだの熱海旅行だ。

 熱海へ旅行に行こうって言いだしたのは、引石だったな。

 引石の身内の割引で、熱海のホテルがすごく安く泊まれるから、旅行に行こうって言いだしてさ。

 俺もお前も、熱海にどういう観光スポットがあるんだかよくわかってなかったけど、夏休みには何にも計画してなかったし、その誘いに飛びついたわけだ。

 で、昼間は普通に熱海を観光して、夜はホテルに泊まって、けっこう眺めのいい大浴場行って、海の幸がメインの晩飯食べてさ。

 部屋でボーっとしてたら、引石が「夜の海見に行こうぜ」って誘ったんだよな。

 旅行先で部屋にこもってても、ついついスマホ触っちまうし、来た甲斐が無いって話になってさ、俺たちは誘いに乗って出かけたんだ。

 あの時、あんまりよく覚えてないんだけど、俺はかなり気分がよかった。

 そりゃ、友達と仲良く楽しく旅行してて、まあ、つまんなくて気分が悪いことなんてないだろうけどさ。

 なんていうんだろう、普通に暮らしてて……旅行に行ったとかそれぐらいじゃあ到達しないぐらいのような、もうそれこそ違法な薬物でも使ってたんじゃないかってぐらい、異常に気分がよかったんだ。

 お前も感じてたんだな、あの異常な高揚感を。

 まあ、それも、あの事故が起きるまでの短い間のことだったけどな。


◆◆◆


 考えてみると、あの時は引石も妙にテンションが高かったように思う。というか、ものすごく嬉しそうだったな。目的達成が近いから喜んでいた……とか、そういう事だったのかな、あれは。

 真っ暗な道路を俺たちがのろのろ横断してると、歩みのとろい俺たちを引石が急かした。

「早く来いよ!」

 道路上で俺たちを呼ぶ引石に向かって、ほとんど音もたてずに、無灯火の軽トラックが突っ込んできた。

 あっという間の出来事だった。

 俺は引石が轢かれちまった、と思って、瞬間、背筋がゾッとした。

 でも、実際には、タイヤがつぶてをはじくようなパチっていう、軽い音がして……引石は……。

 引石の姿はなかった。引石の荷物も。

 ただ、それまで無かったはずの、ホタルみたいに冷たく光っている妙な石が、アスファルトに転がっていた。

 そう……旅先から持ち帰ってきたこの石だ。

 手のひらより小さくて、真ん中でパックリと二つに割れてしまっていて……。

 今でもほんのりと光っている。この冷たい石。

 引石が消えたと同時に、頭の中が晴れ渡るような感覚がしたよな。

 裏を返すと、それまでひどく頭の中がボンヤリしていたはずなんだが、まったく自分じゃあ自覚がなかったんで、それが恐ろしかった。

 俺たちがあっけにとられていると、急停止したトラックから男の声がした。幾つぐらいかは分からないけど、それなりに年をとった男の声だったな。

 「気をつけろよ!」って俺たちに向かって言って、トラックはどこかへ走り去っていった。

 無灯火のトラックの運転手が何言うんだよ、なんて今じゃ思うけど、そんなことあの時は思いもしなかった。

 呆然として、ただただその場に突っ立ってた。


◆◆◆


 引石が「死んだ」瞬間から、俺たちは自分たちの記憶から急速に引石の事が消えていくのを感じた。

 同時に、頭の中がすっきりして、それまで気づかなかったことに気づくようになってしまった。

 俺はお前が、「ホテル代、全額俺たちが払ったよな? 割引なんてあったか?」って言った瞬間のことが忘れられない。

 そう。もともと、引石が「身内の割引でホテルが安いから熱海に行こう」と誘ったはずなのに、俺たちは普通に自分達の分のホテル代を、安くもない金額で払っているってことに、ふと気づいたんだ。

 その後は転げ落ちるように、引石関連での今までの記憶に、違和感が次々出てきた。

 大学で引石と知り合いだったはずの周りの連中は、もう引石って言っても誰も名前すら覚えちゃいない。

 俺たちも、引石の顔も声も、もう思い出すことはできない。

 引石は関西からこっちに出てきて独り暮らししてるって言ってたが、引石が一人暮らししてるアパートにも行ったことがない。引石の家族にも、当然会ったことがない。

 俺たちは、理兄さんの話や、おばあちゃんが話した昔話のように化かされていて、ずっとピカピカ光る石を人間と思って、大学で一緒に行動したり、旅行して楽しくしゃべったりしていたんだろうか?

 クラスメイトや先輩、先生たちも、この光る石のことを引石修という学生として見ていたんだろうか?

 それとも、俺たち二人だけが、この石に引石修という架空の男の幻覚を見せられていたんだろうか?

 俺たちは、石が轢かれるその場に居合わせたから、引石の存在を忘れずに済んでいるだけなんだろうか?

 いや、言いたいことは分かる。多分そうじゃない。

 アイツは記憶を消せないぐらい深く関わってしまった俺たちを、どこかへ連れて行こうとしていたんだろうな。

 熱海の旅行とかじゃなくて、もっとなにか、別の意味で、どっかにさ。

 だから、無意識に俺たちは引石が死んだあの時あの瞬間、全部の旅支度を持って歩いてたんだろうな。

 海までちょっとの散歩のはずだったのに……。

 そりゃあ、急かされても早く歩けないよな。

 まあ、だからホテルに引き返した後、すぐに車を運転して家に帰れたんだけどさ。

 そのまま熱海で一泊なんて、ゾッとしないもんな。

 俺は、引石みたいのが、実はこの世にたくさん居るんじゃないかって、最近はそんなことばっかり考えてるよ。

 記憶を読み取ったり、都合よく暗示や催眠をかけたり出来るような、そんな石がさ。

 あの時、引石がトラックで轢かれたのが、偶然だなんて俺は思えないんだ。

 あの時、無灯火のトラックが引石を轢いたのは、連れ去られる寸前の俺たちを助けるためだったんじゃないか? ってさ。

 あの運転手の「気をつけろよ!」って発言は、「引石みたいな存在には気をつけろ」って意味だったとしたら?

 引石の仲間みたいなやつがいっぱいいて、今後はそういう奴らには気をつけろっていう警告だとしたら?

 そうでないとしても、だ。

 石が割れて引石が消えたから、この石のことを引石の本体だと俺は思っていたけれど、もしこれが俺たちを洗脳するために使っていた、ただの通信装置みたいなもので、俺たちが引石と呼んで接していた存在自体は死んでいないとしたら?

 またいつか引石が俺たちの前に現れたりして、俺たちはすぐに洗脳されちまったりするのか?

 昔の友達に偶然会ったって思いこんで、次こそは引石がトラックに轢かれたりもしなくて、本当にどこかへ連れ去られたりするんだろうか?

 いや……もし引石の本体が石なんだとしても、似たような生きてる石みたいな連中がたくさんいて、俺たちが目をつけられているんだとしたら、同じことだよな。

 ……最近いつも、道行く人が人なのか石なのか疑っている俺はおかしいんだろうか?

 それとも、俺の認識の方が正常なんだろうか?

 ……俺は、俺が異常であることを祈るよ。

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ヒキイシ / 樽山酒乱 作 名古屋市立大学文藝部 @NCUbungei

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