終章 舘の大噓つき(1) 各々の別れ


 気づいたら、駆け出していた。

 全て思い出した。全て!!

 足元の鎖が不規則に音を発てる。

 何故知らないと思っていた舘で既視感が続いたのか。

 私は誰か、どこに住んでいたのか、家族は、生涯寄り添いたいと決めた大切な人は、私の身に何が起きたのか、ここは何なのか。

 私が至らないせいで、愛おしいあの人が歪んでしまったことを。

 繰り返し、何度もあの人が死にそうな顔で私を殺めていたのか。

 ここで何回、私自身を繰り返しているのか————!!



 そして…



「シェイナさん……?」



 一階へ降りようと、手すりに手をかけたシェイナを呼び止める声。

 それは、テレーザだった。声色が微かに震えている。

 当然だろう、とシェイナは思った。全て思い出したから解ることだが。

 なぜ彼が……いや、がここに居るのかは分からないが、うっすらと予想が出来た。


「ごめんなさい、用事を思い出したんだ」


 テレーザの正体も


 この状況の中、紅実が無関係の人物を舘へ連れてくることはないだろう。

 どうか気が付かないでと、姓も名前も同じの他人の空似だと思ってほしい。

 そう、無理矢理にでも思ってほしい。

 だって、私は、もうこの世にいる筈がない、あなたの————、



「お姉ちゃんっ!!」



 走り駆けようとした自分を後ろから呼び止める悲痛な叫び。

 そして、テレーザは背後から手を回し、引き留める様に抱き着いた。

ぎゅ、と強く抱きしめられる感覚と温かさに…これが夢では無いことに、涙が滲む。


「なんでここに…」

「村で、最近舘に泊まったって人と出会って、話を聞いたんだ。もう焼失した舘に泊まったなんてあり得ないと思った。でもお姉ちゃんの名前が出てきて…。そしたら、諦めきれなくて…。その後、お墓によった時に錬金術師に逢って、あたし——っ」

「————… 、ごめん、なさ、い。ごめんね… っ」


 シェイナが後悔していたことの一つ、それはまだ成人もしていない妹に別れも言えず、死んでしまったことだった。

 偶然に偶然が重なった奇跡の再会。

 正面に向き合い、ただテレーザには謝ることしか出来ない。



「でも、もう行かないと…」


 ここにずっと居るわけにはいけない。


「レイモンドに逢いに行くの?」


 こくりと、シェイナは頷く。


「私も、貴女もここにずっと居ちゃいけないから。早く村に戻って」

「————、お姉ちゃんは?」

「私は、私がしないといけないことをやってくるよ」

「うん…」

「あ!あと、いくら変装とはいえ、びっくりしちゃったんだから。髪を短く切っちゃって、男物の服を着てるなんて!似合ってるけど!あと姓もね!あなたはテレーザ・ミルバーデン。私の、大切な妹。宝物だよ」

「……うん」

「学業頑張ってね。花屋なんて別に継がなくていいし、村にも居なくていい。やりたいことを、いっぱいして、幸せになってほしい。それが私の願い」

「………………」


 テレーザはついに何も言えなくなり、そっと手を放す。

 こんな非現実的な状況でも、久々に会話した姉は全く変わらない。

 陽だまりの様に暖かくて、繊細で、運動は苦手だが器用な手先を持っていて、少し泣き虫。

 何より、意思が強く時々眩しく感じる。



「————逢いに来てくれて、本当にありがとう」



 さいごに、満開の花のような微笑みを愛しい妹…テレーザに向けると、シェイナは階段を駆け下りる。

 振り向きたい衝動に駆られるも、してはいけないことだ。

 振り向いたら、想いが揺れてしまう————。



振り向いたら、想いが揺れてしまう————。





「こっちだよ」


 ゲストルームに着くと、紅実が待ち構えていた。

 乾いた笑いを零し、シェイナに向き直る。


「なんて言えば良いのかな。君をこんな状態にさせたし、彼と同じく、舞台を整えるために死んでいる君を何回も殺したのも俺だし」

「貴方は、私を死者と扱ってくれるのですね」

「あの惨状を見ればね。それでも、想いの強さが勝っていたってことだ」

「貴方は手伝ってくれただけ。そうでしょう?」

「底抜けに優しいな、君は」


「……きっと、ただ馬鹿なだけです」


 紅実は何も言わず、既にずらしていた本棚に隠されていた扉を開けた。

 なら、さいごはせめて今まで演ってきた道化の如く笑顔で。



「さぁ、最後の盤面だ」



静かに、それでいてシェイナを誇り讃えながら、紅実は言った。



「ありがとうございます」



彼からの返事はない。

紅実の横を、シェイナは迷うことなく通り過ぎた。




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