五章 本性を偽る(終)
二階に行き、各々客室に入る。
静かな部屋に雨音と風の音だけが聞こえる。
シェイナはベットに潜ることはなく、寝付けずに安楽椅子に座ってぼうっとしていた。
「思い出して…か」
紅実の読んだ言葉がやけに引っかかる。その違和感は、時間が経つほどに増していった。
「よしっ」
椅子から立ち上がり赤いブランケットを羽織る。
先に寝ているであろう二人を起こさないよう静かに客室から出た。
何処へ行こうか悩んだが、自然と体が主人の書斎へと辿りついてしまう。
入るかどうか悩んだが主人が居ないことを良いことに好奇心のまま部屋へ入った。
「大きな本棚…たくさんある…」
初めて来たのに、何処か親近感がある。
そんな違和感に苛まれながら、シェイナはアルファベット順に整理されている本を眺めていった。
「花の図鑑もたくさんあるなぁ。あ、ここ順番が逆になってる」
『こんな立派な舘の主人って厳格そうなイメージだけど、意外とうっかりしてるんだな』と思いながら、ついでに順番が逆になっていた本に手をかけぱらぱらと捲る。
それは偶然にも…いや必然なのか、以前もシェイナが見た本だった。
「——?なんだろ、この窪み…何か挟まっていた…?」
その本には鍵が挟まっていた。
しかし、今そこに鍵はなく実はシェイナが持っている。
次に本を閉じ、何となく清潔過ぎるデスクに視線をやった。
清潔過ぎるデスクはやけに物寂しく感じた。
「あ、インク切れてる」
デスクの上には無地の便箋とインクに浸けるタイプのペン。
しかし、便箋の横にあったインク瓶の中はほとんど入っていなかった。
「泊めてもらったお礼に補充しといてもいいかな…というか、気になる…」
自分でも変な理由だと思いながらも気になるのは仕方ない。
シェイナは予備のインク瓶がないか、申し訳なく思いながらもデスクの棚を開けていった。
屈みながら棚の中を見る。
予備のインク瓶は上から二番目の引き出しの中にあった。
「あったあった。———ん?」
立ち上がった瞬間、カラン、と何かが音を発ててシェイナの足元で転がる。
それは小さな鍵だった。
いつか、シェイナ自身が本の中から見つけた鍵。
しかし本人はそのことを覚えておらず、デスクの何処かにあった鍵だろうと勘違いをする。
どうせなら、主人が解る様に一緒に置いておきたい。
一番上と二番目の引き出しには鍵を使うようなそれらしき物はなかった。
と、言うことは一番下の引き出しか……?
少し躊躇いながら、まだ触っていなかった一番下の段を開ける。
「あ、これかな?」
見つけたのは丁寧な装飾が施された、それほど厚くない手帳。
鍵がついているという事は、日記だろうか。
「————…、」
手に取った瞬間、シェイナの鼓動が不自然に早くなり、手が震える。
————知らない。知らないし、初めて見るのに、怖い。
他人の日記なのに、開けないといけない気がする。
そう思う自分が、何か解らなくなる。
長考して、ようやく震える手で…シェイナはついに鍵を差し込み、日記を開いた。
今日から日記を書いてみることにする。
飽き性な自分が、毎日書けるか不安だけど…
書く理由は、そうだな、何となくなんだけど、きっと素敵な女性に会えたからだ。
それに、弟が結婚する。とてもめでたい。これだけで、日記を始めるのは十分な理由だろう?
一日目はこれで終了した。書くのに慣れていないのか、数日おきで、とてもつたない。
花屋の店主が、依頼していた花束を届けに来てくれた。あんな綺麗な花束を見たのは初めてだ。男ながら、弟にあげるのが勿体ない、と女々しく思ってしまうほど。
弟はこれから、幸せな日々を紡いで行くのだろう。結婚おめでとう。
家の方が落ち着いてきたので、久々に街へ出た。父と母は俺の行動にあまり興味がないらしい。たまに、魔術が使えない自分に苛立つ。なにか、役には立てないだろうか。そう思って錬金術も学んでみてるけど、両親はあまり好ましく思っていないみたいだ。
認めてもらう、もらわないの話じゃない。当主の兄として、街へ貢献したいのだけ。
あぁ…そうだ、花屋の店主にお礼も兼ねて、花の種を渡した。喜んで頂けた。
きっと、ここに咲いている花よりも綺麗に咲かせてくれるだろう。
花の種だけでは礼が少ないと思う。今度、食事に誘ってみよう。
それから日記には、その花屋の店主との話や、結婚した弟夫婦の話が多く綴られていた。
そして、両親への思いも。かといって、悪口ではない。
自分自身が悪い
そう言っている様な日記だった。
読んでいると愛惜に近い感情が込み上げ自然と涙が溢れる。
知らない人の、知らない日記なのに。何故?
数日ぶりに日記を書く。
彼女が、死んでしまった。
なぜ?なぜ彼女が死ななければならない?
だから、師であり友人でもある人に協力してもらった。まだ彼女は目覚めない。
きっと、貴女は俺を責めるだろう。それでも俺は、
それ以降、日記は続いていない。最後の文字は上から黒く塗りつぶされていた。
書いていることは解らないが、この主人に何か、重大な出来事があったのは解る。
静かに日記を置き、元の場所へ戻す。
その時、奥に何かあるのを見つけた。
「————写真立て…」
未だ震える手。頭の中で、誰かが危険だと言っている。
同時に、知らなければいけないことだとも。
怖い。ここから先は踏み込んではいけない。踏み込んだら戻れなくなる。そう警告している。
『思い出して』
次に、誰かの声が頭に反響する。
『今日のこと、これまでのこと、忘れてはならないよ。絶対に』
顔は解らない。
それでも、脳裏に過る絹糸のような、現実離れした幻想的な白髪の男性。
知らない人の優しい言葉と、暖かな手。
何を思い出す?解らない。全くもって不明瞭だ。それでも…………。
私は、思い出さなくてはならない。
シェイナは、写真立てを表に返した。
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