五章 本性を偽る(1)
「………ん、」
「おはよう。いや、こんばんはかな?」
ぼんやりとした意識の中、落ち着いた男性の声が耳に届く。
瞳を開けると、朱色に近い赤い髪の男性が対面にあるソファに座ってこちらを見ていた。
「あれ…?私…」
ぱちぱちと、小雨が窓に当たって弾ける音で目を覚ます。
どうやらソファーで寝てしまった様だ。
長く眠っていたようで、体の節々が軽く軋んでいる。背伸びをして辺りを見回した。
凝っているが煩くない装飾が施された部屋。何だかとても落ち着く…。
「えっと、私…」
何とか記憶を手繰り寄せ、、森を抜けようとしたら夜になって…どうしようと思っていたら、この舘を見つけたことを思い出す。
「疲れて眠ってしまったみたいだねえ。気分はどうだい?あ、俺は
目の前の男は着物の袖で口を隠して、クツクツと笑う。
シェイナは恥ずかしくなって、少し顔を俯かせた。
「そんなに照れなくても。君が寝ている間に、君と俺と同じように森で迷った子が隣のゲストルームにいてね。もしよければ、ついて来てくれないかい?」
「別に良いですけど…どうしてですか?」
「なかなか気難しい学生さんなんだ。こう見えて俺は年寄りでね~。若者と気まずい中、無言で同じ部屋にいるのは堪えられなくて。様子見るついでにこっちに来ちゃった」
「学生さんが一人で!?早く行きましょう!!」
「お、随分乗り気だね」
「誰も居ない舘で一人でいるとか怖すぎでしょう!」
すくっと立ち上がり、シェイナはすぐに部屋を出る。
紅実も「あ、出て左の部屋だよ」と付け足して渋々と言った様子で後ろから着いてきた。
「失礼します…」
勢い良くゲストルームに着いたが、扉を開けるときはつい静かに慎重に開けてしまうシェイナ。
ゲストルームのソファには、本を読んでいる人影があった。
ショートヘアーの黒髪に、青い瞳。サイズが合わないのか、若干大きめの服を着ている。
少年は急に扉が開いたのに驚いたのか、目を見開いてシェイナに振り向いた。
「初めまして、シェイナ・ミルバーデンです」
「………初めまして、テレーザ・オズワルドです」
ぼそっと小さく名乗り、テレーザと名乗った少年は再び本に視線を戻す。シェイナは対面するように座り、更に話しかけた。
「あなたも森で迷ったって聞いたのですけど…」
「敬語」
「えっ?」
「使わなくていいよ。きっと、貴女の方が年上だ。背だって高いし…」
悪意は籠っていないのは雰囲気で解ったが、ぶっきらぼうに言う少年に
シェイナは戸惑う。
「学生さん?」
「そうだよ。長期休みで、里帰りしに来たんだ。でも久々に来たせいか迷っちゃった」
「…そっか。それは大変。でも、偉いね」
優しくはにかむシェイナ。
気まずかったのか照れたのか、テレーザは曖昧に返事をしてから持っていた本で顔を隠した。
——この歳頃は難しいなぁ。と、思いながらも少年の優しさに感心する。
「うんうん。優しいねぇ、少年は。さっき俺にもその優しさを見せてほしかったよ」
「怪しい錬金術師の言葉なんて嬉しくないし、優しくなんてしないぞ」
「これは辛辣…」
「きっと紅実さんも良い人だよ。——というか、錬金術師だったんですか!?」
「うーん、錬金術師って何でこう、風当り強いかな」
紅実の半分冗談めいた言葉に、シェイナはくすくすと笑った。
「その本、面白い?」
ふと気になったのは、テレ―ザが読んでいる本。表紙から見るにかなり古いものだ。
「面白いよ。経済学の本。とっても小難しい。学校にある本とはまた別の趣旨だし」
「へ、へ~。私には難しいかな…」
「そこの本棚にあった。暇つぶしに読めば?」
テレ―ザに促され、何気なくシェイナは本棚を見る。
しかし、彼が読んでいる様な小難しい本ばっかりで、正直言って読む気にはならなかった。
「頭弱いの?」
バッサリと、呆れ顔でテレ―ザが言う。
「こ、小難しいのが苦手なんです…恥ずかしい…」
「おやー?淑女たるもの頑張らないと。最近の学生は勤勉家だからね」
「解ってますよぉ…。でも苦手なものは苦手——、」
渋々本棚から視線を外したところで、シェイナは違和感を感じる。
視界の先にあるのは酒を保存する棚だ。
扉はガラス張りになっていて、何が入っているのか誰でもすぐ解る様になっている。
「あれ?」
棚の扉を開ける。特殊な構造をしているのか、取り出すとひんやりとしていた。
シェイナに続いて紅実とテレ―ザも覗きこむ。
「シェイナはお酒好きなのかい?」
「いえ、ただこのウイスキー、飲みかけだなぁって」
「確かに。ゲストルームにそんな中途半端なもの置くわけないのに」
————そのウイスキーは、前回、雪とシェイナが飲んでいたものだった。
「ラベルに何か書いてある。えっと……?」
「さすがに読めない…」
「東洋の漢字ってやつだね。どれ、俺が読んでみよう」
裏面に見慣れない言葉が書いてあり、紅実が確かめる。
長らくこの舘にいる彼ですら知らない。
しかし、文字を読むと眉を潜めた。
「…意味は、『思い出して』」
「何それ。変なの」
「そ、そう、だね…」
「シェイナさん?」
「何でもないよ」
テレ―ザは顔を上げて、黙り込むシェイナを見た。
すぐに笑顔を取り繕うが、つい声が上ずってしまう。
紅実が読んだ言葉に、シェイナは身に覚えのない寒気を感じた。
————何か、大切なことを忘れている気がする。
紅実が読んだ文字は…雪がシェイナと談笑している時に、誰にも悟られず書いたモノだった。
「…ん、もうこんな時間か…少し横になりたいな」
欠伸をかいて、テレ―ザは言う。
「舘だもの。客室ぐらいはあるんじゃない?」
「そうだよね。二階に行ってみようかな」
「俺も疲れたしそうするかな。シェイナは?」
「わ、私も行きますっ」
考え事をしていたのか、シェイナは一呼吸置いて答える。
何を考えていたのか紅実には解っていたので、特に問い詰めることはなく返事をした。
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