四章 自身を偽る(終)


 彼女を部屋まで見送ったあと、雪は一人で再びゲストルームへと向かった。

 扉を開けて入った瞬間、異様な重々しさを感じた。先ほどシェイナと自分が居たときとは打って変わった空気に、顔をしかめる。


 ゆっくりと、部屋の中央に歩を進め、あたりをぐるりと見まわした。

 室内は何故か薄暗く、時計の針が時を刻む音しかしない。

 そこで、ようやく雪は口を開いた。



「いつまでこそこそしてるんだ、舘の主人よ」


 誰であっても聞いたら威圧されるであろう…彼からは想像できない暗く深い声で語りかける。


「君は、誰?」


 程なくして、真後ろから聞き慣れない男性の声がした。


「落ち着いている口調だけど、どうやら殺気を隠すのは下手とみた」


 振り向き、不敵に雪は笑う。

 そこには、今まで何処かにいて表には現れてこなかったレイモンドがいた。

 薄暗い室内では彼の表情はあまり見えないが、声色と気配でだいぶ憔悴しているのが解った。


「君はこの舘を作った際に、もうこの舘の一部になっていたんだね。だから色々な所から視線を感じる。普通の人なら気づかないけど、俺は普通じゃないみたいで——」

「何をしているの。俺とシェイナの約束を邪魔するのかい?」


 雪の言葉をレイモンドが強く遮る。


「——してはいない。ただ、余りにも君に勝機がありすぎるから、勝手に彼女の手助けをしていただけさ」


 ……どうやら、紅実と俺が何を話していたのかは本当に知らないらしい。

 なら、あとはやることをやるまで。

 雪は目を伏せて覚悟を決める。

 そして再度開いた眼は、恐れを微塵も映さずレイモンドを見据えていた。



「最愛の彼女を目の前で失った悲しみは計り知れないだろう。どんな形であれ、この終わりの見えない劇は君が彼女と一緒にいたいがために行っているに過ぎない。なのに、君は優しいから中途半端に引き摺ってしまう。本当に閉じ込めたいなら、もっと乱暴な手段を使う手だってあった筈だ。…いい加減、を認めても良いんじゃないか?」


「知ったような口をきかないでほしいな」

「……これ以上は何も言わないさ」


 への布石は、既に仕組んだ。


「俺は、彼女だけではなく君も救いたいと思っている。お節介な旅医者だからね。こんな空間をずっと維持しているんだ。君にも時間がないのだろう?」


 彼が黙り込む。


「君はきっと、俺を生かしてくれないだろうね」

「残念だけど、そうするしかない」


 ガチャッと、ゲストルームの窓と扉の鍵が閉まる音がした。

 これで、雪は外へ出られなくなった。



「俺は想像力豊かでね。果たして、君は全てを知った彼女に何と言われるのかな。それとも、裁かれるのが君の本心なのか———」



 雪の思考が止まる。気づくのが遅かった。


 ぼとり、と重たい肉の塊が落ちるような音と、鉄の臭い。

 いつの間にか、雪は認識できないまま自分の右腕が落ちていた。

 袖ごと切られた右腕からは、ぼたぼたと血が流れる。



「…この空間は君が維持しているから、見えない攻撃だってお手の物ってことか。参ったな、これは」


 あとから訪れる痛みに脂汗を滲ませつつ、しかし止血はせずに雪は正面のレイモンドを見る。

 そして、親しみを込めるかの様に口元を綻ばせ笑った。

 状況に似つかわしくない笑みに、無表情のレイモンドは初めて顔をしかめる。

 少なくとも、雪にはそう見えた。


 彼との短い会話。その中で、雪は確かに、彼の本心を見抜いた。

 だから、もう良い。懸念は無い。



「なら、死ぬとしよう」

「………は?」


「君はまだ良き人でいられる。これ以上、君は自分の手を汚すべきではない。これから起きることは気にしないでくれ。……と言っても、君は優しいからこたえるかもしれないけど」


「何を、言っているの?」

「————俺も


 まだある自分の左手を、その親指を、自分の首に当てる。



「君と彼女が、望む終わりがくることを…遠い世界で願っているね」



 言い終わるや否や、親指を当て、首を切る様に一線した。

 それだけで雪の首から血が勢いよく噴き出し、壁や周辺にまっすぐと赤い飛沫を撒き散らしながら、床に倒れる。

 その光景は、奇しくもシェイナがナイフで喉元を刺された時と重なり、レイモンドは眩暈を起こしそうになった。

 どさりと音を立て、うつ伏せに倒れる雪。表情は彼特有の長い白髪で見えなかったが、徐々にその髪にさえも、血が滲んだ。





「開いた!!」


 鍵が開いた瞬間、紅実が焦りながら入ってきた。

 レイモンドの様子を確認する前に、すでに絶命したであろう雪の様子を見る。

 どんなに深い傷でも、直後であれば治せる傷。しかし、


「治せない……?なんで?」


 ほぼ死人であるシェイナを治せたのは、レイモンドが彼女の魂をこの舘に縛ったから。

 死んだばかりの人間は近くに魂と呼ばれる、自己を構成する見えない物質が浮遊している。

 紅実の術は魂を繋ぎ留めつつ、傷を癒すことを専売特許としている。

 医術というよりは、蘇生術に近い術を自分で創り出した。

 だから命を操る錬金術師と言われたのであろう。

 それは当然、雪だって通じる。

 そう、思っていた。


「もう何もない。何処か別の所へ意思を持って逃げたみたいに……」


 魂に意思はない。あくまで物質。死んだばかりであれば周りに浮遊しているのに。

 彼は、本当に何者だ?人間なのか?


「紅実、彼とは知り合い?」


 感情は伺えないがか細い声で、レイモンドはようやく口を開いた。


「違う。本当に偶然会っただけさ。それで…ごめん。少しシェイナの味方になってもらった。でも、君がのなら意味がなかったね」

「…………………」

「さ、予定が狂ったからまた彼女を元に戻さないと」


 立ち上がり、何ともないそぶりを紅実は見せる。そして、返答の無いレイモンドに再び話しかけた。


「君も少し休むと良い。その間にまた役者を探しておくから」


 すでに、レイモンドはいなかった。

 紅実も見て解る程、彼は疲弊していた。ここに現れることすら、だいぶ無理をしたのだろう。



「しっかし、君は何者だったんだい?そもそも、本当に人間だったんだろうか?」


 しゃがみこんですでに息を引き取っている雪に話しかける。仰向けにすると光の無い真っ黒な瞳が無言で紅実を見つめていた。


 彼は自分自身で危険な橋を渡って失敗し、綺麗に『死』という奈落へ落ちてしまった。

 自業自得だけども、こちらが巻き込んでしまった罪悪感はある。

 せめてもの償いに、開かれた瞳に手をかざし、術の応用で遺体を綺麗にする。



「あ、遺体の処理も俺かぁ。仕事増えすぎなんだけど。村の墓地に埋めて良いかな」


 問いや愚痴には誰も答えない。

 同じことを何回もやっていると、たびたび変な客が迷い込むものなのか。


 それにより終わりが加速していくことを紅実は痛感していた。



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