三章 認識を偽る(終)
午後二十三時。みな客室へと戻り夜が更け始めた頃。紅実は一人で二階の廊下を歩いていた。
少し早いが、今回はあの医者をはじめに殺そうと胸に秘めながら。
殺すのは語弊だ。即死寸前の傷を与え、得意とする錬金術師を駆使しすぐ傷を治す。呼吸はさせず、しばらく臨死状態にするのだ。外見はさながら死んでいる様にみせる。
過去に紅実はこれを何回もやり、成功させた。レイモンドにだってやってのけた。
音を出さない様に注意しながら、部屋の扉を開けるが、医者はいなかった。
ゲストルームで感じた印象よりも予想以上に自由奔放でため息をつく。
仕方なく探しているとふと視界に入った二階の窓の外から外の庭のベンチに座っている医者を見つけた。気配を殺してゆっくりと、それでも急ぎ足に紅実は近づく。
「不思議な庭だね。ついさっき手入れが施された様に綺麗だ」
「————!!」
気配を完全に殺して、足音一つ発てていないのに気づかれた。
咄嗟に隠し持っていた短剣を袖の中へ隠す。
振り向いた医者は、変わらず照れ交じりの笑みを零しているが、先ほどのおどけた印象とは違う異様な…異質な雰囲気があった。
長く生きている紅実でさえも、久々に冷や汗が頬を伝う。
「どうやら、俺は招かざる客らしい。そうだね?」
医者は淡々と続ける。
「俺は魔術師でも錬金術師でもない。けど、普通の人間とは違うんだ。こういう類にまれに出会ってしまう。本当に偶然だから、警戒しないでほしい」
『と言っても無理か』と肩を落としながら、瞳は全てを見通してるかの様に紅実を睨む。
「君達がここで何をしているかは知らない。ただ、シェイナという女性がどんな状況なのかは解った。俺も稀有な医者だからね。——彼女を縛る鎖が見えないとでも?」
君達、と雪は言う。
どうやら、レイモンドのことを察知している様だ。
「お前は何?」
第六感では済ませることの出来ない探知力に、紅実はつい強めの口調で食い込む。
「白髪のちょっとお節介な医者さ。君も微妙な立場にいる人間らしい。乗りかかった船ってやつだね。手伝おう。あぁ…因みに、客人二人はもう舘の外だ。無関係な人を巻き込みたくない。君と違ってね」
紅実の言葉を予想していた雪は、簡潔に根回しをしていたことを教えへらりと笑った。
「………はぁ。それ拒否権ないじゃん…。まぁいいや。丁度、俺一人じゃもう無理かなって思っていたんだ」
「あはは、理解が早くて助かるよ」
呑気に答える医者。腹の底が見えないところが自分にそっくりで、同族嫌悪とは正にこのことだと紅実は悪態をつく。
「言っとくけど、船は船でも泥船かもしれないよ」
「いいね。最高」
ついさっき初めて遭ったばかりの底どころか得体の知れない白髪の医者、雪。
手を取ってしまったのは、らしくもない焦りのせいだろうか。
・・・・・・・・・・・・
「………さて、まずは教えてもらおうか」
協力を結んだ雪と紅実。
午後二十三時十五分。
庭から離れ、ゲストルームの隣の部屋…つまり、シェイナがいつも起きる場所で対面していた。洋風な内装とは正反対な和服の二人は見事にミスマッチしている。
雪は別に元のゲストルームでも、客室でも良いと思ったのだか、紅実曰くこの部屋がレイモンドに一番勘づかれない場所らしい。
「何を教えればいいかな」
「もちろん…どうしてこの『舘』が出来たのか。何が目的なのか、かな」
「要するに、シェイナとレイモンドの出会いから始めた方がいいね」
「君は二人の知り合いなのかい?仲良しとか」
雪は遠慮がないらしい。ずけずけとプライバシーに踏み込んでくる。
だからこそ、時間のない今は助かっているのだが。
「………シェイナは違う。レイモンドは腐れ縁というか、弟子に近い存在だ。彼はこの先にあるグラヴべ村の領主の一族、ハーレー家の長男でね。なのに魔術の才能が無くて親からも見放されていた。それでも村のために何かしたいと思うぐらいにはお人よしの性格だ。それで、数年前に偶然この村に立ち寄った俺の噂を聞いて、錬金術を教えてくれと声を掛けられたってわけ」
「なるほど。錬金術は科学面も多いから魔術の才能が乏しくても何か得られると思ったんだね」
「さっき『あまり知らない』って言ってたくせに知ってるじゃん」
「俺も意外と長生きなんだ。続けて?」
紅実の知識欲が雪を正体を暴きたくなるが、こらえて話を続ける。
「簡単に言えば、ハーレー家はそれを良しとせず認めなかった。
ここからは、シェイナとレイモンドの出会いから話したほうがいいかな。俺もレイモンドから聞いた話だけど」
——それは、『あるところに…』とお決まりの定型文に始まる。
「誰も知らない、この舘とグラヴべ村を中心に起きたある二人の物語さ」
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