三章 認識を偽る(1)


「うーん、迷ってしまったね。これは」


「あはは」と困ったように独り言を言うのは真っ白な長い髪を毛先で結んだ、藤色の着物を纏う男性。

 彼は放浪癖があり、各地を旅しながら傷ついた人を癒す医者だ。

 魔術や錬金術は使わない、至って普通の医者。


 既に日は沈み、獣の鳴き声もする。

 それでも別に、獣への対処も出来る彼が歩き続けるのは問題ないのだが…。


「さすがに歩くの疲れたなぁ。来た道を戻るのもいいけど、地図見る限りではあと三分の一って感じだから戻るのも…」


 治療をした後、素直にご厚意に甘えて泊めてもらえばよかったと後悔する。


 最悪、野宿でもするか…。道具はあるし。そんなことを考えていたら、一軒の灯りが見えた。近づくと、そこは小屋ではなく舘だった。


「あれ?ここら辺に舘なんてあったっけ?」


 人から聞いた話では無かった筈。でも確か————、


「まぁいいや。泊めてもらおう」


 疑問に思いながら、一度思考をリセットする。

 立派な舘に若干尻込みしながらも軽快にノックをし、医者は誰か開けてくれるのを待った。



「は、はいっ」


 現れたのは、鮮やかな金髪を靡かせる女性だった。

 水宝玉すいほうぎょくの様な澄んだ瞳をして、赤いブランケットと同色のロングスカート。

 エプロンをしているので女中かと思ったが、身なりからどうやら違うことが解った。


「こんばんは、夜更けにすみません。道に迷ってしまって」

「貴方もですか?私もなんです!」

「えっ?…失礼。ここの主人は…」

「不在みたいです。さっき私もここに来たんですが、先に来ていたある方しかいなくて…」


「とりあえず、中に入ろうかな…主人が帰ってきたら弁解しよう」


 どうやら女性も村へ行くために森の中を歩いていたらしい。

 一人でこんな暗い森を歩いているのを想像すると、痛たまれない。

 不安は人一倍あっただろう。

 女性に促されて、医者は一歩舘の中へ入る。



「————ん?」


 静電気が走ったような、微かな違和感に医者は振り向く。

 夜の肌寒い静寂と、光の見えない森の闇だけが変わらずあった。


「どうかしましたか?」

「いや、何でもないよ。お邪魔します」



 医者は、自分自身が一番理解していた。

 そのせいで第六感というモノが鋭いのも自覚している。


 …………ややこしい事象に巻き込まれたかな。


 前を歩く女性に気付かれない様に目を細め、違和感に睨んだ。


「立派な舘だね。掃除も行き届いている。なのに誰も居ないのか」

「はい。それがとても不思議で…」


 ぱっと目が合うと、女性はじっと医者の真っ白な髪をしばらく見つめていた。

 医者が小首を傾げると、「申し訳ございません」と急いで謝る。


「珍しいでしょ?真っ白な髪。アルビノって言うんだって」


 慣れっこな医者は苦笑しながら自分の毛先を触った。


「聞いたことあります!白い髪に赤い瞳だって。でも、貴方の眼は黒いですね?」

「うん。だから、中途半端アルビノってやつだねー」


 女性は小さく笑う。緊張した雰囲気が解れた様だ。


「名前をお聞きしても?」

「はい。私はシェイナ・ミルバーデンと申します」

「シェイナさんですね。あ、俺の名前は…」


 女性に向き直り、姿勢を直す。真っ白な髪は、やはり何処か幻想めいて見えた。


「雪と言います」

「せつ?」

「ご覧の髪だから、そう名付けられました。各地を見て回る、しがない東洋の医者さ」

「お医者様!?これは失礼を…」

「畏まらないで!?本当にしがないから!!」



 何気ない会話で緊張をほぐしながら皆が待っているゲストルームに入る二人。

 そのには三人の迷い人がいて、談笑しながらシェイナ達を待っていた。


「連れてきました!」

「初めまして、雪と申します。しがない旅医者です。皆さんの事情はシェイナさんから訊きました。こんな偶然があるんですね」


 苦笑しながらも落ち着き払った声色で話す雪はすぐ馴染み、五人で改めて自己紹介を軽く済ませる。

 この状況に混乱はすれど、警戒する様子はなく、各々で会話を楽しんでいた。



「…そういえば、紅実は本当にあの紅実?」

「あのって?」


 突然声を掛けられた紅実は驚きながらも、雪の言葉に小首を傾げる。


「俺の地元の東洋じゃ有名だよ。と言ってもあまり知らないけど、命を操る錬金術師って」

「確かに傷を治すのは得意だけど…今はそう言われてるのかぁ」

「医者にはならなかったの?」

「なろうとしたけど、あの時代は錬金術師が更に差別されててねぇ。もうどうでも良くなった」


「あの時代?」

「うーん、百年前?」

「ひゃくねん!?」


 つい大声を出す雪に視線が一気に集まった。

 曖昧な笑いをして何とかその場をやり通す。


「魔術や錬金術を扱う人たちは長命とは聞いたけど…世の中にはいろんな人がいるもんだねー。さ、次の人の話しを聞こう」


 儚げな見た目とは正反対に好奇心旺盛らしい医者は、席を立つと自己紹介時に技術士であると名乗った男に話かけに行った。

 そんな様子を見ながら紅実は目を細める。



 ——なぜ、今回選んでいない男がいる?

 迷い人は常に二人だけだ。そうなる様に『舘』の主であるレイモンドが造り替えた。二人迷い込んだら『舘』は次の日の朝まで外界から閉じられ、出入りが出来なくなる。しかも、招かれた人にしか『舘』は常に見えない。それほどまでに隔絶された空間にだ。

 だが、雪という男はここに迷いこんだ。

 レイモンドの力が弱っている?それか…。


 彼自身に何かある?

 …………考えても仕方ない。夜が更けてから考えよう。


 

 前回だけかと思ったら、今回も出てこれなさそうとは…やはり、長期間『舘』を維持するのは無理があったのだ。


 実質もうレイモンドの勝ち逃げに近い状況。

 しかしそれは、本来の二人が望まない終わり方だ。


 ほぼ一人でこの演目を管理している紅実自身が、レイモンドが居ないのを良いことに徹底的にシェイナをサポートしてもいいが、彼女の記憶の操作はレイモンドがしている。

 無理やり記憶操作を解除してもいいが…特に、渦中の人物であるは許さないだろう。

 だから微妙な手助けしか出来ない。

 今回はより慎重にいこう。


 シェイナが自分自身で、彼に近づけるよう————………


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