二章 心を偽る(終)

 しばらく走り続け、廊下の角を曲がり、すぐ近くにあった部屋へ入る。

 紅実の視界から何とか消え、彼を振り切った。


 音を発てないよう、静かに呼吸を整え部屋を見回す。

 どうやらビリヤードルームのようだ。またの名をスモーキングルーム。男性客がビリヤードでゲームなどをして、憩う場所だ。

 紅実の足音が近づいてくる。シェイナは扉から離れ、咄嗟にビリヤード台の下に隠れた。

 台の下はカーテンの様な布で足元が隠れる様になっている。バレるかもしれないが、そこしか隠れる場所がなかった。


 ——扉の開く音と、やけに響く足音が聞こえる。

 震えながら、どうか早く去ってほしいと願った。


「うーん。追いかけるというのは難しいね。自分で言うのもあれだけど、俺は勉強が出来るけど頭は良くないタイプだから、こういうのはなー」


 ビリヤード台の真横を紅実が通る。



「…だからこんなことにも手を貸しているのかな」


 ————?


「まぁいいや。時間には限りがあるが、まだ切羽詰まってはいない。ゆっくり行こう」



 彼自身がシェイナの存在に気付いているのかは解らない。

 だが、彼女に語りかける様に独り言をこぼすと部屋から出ていった。


「何とかここから出ないと… っ」


 紅実言っていた言葉の意味は解らない。ここから逃げることが先決だ。

 しかし扉も窓も塞がれている中、何処に逃げれば… 。


「…書斎」


 はっとシェイナは思い出す。

 何故か二階の書斎だけ、窓が開いていた。高さはあるがあそこしか外に出る手段がない。

 しかし、同時に罠かもしれない。紅実があの書斎をシェイナに教えてくれた。


 ——だが向かうしかない。そして、何とか見つからず、外へ逃げ出す。

 もう一度深呼吸をして、無理やり頭を冷静にさせる。


 紅実の足音は舘の奥へと消えていった。

 舘の間取りは解らないが、走り回った感じだと構造は左右対称。

 奥の廊下は行き止まりになる筈。

 シェイナは行くべき書斎は一度玄関前の広間を通って、階段を渡らないといけない。

 つまり、紅実とは正反対の場所へ向かえばいいのだ。

 後ろを気にしながら行けばきっと大丈夫。待ち伏せされる前に書斎に向かわなければ。



「行こう」


 自身を鼓舞し、シェイナはビリヤードルームから出た。

 周りを確認する。紅実はいない。丁度よく、外で突風が吹き荒れて大きな音が鳴った。木々が揺れ、窓ガラスが震える。


 その間にすぐ扉を閉め、急いで書斎へと向かう。

 なぜ紅実は迷い人を殺す?役目だから?手を貸すとは?

 彼の言っていること全てが解らない。

 それでも唯一解るのは、自分自身が、漠然とこの舘に関係あるということだけだ。



 無事に書斎へ辿り着いたシェイナ。まだ窓は開いていた。

 窓の前に立ち、下を見る。茂みもあるし、少し高いが頭から落ちなければ大丈夫だろう。

 意を決し、シェイナは窓の淵へ手をかけた。



「待った」

「————!!」



 後ろから勢いよく肩を掴まれ、のけぞる。手を払って距離を置くが背には本棚。

 簡単に、いつから居たのか解らない紅実に追い詰められた。


「なんで、こんなことするの… っ、私は貴方を知らない… 」


 絶望的な状況だが、シェイナの瞳は紅実を見る。


「俺は知っているよ。俺は君の大事な人の、友達だから」

「友達…?」


「少しネタばらしをしようか。——君はさ、足元のに気付いている?」


 紅実がシェイナの足元を見る。つられてシェイナも見て、言葉を無くした。



「君が歩くたびに鎖が擦れる。場所を特定するのは簡単なんだよ。今の君は、君自身が『認識』しないと何も分からない。脚本に沿って動く生き人形だ。本人が思い出したり、第三者に言われてからじゃないと気づくことが出来ないって、厄介だよね」



 シェイナの両足首には、枷と鎖が巻き付けられていた。


 鎖はある程度伸び、いつの間にか手首に嵌められた枷に繋がっている。

 鎖に質感や質量はない。だが雁字搦めにされてるそれは、彼女が何かに捕まっていることを意味していた。



「なに… これ。知らないっ、私は何も、何も知らな—— 」


 叫びにも似た言葉を発した途端、シェイナの腹に激痛が奔る。

 紅実が剣で腹を裂いたのだと、気づいたのは後だった。


「どうやら今回はここで時間切れだ」


 膝から崩れ落ちるシェイナを、紅実は感情のない顔で見る。

 血が溢れ霞む意識の中、シェイナはすっと頭の中が軽くなった。

 混乱もせず、相手を恨むわけでもなく、ただこう思う。


 またたどり着けなかった。 繰り返し、繰り返し、果てが見えない程。


 いつになれば————。


 意識を失う直前…一瞬にも満たない刹那にを思い出し、ただ虚しさだけが残った。






「…うん、まぁこんな感じかな」

 

 重たい静寂の中、紅実は既に息がないシェイナの傷口に手をかざす。

 それだけで、彼女の傷は消えた。傷どころではない。服に染みていた血も消える。

 治癒、というよりは復元に近かった。

 彼女を適当なソファに寝かせ、次に迷い込んだ客が倒れている部屋に入った。


「やっぱり少しやりすぎたかな。別に人を傷つけるのはわけないんだけど。治せるし」


 壁や床についている血に顔をしかめてから、片方のつま先で床を一回叩く。今度は惨状なんて無かったかの様に客室が元の状態に戻った。


 そしてシェイナと同じように客人の傷口に手を当て、傷を消す。二人とも、まだ何とか生きていたため治すのは簡単だった。ついでに記憶も操作した。これで起きた直後は夢遊病になったかのように意識が曖昧で、朝になったらいつの間にか舘から出ていくという細工だ。



 秘匿性が高く謎に包まれた錬金術の中でも、『魂と肉体』の扱いに長け、その過程で自身すら既に永い時を生きてしまった紅実だからこそ出来る奇跡に近い技だ。


 レイモンドと自分が知り合ったのは本当に偶然だったが、その結果が今の状況を作り、さらに自分の術で事象をややこしくしてしまったのは皮肉だが。

 だか、これが

 彼…レイモンドに勝算が偏り過ぎている理不尽極まりないルールだ。



「全く、身を削る愛ほど怖いものはないよね」


 誰にも言うわけでもなく、ぽつりと紅実は呟く。


 ————舘のレイモンドは、目覚めなかった。


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