二章 心を偽る(2)


 一人ゲストルームに残されたシェイナは、紅実が去ってから深いため息をついた。

 どっと冷や汗が流れる。気持ちを落ちつかせ、彼の言葉を振り返った。



  ——私はなぜ、森の中を歩いていた?そうだ、歩いているはずなのに靴に汚れが見られない。

 村から歩いてきた?村ってどの村?

 知人や友人の名前は?家族は……?

 知っている筈なのに解らない。思い出せない。思い出そうとすると頭が痛くなる。 

 感じたことのない焦りが積もり、泣き出しそうになった。


「なんとかしないと…」


 何をする?わからない。

 しかしシェイナは堪え、立ち上がる。何故だが、ここにその原因があるだろうと直感した。

 理由は解らない。しかし、確実にあると、絶対的な自信が芽生えていた。


 まるで、だと身体が覚えている様な感覚に従って。



 ゲストルームから出て、シェイナは主人の書斎がある二階へ行く。扉の装飾差から、すぐに左側にプライベートの部屋があることが解った。

 おそらく、他の人達は寝たのだろう。風で木々が擦れる音しか聞こえてこない。


 書斎に入ると、やけに肌寒い。窓が一つ空いていて、カーテンが小さく揺れていた。

 部屋の壁一面に本棚が並んでいる。様々な本があり種類は分けられていないが、五十音で整理されていた。


 『ここの主人は几帳面な人だ』と思いながら、本を指でなぞっていく。


「——あれ」


 何か違和感がある。

 そう思って、なぞっていた指を止めた。


「ここだけ順番が逆だ…」


 手に取ったのは花の図鑑。何となく、ページをめくってみる。

 ——カラン、と何かがシェイナの足元に落ちた。



「鍵?」


 家の鍵よりは小さい、小さな箱などに使用する鍵が本の隙間からするりと落ちてきた。

 まじまじと見つめる。シンプルだが、丁寧な装飾。大事に扱われているのが解った。



「どこのだろう…。———!?」



 元の場所に戻そうとしたその時、誰かの絶叫が舘に響いた。


 女性の声。迷い込んだ人の一人——!?

 急いでシェイナは書斎を出る。手に持っていた鍵は咄嗟にそのまま服のポケットに入れた。

 書斎を出て正面、つまり、向かい側にある客室の扉が開いていた。

 叫び声を聞いた男性がシェイナには目もくれず、……おそらく気づいていなかったのだろう。自分の部屋から飛び出し、そのまま扉が開いている部屋へと入った。

 シェイナも遅れて続く。


 ——いったい何が。

 先程から焦りのみ積もってく。



「どうしましたか——っ!?」


 部屋の光景——否、惨状を見て、シェイナは言葉を失い青ざめた。


 ベッドに横たわるは無残にも首を切られて、既に絶命している女性。

 そして、ベッドの前には今まさに腹を鋭利な剣で刺されている男性。



「——な、んで…?」


 意識が遠のき、惨状に吐きそうになる。

 そして、ただひたすら『なぜ』と問いたい。


「なんで、貴方が…?」


 たった今、殺人を犯している赤い髪の人物を。

 ずぶりと、男性の内臓がかき回される音をたてて、剣を抜いた。



「何でって、やる理由があるからね」



先程聞いた明るい声色のまま、紅実は剣についた血を払った。



「…………」

 

 ゆっくりと紅実が近づいてくる。恐怖で腰が抜け、崩れる様に座ってしまった。

 「逃げろ」とまだ意識があった男性がシェイナに呼びかける。

 小さな、くぐもった声だったがしっかりとシェイナの耳に届いた。

 立ち上がり、何とかシェイナは走る。



 ——一体何処に逃げればいい?解らない。それでも逃げないと。

 階段を下りる。そのまま外へ出ようとしたが、鍵がかかっていた。窓の鍵を開けるもなぜがびくともしない。

 まるで、シェイナを逃がさないと言っている様だった。


「どうして…?」


 ゆっくりと、紅実が近づいてくる。シェイナをいたぶる様に、恐怖は近づく。舘の間取りもわからないまま、とにかく逃げ続けた。


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