二章 心を偽る(1)


「全く、これで何回目かな… 」


 紅実が小さな声で呟く。舘にはまだ誰もいない。

 彼かレイモンドがいつも一番乗りだ。

 いや、一番乗りなのは彼女なのかもしれない。彼女は舘から出られないのだから。  

 目の前のソファで、すやすやと眠るシェイナを一瞥する。

 今の彼女に絞殺された痕はなく、傷一つ…なんならあの時の記憶すらない。

 それが、彼と彼女が一番最初に決めたルール。

 シェイナは、自ら哀れな道化になっている様なモノだった。



「さて、もしもーし」


 軽く彼女の肩を揺する。


「ん……。あれ?私…」

「おはよう。いや、こんばんはかな?眠り姫。森の中を歩いて疲れてたんだろうね」

「お恥ずかしいところをお見せして申し訳ないです…」

「良いんだよ」


 目が覚めたシェイナが最初に会うのは必ず自分かレイモンドだ。

 そして彼女の記憶を刷り込む。そうじゃないと、『村へ行くために森の中を歩いていたが、夜になって舘を見つけた』という、偽物の記憶が定着しないから。


「君が眠ってしまった後、客人が二人来たよ。不思議な偶然があるものだね」


 半分嘘だ。確かに村と村を繋ぐ林道から少し外れた場所にこの舘はあるが、道なりに歩けば迷う訳がない。しかし、この舘に近づくと何故か迷い込むように、レイモンドが彼自身の術で細工していた。


 そして不幸にもエキストラとして呼ばれた人達は一夜だけ、この終わらない劇に参加することになる。

 あぁ、あのアルドとかいう男には交換条件と引き換えに協力してもらったんだっけ。

 だが、今回はいつもと違っていた。


 


 いや、正確にはこの舘にいるのだが、出てこない。

 ——何となく、いつかこうなることは予想していた。


 目の前のシェイナと会話をしながら、紅実は思案する。

 普段の自分ならここら辺でネタばらしをして、強制的に閉幕しても良いと考えてしまうのだが、彼とは知己の仲だ。ある意味、弟子に近い。

 何よりも……この二人の結末を見てみたい。

 そのためには、何処までも踏み込んで良いとも思っている。


 やることは決まった。

 親しみを込めた笑みを張りつけた裏で、紅実は結論を出した。


 シェイナをエキストラが待っているゲストルームへ連れて行き、互いに自己紹介を軽く交したあと、後から来た二人は早々に客間へと引きこもってしまった。



「さて、シェイナは錬金術師がどんなものか知っているかい?」


 これからのために、気まずい空気を柔らかくしないといけない。

 夜が更け二十三時を回ったところで、紅実が話を切り出す。


「えっと… 。何かはともかく、錬成… 造りだす人たちですよね?魔術士とは違う」

 


 素直なシェイナの答えに、紅実は頷いた。


「そうだよ」

「でも、何を造るのか秘匿する人が殆どだと… 」

「うん。秘匿にしているのは、自分で造り方を発見した場合が多いからかな。だから弟子にしか教えない。造り方は様々。殆どは科学と魔術を両方駆使しているんだ」

「相反するものを?」


  魔術は自然物を利用した奇跡。逆に錬金術は人工物を駆使した化学というのを、そういう才能がないシェイナでも、一般教養として知っている。


「一般的には疎まれる方法を使うから、特に魔術士からはよく思われてないね」

「へぇ… 。どちらも使わないので何で駄目なのか解らないです… 」

「変だよね。俺は造りたいものがあったから、使えるものを全て使っただけだ」


  疎まれたことも、差別されたことも確か。だが俺は間違ってない。

 そもそも、誰が間違いだと決めつけ、誰が絶対的なルールにした?


「…紅実さん?」


 つい素の自分が出てしまったことに気づいた紅実は、シェイナが一瞬、体を強ばらせたことにも気づき、へらりと笑って誤魔化す。


「ま、その結果、科学も魔術も便利なもの!ってことで俺の中で結論が出たわけ」

「なるほど!ちなみに、何を造っているのかは聞いても… 」


「知りたい?」


 顔を近づけ、挑戦的な声色で紅実はシェイナに言う。

 しかしその貼り付けた笑みは何処か昏く、と言っている様だった。


「や、やっぱり良いです…」

「それがよろしい!!ところで、」


 せっかくだ。、シェイナ・ミルバーデンを少し揺らしてみよう。


「君はなぜ、一人で森を抜けようと?」



「————えっ?」


 シェイナの表情が固まる。アクアマリンの瞳が微かに揺れた。


「うら若き女性が一人で、夕方近くに疲れて眠るほど深い森を歩くなんて、不思議だなって」

「わ、私は… 」


 理由を言おうとした。しかし、シェイナは言葉を詰まらせる。

 彼女の動揺に、紅実は笑みを深くする。



  言おうとしている。だが、どう頑張ってもまだ言える筈がないのだ。


「ま、女性にだって秘密の一つや二つあるよね!」

「ご、ごめんなさい… 」

「いいのいいの」


 申し訳なく微笑む彼女の頭の中は、渦を巻く様に混乱しているだろう。

 だが、それが大きなきっかけとなる。


「そういえば、ここの主人の書斎はかなり立派なものだったよ。寝れなかったら暇つぶしに見に行くのもいいかもね」


 脈絡のない言葉を残して、紅実は客室へ向かった。



 ——少しヒント出しすぎたかな。

 もしかしたらレイモンドが起きた時に怒られるかも知れない。でも、これぐらいハンデがないと余りにも分が悪すぎる。

 そう呑気に考えながら、これから起きるであろう出来事に胸を膨らませた。



 

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