一章 真実を偽る(2)
「——何だか疲れたなぁ」
靴を脱ぎコルセットと結った髪をほどいてから、柔らかなベッドに体を預けてシェイナは呟く。特別香りがするわけではないが、滑らかな肌ざわりが心地良い。
——ベッドの肌触りや見た目から、長年放置されているわけでもない。
周りの家具だって、今朝掃除がされた様に手入れが行き届いている。
客室だけではない。自分達がいたゲストルームも、廊下だって行き届いていた。
そもそも広い屋敷だ。主人は不在になっても従者は一人ぐらい残る筈…。
シェイナが一番気がかりにしている疑問だ。きっと、この大きな矛盾点に他の者達も同じ気持ちだろう。
「…部屋と窓の鍵はしっかり閉めよう」
立ち上がり、鍵をかける。鍵のかかる音で少しだけ安心した。
ともかく、夜が明ければすぐに出ればいいんだ。それまで大人しくしていればいい。そう自分に言い聞かせて、柔らかベッドの毛布に包まり緊張しながらも目をつぶった。
瞬く間に朝になる。木々の隙間から朝日が差し、暖かな温度が緩やかに部屋を満たす。そしてシェイナもゆっくりと目を覚ました。
時計を見るとまだ五時。雨も止んだらしく、とても静かだった。
起き上がり、窓の外を見る。昨日は夜で見えなかったが、裏に庭園があった。どうやら花が咲いているらしい。
二階からでも解る程、丁寧に整えられた綺麗な庭園。花に付着している雨粒が陽光に反射して輝きを増している。
滅多にお目にかかれない景観だと誰が見てもわかるだろう。
「……誰も居なさそうだし、少しぐらいなら見に行ってもいいかな」
好奇心に負け、シェイナは身支度を済ませると静かに外へと出た。
「——わぁ」
庭園に着くなり、シェイナは感嘆の声を漏らす。
道沿いに色とりどりの薔薇が咲き、アーチには様々な花があしらえていた。それらの朝露が朝日に反射し、形容しがたい美しさを表している。
奥にある小さな噴水のせせらぎと鳥の囀りが響く中、シェイナは薔薇を近くで見ようとしゃがむ。花と同じ視点になるとまた違う美しさが垣間見えた。
「ここ、綺麗ですよね」
「……レイモンドさん」
シェイナと同じ理由で来たのか、一足遅くレイモンドが庭園にやってきた。
彼もしゃがみ、自分と同じ視点に立つ。
互いに軽く朝の挨拶をし、立ち上がるとどちらが誘うでもなく歩き始めた。
「ここの主人は花が好きだったんですね」
「えぇ。あっ、もしかしたら、夫人の趣味かも…」
「そうかもしれません」
ふふっと笑い、和やかな雰囲気が辺りを包む。
「シェイナさんは、花がお好きなんですか?」
「はい!私、花屋を営んでいるんです。ここには珍しい花もたくさんあって、ついつい長居をしたくなります」
広すぎず丁度良い広さの庭園を見て回り、一周したところで、再びシェイナが口を開く。
「不思議な一泊で、どうなるか不安が多かったんですが、楽しかったです。縁があればまた会えるでしょうか?」
「…そうですね。きっと会えますよ」
シェイナの問いに、レイモンドが前向きな言葉で返す。
「さぁ、朝とはいえまだ早い。体が冷えてしまいます。お部屋に戻るべきだと…」
「これから森を歩くのに、風邪を引いては元も子もありませんね!レイモンドさん、ありがとうございます」
「はい」
名残惜しく二人は客室の前で別れた。まだ朝は早い。シェイナは暖炉の前にあった安楽椅子に体を預け、しばらくゆっくりとした時間を過ごす。
しかしそれは、一時間ほどで破られた。
うつらうつらとシェイナがまどろみに包まれている中、突如絹を裂く様な絶叫が屋敷内に響く。当然眠気は掻き消え、反射的に椅子から立ち上がった。
「この声は…コヘットさん!?」
急いで部屋から出てコヘットを探す。
他の客も彼女の叫び声にほぼ同時で部屋から出た。
コヘットが一番初めに行きそうな場所…。誰しも知っている場所に行く筈だ。
それなら、
「ゲストルームか…!」
焦り顔で紅実が呟き、全員で急いで向かう。
——あれ?
ここでシェイナは違和感に気付いた。よからぬ予想が頭に過ぎり一度立ち止まる。
彼がいない。先に行ったのか、それとも…
「嫌な感じだな」
隣で並走するアルドも、シェイナと同じ様なことを考えていたようだ。
嫌な予感が、最悪の事態が、頭をよぎった。
「コヘットさん!」
勢いよく扉を開けて、シェイナがコヘットの名前を呼ぶ。
そこには、三人掛けのソファーの横で膝をつき、へたり込んでいる彼女がいた。
「…あっ、な、なんで…?」
青白いを超えて真っ白になっている顔。震える右手で、コヘットは指をさした。
気を失いそうになるコヘットを紅実が支える。
そして、彼もその指の先を見て声を失った。
「——ッ」
「そんな…」
アルドは舌打ちをし、シェイナは視界が真っ黒になるのではというぐらいの立ちくらみを覚えた。
ソファに仰向けに横たわっているのは口と腹から大量の血を流しているレイモンドだった。
垂れた右腕から血がつたい、絨毯に染みを作っていく。
鉄の臭いが生々しく室内を埋め尽くしていた。
焦点が合っておらず、ガラス玉の様に開かれる目と口から零れている血液で、誰がどう見ても死んでいるというのが解った。
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