一章 真実を偽る(1)


「ん……」


 ぱちぱちと、小雨が窓に当たって弾ける音で目を覚ます。

 どうやらソファで寝てしまった様だ。

 長く眠っていたようだ。体の節々が軽く軋んでいるような感じがして、ぐぐっと背伸びをする。


「あ…シェイナさん、起きました?」


 落ち着き払った穏やかな声に視線を向けると心地の良い紅茶の香りが鼻を掠めた。

 声の主の男性は、猫っ毛で焦茶色の髪を少し邪魔そうに払ってから、伏し目がちな瞳を開けこちらを見た。

 目の前のローテーブルに紅茶を置いて、対面にあるもう一つのソファに座る。

 

「そろそろ起きるかなと思って淹れてきたんですが…。飲みます?」

「…い、いただきます!」


 未だ霞む頭のまま、シェイナは差し出された紅茶を飲む。

 目の前の女性の慌ただしさが面白いのか、男はくすりと微笑んだ。

 シェイナは何だか照れくさくて、誤魔化すようにカップに目線を下げる。

 砂糖を入れてくれたのか、ほんのりと甘く、すっと心が落ち着く。

 霞んでいた頭が徐々に冴えてきて、自分がどうしてこんな所にいるのか思い出してきた。


「どこか、ご加減が悪いのですか?」

「大丈夫です。お気遣いありがとうございます。ええっとレイモンドさん、でしたっけ?」


「はい!レイモンドです。レイモンド・ハーレーです」


 深緑の瞳を細め、レイモンドは心底嬉しそうにする。

 ——そうだ、私は森を抜けようとしたら、夜になって…どうしようと思っていたら、この舘を見つけたんだ。

 確か、この人も偶然来た人で…。私は疲れてここで寝ちゃったんだった。


「貴女が寝ていた時に、舘の中を見て回ったんですが…誰もいませんでした」

「え⁉」

「あ、でもついさっき僕たちみたいに、森を抜けようとしてここに辿り着いた感じの人が三人来ましたね。隣のゲストルームで休んでいますよ」

「そんな偶然あるんですね…」



 レイモンドに連れられ、隣の部屋へ移動する。

 入るとそこは、シェイナが居た部屋とあまり変わらないが、シャンデリアと赤い革張りのソファが印象的な高級感溢れる部屋だった。

 扉を開く音で、中にいた三人の視線が一斉にこちらに向けられる。



「お、其方のレディが眠り姫かな?」


 少しの緊張のあと、ある男が席から立ち上がり話しかけてきた。

 和服を着た、肩ぐらいまで伸びた暗い赤髪の男性。

 近づいて、恭しくシェイナに礼をする。


「失礼。俺の名前は紅実(アカサネ)。しがない東洋人であり、錬金術師だ」

「錬金術師…?」


 聞きなれない単語に、シェイナは小首をかしげる。この世界には魔術が一般的に普及されているが、錬金術は全く知らなかった。



「錬金術師というのは、魔術とは異なる方法で物質を造り出す者たちの総称ですね。有名な話だと、ただの石に色々足して金にしたり、相手の治癒力を活性化させて傷を治したり。ただ秘匿性が高く、何をどうやって造り出しているのか解らないことが多いです」


 ソファに座っていた宵髪の女性が急に話し出す。


「あ、申し訳ございません。研究職なせいか出しゃばってしまいました…。私はコヘットと言います。魔術士故に、フルネームは言えません」


 ばつの悪そうに、コヘットと名乗った女性が語尾をだんだん小さくしながら名乗る。そんな女性を紅実は苦笑しながら話を続けた。


「そんな感じかな。補足するなら…魔術は精霊とか不可視な存在の力を借りるけど、錬金術は科学と魔術…相反する事象を組み合わせることは多いね」

「へぇ…私は魔術の才能はめっきりないので…。あ、そちらの方は?」


最後に、未だ無言だったバンダナが特徴的な、くすんだ茶髪の男性に声をかける。


「…アルド・クリシス。ただの人間だ」


 朗らかな雰囲気をまとっているコヘットや紅実とは対照的に、アルドは警戒しているような目つきをしていて、ついシェイナはたじろぐ。

 レイモンドに促され、シェイナも空いている席に座った。



「皆さん、森で迷られたのですか?」


 微妙な沈黙が流れたあと、シェイナが声をかける。


「そうなんです…。うっかりしていました。暗くなる前には着くかと思っていたんですけど…」

「俺もだ。ここの土地慣れしてねぇけど、森でも舗装されてるしそんなに距離が無いって聞いたから徒歩にしたんだがな…」

「ともかく、雨降っているし今日はおとなしくここでお世話になるのが良いみたいだ」



 窓の外を眺める紅実が、ため息をつく。小雨だった雨は勢いを増してきていた。


「しかし、誰もいないというのが…」


 レイモンドが不安げに口を開く。


「零時まで待ってみるのはどうかな?来なかったら開き直って空いている部屋で寝ちゃうとか」

「俺も賛成だ。胡散臭い連中と一緒に居るのは気が滅入る」


 やはり警戒していた様で、アルドは鋭い目つきで周囲を見た。


「偶然なんだからそう警戒しなくても」

「東洋の錬金術師ってだけで警戒するだろ」

「ごもっともだけどさー」


 言われ慣れているのか、紅実はさほど気にせず大げさに両手を広げた。

 緊張した空気の中、これからどうしようと、シェイナはぼんやりと天井にぶら下がるシャンデリアを眺めていた。



「レイモンドさんは、魔術士ですか?」


 思い出したようにコヘットがレイモンドに尋ねる。


「僕はただの人間です。練習したんですけど、めっきり駄目みたいで」

「あ、私と一緒ですね!」


 ほっとシェイナは安堵の息を漏らす。

 どうやら、自分の他にレイモンドとアルドは普通の人間だったらしい。


「むっ、聞き捨てなりませんね。魔術は才能ではなく、学び方で左右されます。私は研究者でもあるので、機会があれば教えましょう」

「錬金術はー?ねぇー?」


 そんな会話を皮切りに、次第に緊張感が薄れていく。


 雑談を時々交えながらゆっくりと時間は流れていくが、零時になっても主人はおろか誰も帰ってこなかった。




「…帰ってこないですね」


時計の鐘が零時を知らせる中、シェイナが呟く。


「本当に鍵をかけないまま、遠出とかしたのかな」

「——おい、二階に客室が何個かあった。一人一部屋使えるぐらいにはあるぞ」


 アルドがタイミング良く、ゲストルームに戻ってくる。時間を見計らっていたのだろう。言い方からして、主人は戻ってこないと予想していた感じだった。


「…仕方ないですね。勝手にお部屋とベッドを借りましょうか」


 ため息をついて、コヘットは席を立つ。

 どうやら不安は拭えないらしい。それはシェイナも同じで、顔を俯かせる。


「だ、大丈夫ですよ。根拠はないですけど…。すぐ朝は来ます」


 レイモンドが女性二人を励ます。

 声色こそ弱々しいが、気を使っていることは十二分に伝わった。



 二階に上がると、左側は少しだけ装飾がなされた扉…おそらく、主人の部屋や書斎がある部屋が多く、右側がシンプルな、それでいて気品さは失われていない扉がたくさんあった。


「右側が客室っぽかった」


 先に二階を散策していたアルドが説明する。


「もしかして、左側のプライベートルームっぽい部屋も開けたの?」

「んなことしねぇよ、錬金術師が。誰だって扉の雰囲気見りゃ判るだろうが。じゃ、俺は奥の部屋使うから」


 紅実を露骨に睨み、素っ気なくアルドは一番多くの客室に入った。


「錬金術師にも恨みでもあるのかな。まぁ、俺には関係ないけど」


「じゃあお休み~」と手を振って、紅実も空いている客室に入る。


「僕たちも休みましょうか」

「ですね。おやすみなさい」


 それに続き、残った三人もそれぞれの部屋に適当に入っていく。


「では私も……?」



 ふと、コヘットは『しゃらり』と…金属か、それに似たようなモノが擦れる音が背後から聞こえて振り返った。

 それは、魔術師であるコヘットだからこそ気づけた微小な違和感。


「今、なにか…」



 音の方向を見るがそこには誰も居ない。

 強いて言えば、先ほどまでシェイナが立っていた場所だった。

 しかし、さほど疑問にせず、疲れによる気のせいだと思いコヘットはそのまま最後に残った部屋へ入る。







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