春に散る

 


 目が覚めて時計を見ると、13時02分だった。鉛のような体を起こして、キッチンに向かう。冷蔵庫の中はがらんとしていて、寂しいものだった。昨日は雨が降っていたから、買い物に行く気にならなかったのだ。

 真一しんいちの部屋の戸が開く音がした。

「おはよう。真一」

「おはよう、一也かずや。何か食べる物ある? 俺お腹すいたんだけど」

生憎あいにく、空っぽだ」

「じゃあ、外に食べにいこうか」

 俺と真一は適当に着替えをして、いつもの喫茶店へ行った。

 いつもと同じように俺は窓際に座り、その向かい側に真一が座った。注文をして待っている間、真一はずっと窓の外を眺めていた。俺は新聞の中に、近所の公園の桜が見頃だという記事を見つけた。

「なぁ」

「ん?」

「飯食ったら、公園寄ってこうぜ」

「公園?」

「そう。桜が綺麗なんだって」

「ふぅん」

 真一は頬杖をついて欠伸をした。やがてナポリタンとカルボナーラが運ばれてきた。何も話すこともなく、黙々と食べ続けた。お互いに半分くらい食べた所で交換する。真一が寄越してきたナポリタンには、いつのもようにピーマンがたくさん残されていた。俺はこれを食べているときが、人生で―――

「見に行こっか」

「え?」

「桜」

 真一は小さな子どものように、細い唇に真っ赤なケチャップを付けていた。


 遊歩道を二人で並んで歩く。少し先には、小さな男の子を連れた夫婦が歩いていた。男の子は小さな足で踏ん張って、水たまりをジャンプして飛び越えた。幸せそうな家族だと、思った。

「綺麗だな」

 真一が見上げた先には、桜たちが連なっていた。

「うん、綺麗だ」

 遠くから見ると桃色の塊にしか見えなかったけれど、近づいて見ると小さな葉の一つ一つが集まっているのが分かる。その中の一枚が散って、ひらひらと舞い降りていった。やがてそれは、足元の水たまりに落ちて浮かんだ。まるで、湖に浮かぶピンクの小舟みたいだった。

「俺、青森に帰ろうと思う」

 真一は何の前触れもなく、そう言った。俺は声も出さずに泣いてしまった。一粒の涙が水たまりに落ちた。湖面は静かに脈を打ち、小舟が静かに揺れた。

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