第29話 朱花
地下から地上へつながる道は、細く、明るく、そして長かった。
汚れのない真っ白な壁と床に囲まれながら進んでいると、途中で右も左もわからなくなる。何度も曲がり、上り、歩き。自分がどこにいるのかもわからなくなるほど入り組んだ作りだった。
途中に見かけた部屋には、『休憩室』、『開発室』、『廃棄区画』などの名前に目移りするも寄り道はしない。この地下で行われていた研究を想うと、見ていたくもなかった。
一刻も早く外に出たい。そんなリリーの気持ちを汲んでいるのかそうでないのか、ベルティは迷うことなく目的の方向へと進んだ。
長い階段を駆け上がるのは、体力が持たなかった。それでもリリーは足を止めず、上へと昇っていく。
そうして地上に到着すると、目の前には蒼い空が広がった。眩しさに目がくらむが、なんとか慣れて前を見る。そこには、倒れている人に寄り添う人がいた。
その中に、見知った顔を見つける。
「アイルッ!」
血まみれのアイルに血の気が引いた。
彼の周りには真っ赤な血の花が咲いている。その出血量で生きていられるとは思えないほどに大きい花だ。それはどんどん大きくなっていき、アイルの顔から生が抜けていくようである。
リリーは力が抜け、その場に座り込んだ。
「いや、いやっ……いやぁぁぁぁ!」
ボロボロと涙がこぼれ落ちる。
こんなはずじゃなかった。自分はただ、彼と共に各地を巡ってきただけなのに。
どうしてこうなったのだろう。
なんで、こんなことに。
自分の無力さに呆然としていると、隣からベルティが口を開いた。
「あれがリリーちゃんの言ってた、アイルゥ? あんな血だらけになちゃって。あそこまで行くと、回復に時間かかるだろうなぁ……リリーちゃん、指揮官サマ以外にもベイルのお友達がいたんだねぇ」
その言葉を聞いてハッとする。
「ベイル……? アイル、が?」
「そ。アタシ、わかるもん。あれはねぇ……指揮官サマと仲良しのベイルだよ。戦うのはちょー苦手の、裏方ばっかりだったチビッ子ベイル。名前は……なんだったっけ? 忘れちゃった」
ベルティの言葉に耳を疑う。
アイルはベイルではないはず。幼い頃から一緒に成長してきた。そしてベイルの痕跡を見つけるためにレメラスに行くと言えば、護衛が要るだろうと申し出て、しぶしぶ付いてきてくれた。
文句を言いつつも、いつだって手を貸してくれた。
ベイルについて調べると言っているのに、彼はベイルについて語ることはなかった。
彼がベイルだと言うならば、教えてくれたっていいだろうに。
いや、今はそれよりも。
リリーは考えることをやめ、アイルの元へと走った。
セロに支えられているアイルだが、全く動きがない。
リリーに気付いたセロは、申し訳なさそうな顔でアイルを横たわらせた。
そんな彼の元へ行く途中、血だまりに足が沈む。血で汚れることなど気にならない。リリーはその血だまりに膝をつき、震える手で血だらけのアイルの頬に触れた。
まだ温かい。
だが、その温もりはすぐに消えてしまいそうなくらい弱々しいものだった。
リリーの目から大粒の涙が流れ落ち、それがアイルの頬に落ちる。
「リ、リー……」
アイルの口からかすれた声が聞こえてきた。
リリーは目を見開き、顔を近づける。
その瞬間、アイルは勢いよく咳をした。ゴポッと口から大量の血液が流れる。
それでもアイルは、懸命に言葉を紡いだ。
「すまない」
リリーは何度も首を横に振る。
「謝らないで。何もできない私を、怒ってよ。ねえ」
泣きじゃくりながらアイルに言う。
アイルがベイルだろうが関係ない。アイルが生きてさえいれば。
リリーはアイルの手を握る。
「リリーちゃんの大切な人なんだねぇ」
そう言いながら、遅れてやってきたベルティはリリーの隣でしゃがみ込み、アイルの血を拭う。そして、アイルの顔を覗き込むとニッコリ笑みを浮かべた。
「そうです。アイルは、私の大切な……」
仲間、家族、友達。どれも違う。
関係性を言葉にできず、言葉に詰まる。それでも、ベルティはにっこりと笑みを見せた。
「アタシのお友達にとって大切な人ならば、アタシにとっても大切な人だね」
「ベルティさん?」
ベルティは最も出血の酷い腹部に手をかざす。すると、そこに冷気が集まって氷が傷口を塞いだ。
「止血ぅ。これでナカミの回復に専念できるんじゃない?」
褒めてと言わんばかりの顔でベルティはリリーを見た。
「ナカミ?」
「うん。ね、指揮官サマ」
「ええ、俺……急に話を振られても困っちゃうなあ」
リリーが振り返ると、そこにはセロが立っていた。
セロの顔色は悪く、疲れ切った表情をしていた。だがそれは、リリーも同じである。
「アタシは説明苦手だもん。リリーちゃんに説明してよぉ」
「ああ、そっか。そうだったね、君は理論よりも感情的だ」
ベルティと会話をするセロを見て、リリーは目を丸くする。
「アイルくんの体には、俺たちの仲間のベイルが共存しているんだ。そして、ベイルは自己治癒力に長けている……アイルくんの中にいるベイルは特にね。そして今、その力で体を修復しているところ、って感じかな。痛みはあるけれど、主要組織から治しているみたい。ベルティに止血を手伝ってもらえたから、動けるようになるまでもう少しだと思うよ」
それを聞き、リリーは安堵の息を漏らした。
良かった。助かるんだ。
リリーはアイルを抱きしめながら、涙が零れ落とす。
「生きて、アイル……私は貴方とまだ……」
力強く手を握り、神に祈るよう悲痛な声でリリーは言った。
それを見つつ、ベルティはセロに問う。
「それで指揮官サマ。ツーちゃんはどうしたの? この状況を見ると、失敗した感があるんだけどぉ」
「ツーちゃん? もしかして、ツヴァイのことかい?」
「そー」
「ツヴァイなら……動けなくしてるよ。ちょっと度が過ぎたかな」
そう言って苦笑いを浮かべるセロだったが、その目は笑ってはいなかった。いつもとは違う彼の様子にリリーは驚く。
ベルティもそれに気づいたのか、リリーの耳元で囁いた。
――あの人、キレてるよ。怖いねぇ。
リリーはコクコクと何度もうなずいた。
「じゃあ、ツーちゃんは失敗したんだね」
「まあ、そうだね。みんなが助かったということは、そういうことにもなるね」
その言葉を聞いて、ベルティは嬉しそうに微笑んだ。
☆☆☆☆☆
リリーたちがそんな話をしている中、アイルは意識を取り戻していた。
視界いっぱいに広がるのは、蒼い空。それと心配そうな顔をした、リリー。
「アイルッ!」
目を赤くしたリリーがアイルの胸に飛び込むと、鈍い声をあげる。
体が痛むのだろう。
アイルはリリーの背中を撫でながら、口を開いた。
「すまない」
「いいえ。謝らないでと言ったでしょう。生きていればいいんです。生きていてくれれば、それだけで」
「リリー……」
アイルは腕で自分の顔を覆う。そのような仕草は、あまり見せない姿だった。
それ故リリーは気になってしまう。
顔を覗き込み、じっと見つめて異変に気づく。
「アイル、その目は……?」
「目?」
リリーは自分のポケットを探る。そして持ち歩いている小さなコンパクトミラーでアイルの顔を映した。鏡に映ったアイルの左の瞳は白銀になっている。
その色にリリーは見覚えがあった。
セロの髪と同じ、白銀。しかも片方だけ。
「あっれ、アイルくん。いい色してるね。俺とおそろいだ」
いつの間にか近くに来ていたセロが、アイルを覗き込んで言った。その声に反応して、ベルティもこちらへとやってくる。
「司令官サマとペアルック~。かわいいぃ~」
次々に言われ、アイルは眉間に深く皺を寄せて言う。
「やめろ、気持ち悪い」
アイルは前髪を手で掻き下ろして、変色した瞳を髪の毛で隠した。
「うう、お兄さん。傷ついちゃうんだけど」
わざとらしく落ち込んでいる素振りを見せるセロ。
このやり取りが心地よくて、リリーはやっと心の奥から笑みがこぼれた。
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