第28話 思念


「アイルくんは人間。だから身体を傷つけない程度に手加減をっ……と」


 アイルが繰り出すダガーによる攻撃を、一撃ずつ光の剣で流す。今まで叩き込まれた戦い方にアレンジを加え、傷をつけないように気を配りながら、アイルの攻撃を上手くいなしていた。


 しかし、それも長くは続かない。


 アイルが唯一の武器であるダガーを投げ飛ばす。それを目で追ってしまったセロ。その隙にアイルがセロの首を掴む。そのまま押し倒して馬乗りになった。

 首を掴まれたセロは苦しむ素振りも抵抗もせず、ただじっとアイルの目を見つめる。


「君にできるのかい? 俺を殺すなんてこと」

「…………」


 ベイルに死という概念はない。今の行為がなんの意味もないのだと伝えてみるも、アイルには届かない。


「アイルくん。君は優しい子だよ、自分で思っている以上にね。大切な人のためにならなんだってできる子だ。自分を犠牲にするのも厭わない。でもね、その先に残された人はどうなる? 中にリリーちゃんもいるんだろ? 聞いてみるといい」


 そう問いかけると、アイルの目が揺らいだ。

 だが、アイルはセロの喉に力を加える。だが、それでもセロは口角を上げていた。


「はは……セロお兄さんのこと、やっぱり嫌いかい? いつも嫌そうな顔をするもんね。でもね、俺は信じているよ。君は優しい。俺に声をかけてくれるほどには。それに強い。俺と違って、まっすぐな信念がある。だから、レーフールになんて飲み込まれるなよ」


 優しく微笑みかける。

 アイルの手が緩まった瞬間、セロは両手を伸ばしアイルの頬に触れた。


「戻っておいで、アイルくん。こちらの世界に。君はその中に埋もれるような子じゃないだろう? やりたいこと、やらなきゃいけないこと。君にはあるはずだ」


 その言葉に呼応するように、アイルの瞳から涙が零れ落ちる。

 その刹那、アイルは我に返った。

 目の前にいるセロを見て、自分の置かれている状況を理解する。同時に、自分が何をしていたのかを思い出した。


 途端に顔が青ざめ、慌てて起き上がると、セロから距離をとる。

 セロはそんなアイルを横目に、立ち上がる。


「さて、今の君はどっちかな? レーフールの思念体か、それともアイルくん? もしくは共同生活しているベイルかい?」


 セロは笑顔を崩すことなく、冗談混じりに言った。だが、その目は笑っていない。

 その様子にアイルは困惑し、目を泳がせる。そして。


「うぁっ、がっ……」


 頭を押さえ、苦しそうにうめき声をあげる。


「戦っているね、その調子だよ。頑張って、アイルくん」


 全て見透かしているかのように、セロはアイルを見守った。




 ☆☆☆☆☆




 アイルの中に取り込まれた『もや』。そこに含まれていたのは、多数の人間の思念だった。

 ツヴァイがレメラスを囲うように記された術式を発動したことで、内部の人間がレーフールに取り込まれた。だが、それでは飽き足らず、朽ちた地盤、建造物に染み込んでいた記憶までもが取り込まれ、アイルの中に渦巻いていた。


 アイルに届くのは聞こえてくるのは悲痛な声。


 助けを求める声。

 苦しむ声。

 もがく声。


 アイルはそれらを聞き入れ、自らの中で処理しようとした。だが、それはあまりにも膨大で、すぐにキャパオーバーを起こした。

 結果、自我を保つことができず、アイルの肉体はレーフールに乗っ取られ暴走した。


 暗闇の中でアイルは自分がセロを襲っているのを呆然としながら見ていた。語りかけられる言葉も聞いていた。でも。


「どうしろというんだ」


 何をすべきか、どうすべきか。アイルにはわからなかった。

 そもそも、この状態が正常ではないのだ。正常な思考など保てるはずがない。

 どうすればいいか、どうしたら元に戻れるか、考えようとしてもすぐに霧散してしまう。


 その時、一筋の光が見えた気がした。

 それは、とても温かく、懐かしさを覚える光。

 暗闇を走り、手を伸ばして、光に触れるとそれは人の形を模した。そして、アイルは理解する。

 その人物が誰なのか。

 アイルはその人物の名を呼ぼうとした。だが、それは音にならず消えていく。

 それでも、アイルは必死に手を伸ばす。すると、その手は温もりに包まれ、優しく握られたかと思うと、光は消えた。


 たった数十秒の出来事だ。だが、それがアイルの背中を押した。

 勝手に体内の異物を排除するには、体から追い出すしかない。これ以上、体を他人とシェアするのは無理だ。

 アイルは叫んだ。


「いい加減起きろ。俺はこれから取り返す。お前は俺の体を守れ! いいな!」


 暗闇に響く声。アイルが伝えた相手の姿は見えなければ、返答もない。それでもアイルは決意した目でダガーを自らの腹に突き刺した。


 その行為は現実のアイルにも起きていた。

 もがいていたアイルがフラフラした足取りで、投げたダガーを拾いに行く。そしてそれを腹に突き刺したのだ。


「うわぁお、強引な……」


 それをセロは止めようとはしなかった。

 腹部から血を垂れ流し、口からも血を吐いて体が揺れて地面に膝をつくアイル。肩で息をしながら、ダガーを両手で掴むと力任せに引っ張った。

 ブチッと嫌な音がして、ダガーが抜け、鮮血が舞う。

 皮膚を突き破り、肉も裂き、骨まで削る。

 あまりの痛みに意識を失いそうになるが、歯を食いしばって耐える。そうすることで、傷口からは黒いもやがあふれ出てきた。


「うぅ……ぐっ」


 アイルはもがき苦しみながら、そのもやを追い出そうとする。だが、なかなか出ていかない。

 それどころか、アイルの体にまとわりついて離れない。

 それでもアイルは諦めなかった。


「さすがだよ、アイルくん。あとはお兄さんに任せなさい」


 青ざめていくアイルの肩を支え、セロはアイルの体から出てくるもやに触れる。そして、それを強く握りしめた。


「レーフールに集まった人の子よ。あるべき場所に帰りなさい」


 もやはセロの声に応じて各方向へと散っていき、徐々に小さくなっていく。獅子をかたどるほどの大きかったもや。それが全て霧散し、あたりには静寂が訪れる。

 その様子を見て、アイルは安心したように目を閉じた。



 ☆☆☆☆☆



 レメラスの地下で、リリーは目を覚ました。

 脳を揺さぶられたかのような気持ち悪さを抱えながら、起き上がる。

 彼女の頭には、不思議とここではない場所の出来事が記憶されていた。上空から地上を見つめ、迫りくる白い何かを振り払ったのち、狭く暗い空間に閉じ込められた記憶が。そしてそこで、信頼するアイルが苦しむ姿を見た。どうにか彼を助けようとしたけれど、声をかけることもできなかった。

 一体あれは何だったのか。混乱する頭を振る。


「リリーちゃぁーん!」

「うぐ」


 後ろから抱きつかれ、思わず変な声が出た。

 聞き覚えのある声の主はベルティ。冷たい体に包まれ、体の力が抜ける。


「ベルティ、さん。あの、」

「なぁに?」


 聞きたいことはたくさんあった。

 だが、その前にベルティの体が離れた。


「アイルは、セロさんはどこですか? 行かないと……私、助けないと!」


 立ち上がり、辺りをキョロキョロと見渡す。そこに存在しているのは、骸となったダーレンの姿。

 それを見ると、嫌な未来を考えてしまう。


 セロの云う、兵器が起動していないか。みんなは無事なのか。

 アイルは、セロは。

 焦りが募っていく。


「指揮官サマは上にいるよぅ。こっちこっち」


 そんなリリーの手を引いて、ベルティは走り出した。

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