第9話 水都
水の都・ヴィジエスタ。
海に面し、他の特区との物流拠点や交流の場にもなる大規模都市でもある。
家々の間を流れる水の川は、底が見えるほど澄んでいる。そこを通過する手こぎの船には、観光客らしき人が乗っている。各自カメラを手に美しい風景を記録していた。それに対して、ここに暮らし、普段からこの風景に慣れている人たちは、たくさんの荷物を積んで移動手段に用いていた。
石造りの道を歩きながら天を見上げれば、家と家の間にヒモを渡して鮮やかな洗濯物が吊されている。あちこちで行われており、これがここの洗濯風景のようだ。
足下も空も。見飽きない風景に興奮したリリーは、カメラで風景をおさめた。疲れなど何処かへ落としてきたのか、軽い足で散策していくと、リリーの腹の虫を呼び起こす匂いが漂ってくる。
「これは……! あっちです!」
食欲をそそる匂い。色とりどりのお店から聞こえる楽しそうな声。右に左へと目移りしていたのを辞めて、リリーは真っ直ぐ走る。鼻を頼りに曲がりくねった道を行って、要約たどり着いたのは運河沿いにあるレストランだった。
屋内の席だけでなく、外でも食べられるようテラス席があった。人気を現しているかのように、屋内は満席だ。
「いらっしゃいませ。すみません、席の方が埋まっておりまし――あ、ただいま空きましたのでご案内いたします」
見渡す限り、屋外席も満員だった。だが、タイミングよく立ち上がって会計をしている人がいた。その客が去った途端にスタッフがすぐさま片付けをすると、三人は屋外席へ案内された。
屋外の一つのテーブルを囲うように座った三人の前に、並べられた肉料理や、サラダにパン。どれもこれも量が多い。にも関わらず、どれもこれも手を付けているのはリリーばかりだ。
「美味しいー! ほっぺが落ちそうですっ」
頬を膨らませながら食べる。それを見ながら、セロはブラックコーヒーをゆっくりと飲む。
あっという間にリリーに吸い込まれていく料理に、アイルは顔を引きつらせながら口を開いた。
「食いすぎだろ」
「アイルが食べなさすぎなんだよ。いつも私ばっかり食べてるんだから」
アイルが食べたのは小皿ひとつ分だけ。あとは水を飲んでいただけだ。
もっと食べるようにと、空のお皿にリリーが取り分けようとするが、首を横に振る。
「んもう。アイルはいっつもそうなんだから。よくそれで動けるよね。私、すぐお腹減っちゃうよ」
「そういう体なんだからいいだろ、別に」
リリーにはしっかり答えているアイル。その様子にセロは首を傾げて問う。
「ねえ、二人ってさ、雇われた関係以外になんかない? コイビト……ではなさそうだし」
ずっと抱いていたものだった。
ただの雇用関係というようにも見えなかった。しかし、恋愛感情があるようにも見えない。人ではないセロは、そのような関係が何という名であるのか知らない。
「アイルとですか? 昔馴染みというか、幼馴染というか、恩人というか……? 昔、危なかったところを助けてもらったんです。そこからうちで暮らすようになって」
「暮らす?」
「私の家、そこそこのお家なんで……」
言葉を付け足すよう、アイルが続く。
「ベルフォード家と言えば、歴史に残る発見を残し続ける名門家だ。そこの娘……いわゆるこいつはお嬢様だ」
「あー、なるほどー? 護衛付なのも、こんないいところでたくさん食べられるのも納得がいったよ」
今利用しているレストランのメニューはどれも高価であった。それを気に留めることなく次々と注文できた理由がわかって、セロはポンと手を叩く。
「お金の心配はしなくていいので、ほら。セロさんも沢山食べてください」
話をしている間にも、すでに半分以下になった料理。セロは「あー」と言いながら頬をかく。
「苦手なもの、ありました?」
「ごめんね、苦手というか……食べられなくはないけど、食べなくても平気なんだよね」
俺たちベイルは、と言う。
「そうなのですね……でも、食べられるのであれば食べてみてください。美味しくて幸せになれますから」
「そ、そうなんだ」
食べなければリリーは満足しないだろう。そう感じたのは、リリーの目が輝いていて期待していることが伝わったからだ。それを断ることもできず、一口だけ食べようと試みる。
フォークを持ったとき、突如として乾いた銃声があたりに響いた。
「隠れろ」
「きゃっ」
アイルはすぐさまリリーを椅子から引き落とし、テーブルや椅子を盾にするように身を低くした。
セロも片膝を立ててかがみ、周囲を警戒する。
「きゃあああ!」
「うわああ! なんだ!?」
落ち着いた都市に似合わぬ音。
三人と同じように外で食べていた客たちが、慌てふためくき、悲鳴をあげ、席を立って逃げまどい始める。その流れに乗らず、三人はじっとする。
「今のは銃声ですよね? こんな場所にどうして……アイル? セロさん?」
リリーは音が聞こえた方角を見つめる二人を呼ぶ。
アイルはともかく、セロが反応するのであれば疑わしい存在が浮かんできた。
「もしかして、ベイルですか?」
「……いや。その気配はないね。あそこから撃っているけど、狙いはわからないな」
セロが見ていた先は、三人が車を止めた駐車場の方だった。ヴィジエスタを一望できるような高さがあるそこで、きらりと何かが光る。
ベイルではない。ならば人間の誰かか撃ってきた。
護身用に銃を持つ者はいるので、珍しい武器ではない。しかし、平和に見えるこの場所で銃声が聞こえるのは珍しい。
それに、駐車場からこのレストランまでかなり距離がある。何を狙ったのかは不明だが、標的があったのならばあまりにも遠すぎる。
あまりにも狙撃者の方を見すぎていたからか、もう一発の弾が放たれ、レストランの壁に食い込んだ。
「いやぁぁ!」
「邪魔すんじゃねぇ! どけ!」
近くを通りがかった人までもが逃げ始めたので、あたりは悲鳴と怒鳴り声に包まれた。
「お客様! 落ち着いてください! 姿勢を低くし、店内へ!」
ウェイターが叫ぶ。それに従って次々と外で食べていた客が逃げ込む。他にも近くを歩いていた人も一緒になって逃げ込んでいく。
「俺たちも逃げた方がいい。あそこから撃っているのなら、建物の中の方が安全だ」
冷静なアイルの判断に従って、三人は人波に紛れて店内へ入ることにした。
入店したときは笑顔であふれていたものの、今は皆が姿勢を低くして、震えている。
逃げ入った人の数が多く、身を小さくしていた。
窓際は撃たれる可能性があるからと、皆窓から離れようとしている。しかし、人が多く全員がそうとはいかない。
後から逃げ込んだ三人は、窓際に位置することになった。
「ひっく、ひっく……怖いよぅ」
「大丈夫よ、お母さんもお父さんもいるんだから」
小さな子供がぬいぐるみを抱えながら泣いていた。両親に肩を寄せられ、どうにか不安をぬぐおうとしている。だが、子供は泣き止まない。
恐怖は伝播する。
別の子供も泣き始めてしまった。
「うるせぇ! 黙れ、ガキ!」
「うわぁん! ぎゃあああああ!」
声がどんどん大きくなり、大人が怒る。
命の危機に瀕した状況で、冷静にいられる方がおかしい。些細な事でも苛立ってしまうのだ。
「大丈夫ですよー、みんな一緒にいますからねー」
リリーは目の前にいた、母親に抱きかかえられながらも泣き出してしまった子供をあやす。
「まだ撃ってるな。狙いはお前か?」
アイルは外を伺いながらセロに問う。
「わからない。人に恨まれないわけではないから……」
セロも同じように外を見ては、時折地面に食い込む弾を見つめる。
恐怖と緊張が張り巡らされている状況の中、ひとりの白髪の老人が杖をつきながらフラフラと歩いて三人の横を通り過ぎた。
「お爺さん、危ないですよ。もうしばらくここに居た方が……」
リリーが老人の手を掴んで止める。
「孫が……」
皺で瞼が塞がりかけている瞳をリリーたちへ向ける。
「お孫さん、いらっしゃらないのですか? 一緒にこちらにいらっしゃってないのですか?」
「いないんじゃ、いないんじゃ……きっと、外に……」
よろめきながら老人は、店のドアに手を伸ばす。
狙いが何なのか分からない中で、いつ撃たれるかも分からない。足が悪い老人が外に出たらすぐ狙われるかもしれない。
誰もがそう考えた。
「だったら俺が探してくるよ、お爺さん。お孫さんの特徴を教えてくれる?」
突如としてセロが言った。
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