二百十七 隠し剣

「なるほど。力ずくで聞き出せと。よい返答です」


 即座に円陣を組んでにじり寄る兵らの動きを察し、紅は嬉しそうに微笑んだ。


「飛び道具ばかりで少々飽き飽きしていました。斬り合いとなれば願ったりです」


 ふわりと無造作に天井の残骸から飛び降りると、手近にいた兵の輪が警戒を強めてざっと後ずさる。


 その際に発した足音はがしゃりと重く響き、近接戦を想定した甲冑を着込んでいるものと思われた。

 軽装だった外の射撃部隊とは、明らかに運用目的が違う兵のようだ。


 もしかすると、指揮官や上級将校の近衛隊だろうか。そうであれば有用な情報を握っている可能性は高い。


「それでは。皆様が屈するのが先か。情報を吐くのが先か。試してみましょう」


 紅は朗らかに宣言すると、手始めに軽く一歩踏み込み、横薙ぎの一刀を振るう。


 一瞬で前列の首が複数舞うが、周囲の兵は怯まずに突進を開始した。


「ふふ。強い覚悟を感じます。どうぞ遠慮なくおいでなさいませ。存分に死合いましょう」


 四方から殺到する兵の波を歓迎し、重装甲ごと斬り刻んで押し返す紅。


 待ちの姿勢かと思えば、崩れた隊列にすかさず飛び込み、傷口をこじ開け鮮血を迸らせる。


 敵は元々簡易砦に収まる程度の人数である。百にも届くまい。

 そのため紅は一気に殲滅せぬよう加減していたが、それでも見る見る内に陣形は用をなさぬものとなり、ものの数分もせずに兵は半分ほどにまで減っていた。


「やはり斬るのは人に限りますね。味気ないゴーレムとは比べ物になりません」


 積み重なった屍を踏みにじり、愉悦の表情で血肉の感触を味わう紅。


 その艶姿あですがたに戦慄しつつも、同胞を無残に斬り散らされた怒りで闘志を燃やす兵らに、紅は興が乗り始めていた。


 全滅させてしまっては情報は引き出せないが、そもそもが吐いてくれれば多少手間が省けると、その場の思い付きで問うただけのこと。

 どの道帝国軍を一人も逃がすつもりはないのだ。出会った者全てを斬ってゆけば、いずれ大将を引き当てるだろうと楽観視していた。


「答えたくなければそれも結構。全員冥途送りにして差し上げましょう」


 前方から雄叫びを上げて数名が突っ込んで来るのをまとめて輪切りにし、密かに背後に回っていた者を振り返りもせず両断する。


 紅が一歩踏み出すごとに赤光が咲き乱れ、鋼鉄に覆われた人体がいとも容易く肉片へと変わり、囲みが呆気なく消失してゆく。


「気迫は伝わりましたが、斬り結べるほどの方はいませんか。残念です」


 敢えて限界まで引き付けた兵を前に、紅は軽く嘆息した。


「殺してやる! 貴様だけは、絶対に……!」


 血走った目で紅を睨みつけ、振りかぶった剣を叩きつけようとする兵だったが、紅は興味を失ったように脇に逸れ、別の獲物へ狙いを定めて去ろうとする。


「待、て」


 振り向いて追いすがろうとした兵が身を捻ると、その弾みですでに刻まれていた切り口に沿って骨肉がずれていく。


 紅がゆっくりと歩を進め、血泡を吹いてこと切れた兵へ完全に背を向けた直後のことだった。


 死体の裏側の死角から、傷口の隙間を縫って鋭い突きが繰り出され、紅にとっさの防御をさせた。


 刃を弾く前に剣は素早く引き戻され、相手は死体をこちらに押し付けるようにして急接近し、太刀の間合いの内側へ潜り込む。そして角度を変えて、再度死体越しに怒涛の連撃を仕掛けてきた。


 紅は虚を突かれつつも、全ての突きを左の徒手でいなしてゆく。

 そして刺客の位置を特定すると、瞬時に半歩下がって隙間を作り、死体ごと両断すべく強引な一薙ぎをねじ込んだ。


 腹から上が吹き飛んだ死体の背後から、身をかがめた人影がゆらりと現れ、追撃しようとした紅に死体の下半身を蹴り飛ばして妨害し、巧みに離脱する。


「ちっ、これを防ぐか」


 不意打ちに失敗したと見るや、舌打ちと共に距離を取ったのは、軽装鎧を着込んだ壮年の将校だった。今の身のこなしからして、かなりの手練れであるのは間違いない。


「これはこれは。雑兵に紛れて気配を殺し、肉の壁を使って奇襲とは」

「非道などと言ってくれるなよ。部下も承知の上でここに残ったのだ」

「もちろん非難などしませんとも。むしろ同胞の亡骸を有効利用する冷徹さには惚れ惚れします」

「ふん。小娘が知ったような口を」


 にこにこと楽し気に返す紅に嫌悪を露わにした将校は、眉間に険しいしわを寄せ、手にした二本の小剣から血を振り払った。


「貴様相手に多勢は無駄だと言い聞かせたのだがな。退避命令に背き犬死にするとは。馬鹿者どもが」


 口調は厳しいものだったが、表情にはわずかな悲哀がにじんでいる。


「両翼を潰した以上、次はここだとは思ったが。こうまで早いとは予想外だった。武装のため、席を外したわずかな間に好き放題してくれたものだ」


 多数の死傷者を見回して忌々しそうに吐き捨てる将校の言葉に、紅はぱっと表情を輝かせた。


「その口ぶり。もしやあなたが大将首ですか」

「答える義理はないが、我が軍をここまで追い込んだ褒美だ。喜べ小娘。貴様は当たりを引いたぞ。私こそ、帝国第3軍総司令、ラズネル中将である。部下を散々嬲ってくれた礼を、私自らしてやろう」

「ふふ。ありがとうございます。探す手間が省けました。それに腕に覚えがある様子。楽しませて頂けるでしょうか」

「試してみるといい」

「ならば遠慮なく」


 不敵に言い放ったラズネルへ、挨拶代わりの一閃を放つ紅。


 これまでの兵であれば、何の抵抗もなく首が舞っているところだが、ラズネルは交差した二刀でしっかりと防ぎ、なおかつ横へ受け流して紅の体勢を崩しにかかったではないか。


「おっと」


 よろけかけた紅は、敢えて勢いに逆らわずにその場で一回転すると、先ほどより力強い上段斬りを繰り出した。


 まともに受ければ武器ごと真っ二つにする一撃を、ラズネルは二刀を十字に組んだ中心部で挟み込んで見事に受け止める。


 これで一回目の防御はまぐれではないと証明された。


 いかめしい見た目に反し、ラズネルの剣技は衝撃を柔らかく吸収する繊細な立ち回りを重視しているらしい。


 力勝負では敵わないと始めから計算ずくのようで、接触したのはほんの一瞬。鍔迫り合いはせず、すぐに力点を別方向に逸らして直撃を避けることで、紅の刀は先ほどより大きく弾き飛ばされた。


 そして敵は、二度目の隙を見逃すほど甘くもなかった。


 腕が開いて、がら空きとなった紅の喉元に、白銀の刃が容赦なく迫る。


「素晴らしい。なんと美しい返し技でしょう」


 久しくなかった高度な打ち合いに喜びを露わとした紅は、今まさに己の命を奪わんとする凶器さえ歓迎し、恍惚とした表情を浮かべてその接近を許した。

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