二百十六 柔よく剛をねじ伏せる

「落石と見せかけた火計とは、なかなか周到な策ですね」


 広場が爆発する刹那、油の匂いを嗅ぎ取った紅はいち早く宙へ跳び、上昇気流に乗って後方へ離脱し難を逃れていた。


 しばし距離を取って様子を見ていたが、帝国の猛攻はなかなか止まず、らちが明かないと判断し、強引に斬り込んで炎上地帯を吹き飛ばしたのだった。


「何としても近付けまいとする気概を感じます。しかし攻め方が単調になってきました。そろそろ手札も出尽くした頃合いでしょうか。他に何も無ければ、反撃に転ずるとしましょう」


 紅がゆっくりと噴水広場を横断し始めると、気を取り直した帝国軍が慌てて攻撃を再開する。


 火矢が次々地に突き刺さるが、油の染みた表面を抉り取られた広場には着火せず、紅の歩みを妨げることはなかった。


 雨のような矢も銃弾も一緒くたに斬り飛ばし、やがて階段に辿り着いた頃。


 土煙を上げ、再度己目掛けて一直線に転がり落ちて来る者どもの気配を察した紅は、すでに対処の目途が立っていた。


「要は、壊さなければ燃料を撒き散らさずに済むのでしょう?」


 紅は敢えて斬らずに正面で待ち受けると、直撃する刹那、つま先をゴーレムの体の下に差し込んだ。そして勢いを殺さぬまま、まりでもすくうように高々と宙空へ跳ね上げたではないか。


 乱暴に蹴り返せば砕きかねないため、柔術を応用して受け流し、方向転換させたのだ。


 その動作自体はふんわりとした一見優雅なものであったが、蹴り上げられられた巨岩に扮したゴーレムは凄まじい速度で空を切り、城門の中央付近へ激突して派手に砕け散った。


「やはりこの程度ではびくともしませんか。頑丈なものです」


 巨体の直撃を受けても傷一つない城門に感心する紅であったが、その真下に陣取っていた守備隊はたまったものではなかった。


 思わぬ場所からばらばらとゴーレムの破片が大量に降り注ぎ、逃げ遅れた者を殺傷していく。さらには多数の篝火に引火し、たちまちあちらこちらで爆炎が上がって陣地に混沌をもたらしたのだ。


「ふふ。良いことを思いつきました。丁度弾はいくらでもありますし、これまでのお返しといきましょう」


 意図せず起きた大事故から一手閃いた紅は、悪戯を仕掛けるわらべのように無邪気な笑みを浮かべた。


 そして続々と突進して来るゴーレムの群れを、片っ端から上空へ蹴り上げていく。


 それらが放物線を描いて落下していく先は、遥か高みの城壁の上。

 即ち射撃部隊が居座る高台であった。


 地上を見下ろして一方的に掃射していた兵らは、まさか自分達のさらに上を取られるなど思いもよらなかったに違いない。


 紅の放ったゴーレムは、全て城壁上へ寸分違わず着弾した。


 守備隊は通路一杯に布陣していたため逃げ場がなく、落下地点にいた兵らは成す術なく圧し潰されていく。

 篝火に加え火矢を構えた者も多くいたため、砕けた欠片にすぐさま引火し、地上の陣地以上の灼熱地獄と化した。


 数多の巨岩が襲来し、絶えぬ業火が轟々と爆ぜる惨状では、もはや誰もが地上の敵を気に掛ける余裕などなく、絶望の中で死を待つばかりとなった。


 城門前は混乱から立ち直れず追加のゴーレムが打ち止めとなり、高台の両翼を壊滅させたことで弾雨もぴたりと止んだ。


 敵の攻勢を力づくで沈黙させた紅は、満足げな笑みを見せ、悠然と階段を昇っていく。


 城門前に到着すると、陣地は未だ激しく燃え盛っており、避難と消火活動が並行して行われていた。


 紅はその一切を気にかけず、鋭い一閃を放ってうねる業火を掻き消し、同時に生き残りの兵も余さず斬り捨てた。


 これにて行く手を遮る者はいなくなったが、何かやり残しがあるように思えて紅は小首を傾げる。


「はてさて。このまま門を破って城を目指してもいいのですが。どうやら上に無事な砦が残っている様子。あちらが本陣のようですね。まだ指揮官がいるのなら、首を獲りがてらご挨拶しにいきましょうか」


 城門を前に、しばし思考を巡らせた紅はそう結論を出し、高くそびえる石壁を軽快に駆け上がって行く。


 さほどの時間もかけず城門を登り切った紅を迎えたのは、多数のゴーレムの衝突や爆発にも耐え抜いた砦の姿だった。

 恐らく城門と同じ素材で作られているのだろう。納得の頑丈さである。


 しかし出入り口に繋がる両翼の通路は大火事で断たれており、中の人員は逃げ場を失って閉じ込められているようだ。蜂の巣をつついたような喧騒が漏れてくるのが聞き取れる。


「ふふ。これは好都合」


 唇をぺろりと舐めて納刀し、砦の屋上目掛けて高く跳んだ紅は、空中で居合の構えを取った。


 一拍の呼吸を置いて、きん、と澄んだ鍔鳴りが夜闇へ染み込む。


 紅が屋上の中心へ音もなく着地すると、同時に屋根へぴしりと真四角の切れ目が入り、垂直に階下へずれ落ちていく。


 切り抜かれた分厚い天井は、真下にいた運の悪い数人の兵をぐちゃりと下敷きにして床に到達し、ずしんと屋内を大きく揺るがした。


 あまりにも唐突で大胆な侵入者の登場に、今まで慌てふためいていた兵らの動きがぴたりと止まり、一様に驚愕の表情に染まる。


 そのような些事はまったく意に介さず、紅は己へ視線を向ける面々へ丁寧に一礼した。


「ご機嫌よう、帝国の皆様。一つお尋ねします。この軍の大将首の居場所はどこでしょうか。教えて頂ければ、今すぐ楽にして差し上げます」


 まるで平和な街角で道を教わるような穏やかな口調。しかし内容は過激極まる挑発的なものであった。


 常軌を逸した紅の言動は、帝国兵の気付けには十分に過ぎた。


 唖然としたのも束の間、すぐさま正気を取り戻した彼らの答えは完全に一致しており、漲る殺気と共に一斉に剣を抜き放っていた。

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