二百十八 双牙を燃やす
ラズネル中将が突き出した小剣は、狙い
獲った、とラズネルが確信するのと、がきん、と硬い音が鳴り響いたのは同時だった。
小剣が首を刺し貫こうとした刹那、少女はためらいもせず切っ先へ噛み付き、がっちりと受け止めたのだ。
「ちっ。なんと野蛮な」
渾身の突きをあっさりと歯で防いだ少女を罵りながら、迷わず追撃の左を繰り出すラズネル。
しかし一手遅く、少女が首を素早くひねり、咥えた小剣をラズネルごと乱暴に引き寄せた。
それはまるで猛獣が獲物を顎で引きちぎるかのような荒々しさで、抵抗する余地もなくラズネルの足が床から離れ、気付けば軽々と投げ捨てられていた。
「ぐ、は……!」
高々と宙を舞ったラズネルだったが、積み重なった死体の山へ落ちたために衝撃は最小で済んでいた。
背を打って一瞬詰まった息を素早く整え、油断なく立ち上がる。
すると、今まさに倒れていた場所に紅い斬閃が奔り、死肉の塊を飛散させた。
「ふふ。この程度は避けて頂かなければ」
ラズネルの脇を一瞬で横切った少女は、弾丸のような勢いで突き進む。そのまま速度を落とさず壁を蹴って天井まで駆け上がり、頭上から急降下をして来たではないか。
これは受け切れぬと判断したラズネルは、とっさに後退して少女の着地後の隙に狙いを定める。
稲妻のような斬り下ろしと共に落下した少女は、頑丈な床に一筋の斬痕を刻むと、こちらに攻撃させる暇を与えず頭上を跳び越え、すれ違いざまに首狙いの一刀を叩きつけて死角へ消えた。
「ぬう……!」
かろうじて二刀で防いだラズネルだったが、強烈な痺れが両手に走り、思わず顔を歪めた。
そのわずかな隙さえも命取り。背筋に
何とか紙一重で避け、屈んだ姿勢から伸び上がるように反撃の斬り上げを放つも手応えはなく、少女の残像を散らすだけに終わる。
「……速い」
少女のあまりの豹変ぶりに、驚愕を覚えるラズネル。
外の戦場では終始ゆったりと歩き、派手な剣技のみに目が行っていたが、これほどの剛脚まで備えているとは。
獣じみた動きはまさに縦横無尽。重力を無視するかのような無軌道ぶりである。
正面からの打ち合いならばまだ対応のしようもあったが、足を使われた途端に姿を追いきれなくなった。
狭い屋内では、どこにいようが少女の間合いだろう。
勘と経験を頼りにしのいではいるものの、このままでは消耗する一方。
苦戦は覚悟の上だったが、想定の遥か上を行く異次元の強さ。しかも恐らくはまだ実力の片鱗さえ見せていない。
ここまで理不尽を煮詰めたような化け物が、この世に存在を許されて良いのか。
「……規格外にも程があるな」
冷静さを信条とするラズネルですら苛立ちと焦燥を募らせるほどに、少女は常軌を逸していた。
接敵してからまだそれほど時間は経っていない。しかしそのわずかな間にラズネルの体力と精神力はごっそりと削られ、呼吸の乱れを隠すのも難しくなった。
久々の実戦にしてはそれなりに動けていたが、このままではそう長くはもたないだろう。
疲労を自覚しつつ、次はどこから襲ってくるかと神経を尖らせていると、いつの間にか、少し離れた場所に微笑を浮かべた少女が佇んでいることに気付く。
すぐにも攻撃が来るのを覚悟して身構えるが、当の少女はその場から動かず、楽し気にこちらへ言葉を投げかけた。
「はてさて。知略の将と聞いておりましたが。なかなかどうして、大した技量ですね」
「……武力を隠すことも策の一環だ」
少女の賞賛を、つまらなそうに一蹴するラズネル。
しかしここで一息付けたことで、わずかながら平静さを取り戻した。
本来ラズネルは戦闘中に無駄口を叩かず、粛々と任務を遂行するのが常である。
しかし武力で劣ると確信した以上、時間稼ぎに徹するのが最良だと判断した。
少女が話題を振って来るなら敢えて乗り、会話で間を引き延ばしつつ体力の回復に努めることにしたのだ。
「それほどの腕を持ちながら後方指揮に甘んじるとは。退屈ではありませんか?」
「私もいい年になった。剣を振り回してはしゃぐ気にはなれん」
かく言うラズネルも、かつては前線へ打って出る血気盛んな時期があった。しかし個人の武には限界があり、完璧に統率された軍の前では無意味であると思い至った結果、一線を退いて軍略を重視するようになったのだ。
しかしここに来て、数の差を打ち砕く圧倒的な個の武に出会うとは、なんとも皮肉な話であった。
「ふふ。これは手厳しい。今の発言は、生涯をかけて武を極めんとする方々を敵に回しますよ」
「知ったことか。武力など戦争の道具の一つに過ぎん。将がみだりに振りかざすものではない」
「これは異な。戦場を駆けることこそ武人の本懐でしょうに」
「私は軍人であって武人ではない。価値観は立場によって違うものだ」
「はて。両者を区別する必要がありますか?」
「少なくとも私にはある」
「そうですか。やはり組織とは面倒なものですね」
少女は今一つ納得いかないのか、微妙な面持ちで小首を傾げた。
会話が途絶え、少女がしばし思考へ耽っている間に、ラズネルはすっかり呼吸を整えていた。
「話はそれだけか。無駄な問答だったな」
挑発的に言い捨てると、両手の小剣を構え直す。
「ふふ。剣で語る方がお好みですか」
戦意に反応した少女が笑顔を見せた直後、一足で距離を詰め、正面から多数の斬撃を浴びせてきた。
際どくはあったが、少女を視界に入れていたためなんとか防御に成功する。
しかし少女の手数は留まるところを知らず、絶え間ない連撃をさばくのがやっとの有様。とても反撃を挟む余裕はない。
「小剣の二刀流。どこか覚えがあるような」
どうやら何かを確認するために、こちらの太刀筋を観察していたらしい。
少女の呟きに対し、ラズネルは眉間のしわを深めて答えた。
「当然だ。貴様が討った三騎将のフィオリナは、私が剣の基礎を叩き込んだのだからな」
「フィオ……? ああ、氷竜を従えていた方ですか。あれはなかなかに愉快な死合いでした」
少女は名を聞いてもすぐにぴんと来なかった様子で、しばし黙考してからぱっと笑みを咲かせた。
普段は斬った相手のことなどいちいち覚えていないのだろう。それこそフィオリナが善戦していなければ、思い出すことはなかったに違いない。
少女の軽薄さに、ラズネルは無意識に小剣を固く握り締めていた。
「よもやあなたの教え子だったとは。奇遇なこともあるものです」
「ふん。もっともあの不肖の弟子は、魔剣を賜ったお陰で我流に走ってしまったがな」
「道理であなたに比べ、奇抜な技を扱っていた訳です。もしや、弟子の敵討ちのために自ら剣を取ったのですか?」
「戦に私情は挟まん。現時点で貴様に対抗できる駒が私しかいなかった。それだけの話だ」
そう言いつつも、ラズネルは意図せずこみ上げた怒りによって体温が上昇したことを自覚する。その熱に身を任せると、疲労が薄れ、体が軽くなっていくように感じられた。
まるで部下や弟子の情念が身に宿り、背を後押ししているような錯覚に陥る。
「ふふ。なんと立派な志。感服しますね」
小馬鹿にしたような少女の言葉も、ラズネルの燃料としてくべられた。
まったくもって柄ではないが、ここで犠牲となった兵のために奮い立たねば、胸を張って将を名乗れようか。
「黙れ小娘」
萎えかけていた闘志を再燃させたラズネルは、少女の連撃の一つを巧みに受け流すと、懐に滑り込んで猛然と攻勢に転じた。
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