第2話 選択の一つ

 ミレイユと別れた後私は果物通りを歩いていた。今晩何か食べなければならない。野菜だのなんだのを食べる事が贅沢っていうのは分かっているのだが、かれこれフィーラントに住んでからはパン一切れとワインだけで一夜を過ごすのは寂しいと思うようになった。

 仕事でもやっていたら隣の食事通りでピアッツォでも食べて帰ればいいのだろうけど、そんな金を使えるほど道楽が許される環境でもなければ立場でもない。あくまで背を伸ばせば贅沢できる、程度の身分だ。基本的に飯くらいは自分で作らねばならない。

 世間には味の濃い野菜が増えている。冬も遠くない。部屋に戻ったら半袖を片付けなければならないだろう。

露店で安い野菜を二、三点、そしてワインを革袋一杯買って寮に戻った。

 部屋に戻るとベッドに買ってきたものを置き、必要なものを机の上に置いていく。机の上も壺やら瓶やら、研究資材だらけだからそろそろ物を置くことが出来なくなりつつある。しかしそれでも空きを見つけて置いていく。このままにしておいてもベッドが使えなくなるだけだ。

 その時、指にひっかかった一枚の羊皮紙がぱさりと音を立てて落ちた。手に取って拾う。ぼうっとした目つきで羊皮紙に書かれている事に目を通すとため息が漏れた。

そこにはフィミーシャへの派遣依頼が書かれていた。それも大学直々の、だ。

 フィミーシャは聖山と言われるロギコルクスの麓にある小さな町だ。昔その地に大賢者マゴ―ルが降り立った場所とされており歴史は古い。ヴィアンツとゼティールを繋ぐ拠点として未だに重用されている。人はフィミーシャを出会いと別れの土地といい、未だにマゴ―ル神の御力をいただこうと参拝する人が絶えないと言われている。

 しかし伝説ももはや過去のものと変わりつつある。多くの文献からそれに準じた人間を割り出されようとしているし、そもそもマゴ―ルという存在自体がいたのか、という事もあいまいだ。過去の神学文献を多くの神学者が言い争っている。所詮はもうおまじないの域を出ない。

 そして何より私自身、というよりは錬金術師である我々が神を認め、信じるわけがない。世の中は神が作らしめたというが、だとしたら人間が物質と物質を組み合わせて何かが生んでよいわけがない。それは神の作らしめたものを穢す行為と言って差し支えないのだ。それを喜んでやっているのだからある意味サタニストのようなものだ。神とか賢者とか、そんなものに中指を突き立てるからこそ我々錬金術師というのは成り立つ。物質と法則の関係を絶対の存在として扱い、神を否定するからこそ錬金術師は今日もあらゆるものを混ぜ合わせ、世の理を探すのだ。

 だからこそフィミーシャへの派遣はそういった我々人間が神の御手を掴み、白昼に引き出す行為に他ならない。

聖山ロギコルクスにある鉱石の調査やそれらの物質調合。それが我々の新たな文明文化に繋がるかを調査するための、いわば神を否定しに行くための依頼なのだ。

 勿論そこらの錬金術師では行く事が出来ない。そうでなくても研究材料などが手に入りにくく、また管理を失敗するとすぐに取り換え聞かない環境で、自分の知識を駆使して錬金術をしていかねばならないのだから。大学のように蔵書をすぐ確認できるわけでもない。フィミーシャという土地で新たに錬金術を興せというようなものなのだ。

 フィミーシャへの派遣というのはある意味この大学でも優れた学生である事の証明でもあるのだ。女だてらにして一流の錬金術師と私は指さされたからこそ、この役を依頼されたと言っても差し支えない。恐らくミレイユには来ていないだろうから錬金術師としてのヒエラルキーは完全に決まったと言ってもいい。

ミレイユのああだこうだといった問答を聞き流しているのはこの余裕があるからでもある。あの子が女性の進出だの学問推薦だの言っても、この依頼を受けた時点で彼女の言葉は空虚なものになってしまう。私を追う女子は少しずつ現れてくるだろう。それはミレイユにとって喉から手が出るほど欲しい結論ではないだろうか。

 しかしそんな事はどうでもいいのだ。私はやりたいことをやったが故の結論という奴だ。

 ただ今のところ私はこれに対して答えを返せていない。私は元々こういった都会の生まれではなかったから別段どこでやろうが構わない。だから二つ返事を返してもよかった。サイン一筆書くだけで私は翌年からフィミーシャへの馬車に乗る事になる。

 しかし、私にはまだこれを選ぶための決定的なものがなかった。

 このまま錬金術をやり続けていいのだろうか、という問いがずっとあったのだ。

 ミレイユの問答を適当にやり過ごしているのはやはり自分がミレイユの言葉を否定できないところがあるからで、それをやっていいのか、という問いが止まらずにいたのだ。

 だからまだこの羊皮紙に自分の名前を書けずにいた。


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