アントニウス・ニコラウスの火 ~女錬金術学生、二コラ・ヨセニアの生き方における一文献~

ぬかてぃ、

第1話 女錬金術学生 二コラ

 人間の文明が出たのはいつだろう、という問いをかの哲学者にして錬金術師アントニウス・ニコラウスは「火」と言ったとその弟子、ヨハネ・アヌセウスは「火の書」にて記している。

我々が文化を手にしたのは火をその手で生み出そうとした時に初めて文明が生まれた、と。

 確かに思い返せば私達は火を起こす事に慣れている。朝食のスープを作る時には火打石を叩いて薪に火をくべるし、時にはそれで暖を取る。夜になれば鯨の油を使ってランプに火を灯して頼りにする。多くの剣や鎧は火なくして作る事は出来ないし、火そのものを弓につけて武器にもしてきた。

 なるほどアントニウス・ニコラウスの言葉は正しい。

 それは私のような錬金術師にだって必要なのだから。


「二コラ。貴女は学園を卒業したらどうなさるのよ」

「うーん。何も考えてないかな」

 学園のカフェテリアで私と学友ミレイユは他愛もない話をしていた。そろそろ世間には多くの葉が大地に落ち、枯れ木を作ろうとしていた。手元のカップにあるお茶から出るハーブの香りも失われやすくなってきたように思う。

「貴女ねえ。フィーラント大学で数少ない女性の学士ともあろうかという貴女がお先何も決めてなくてどうなさるのよ。わたくし達が上手い事先を決めないとこの大学に女性が入る事は未来永劫なくなるのよ」

「ミレイユこそ何か考えてるの」

「わたくしはドゥメル家に学者として呼ばれていますわ。ドゥメル家初のお抱え女学者として今話題になっているのをご存じではないの」

 熱を失いつつある陶器のカップを傾けながら頷いた。

「あのねえニコラ。貴女が世間知らずなのは今更始まった事ではないのは分かっていましたけど、もう大学にも長くいられないのだからそろそろ世間に目を向けるべきだとわたくしは思うわよ。同じ学友として心配だわ」

 しなくてもいい心配をしながらミレイユは整えた巻き髪に手をやっている。こいつとも大概長い付き合いになるが本当に余計な心配ばかりしているというかなんというか。落ち着いて物を見る暇はないのかと問いたくなってしまう。

「まあ、就職先はすぐ見つけるよ」

「見つけるよ、じゃないわよ。わたくし達はそうでなくとも女性だなんだって仕事を得にくいんだから。わたくし達がきちんとやれば後身にも道が開かれる事は理解なさっていて」

 また言っている。

ミレイユは色々な相談の出来る学友ではあるし憎からず思っているのだが毎度の事これを言われるのがかなわない。別段学問を女だてらでどうこうするのだの私には全く興味がないというのに。第一学問なんてそれが飯の種になるわけじゃないのだからやりたい奴が勝手にやってやめればいいのだ。

「お聞きになっているの」

「え、ああ。はいはい」

 ミレイユにそれをわざわざ言う気はない。それを何度も口論し合った結果が現在なのだから。ミレイユにとっては学問を探求する事よりそちらの方が大切という奴で、私にとっては森羅万象の扉を開ける方がよっぽど重要というだけだ。

 本来ならお互いが交わる事はなかったのだろうと思う。同じ女というだけで私達は全く違う方向を向いている。そして関わる事もないのだろう。だが私たちは同じ学び舎という中で交わったのだ。もし理と理が交わる事で新たな連鎖を起こすというのなら私達が同じ軒の下で視線を絡めあった事は学問のために作られた大きな建物もそれなりに意味があったという事でもあろう。

 ただ、こんなことを一々ミレイユに言っても首を傾けるばかりなのだから。彼女は原則的に学問に興味があるわけではない。どれだけ素養を持っていても教養の範囲からは抜け出せないのだ。

「まあいいよ。私は適当に食い扶持を見つけるからさ」

「それはよくありませんわ。なんのために大学にいらしたのか分からなくなるではありませんの」

「まあ、そりゃそうだけどさ」

「そう。貴女はいつも学問の探求と言っているけれどよりどころがなければ学問すらできませんのよ。でなければ畑を耕して生きるほかありませんわ」

「それで見つかるものもあるかもしれないじゃん」

「それ自体は否定いたしませんわ。ですけど貴女がそこを追求したいと思った時に生活が襲い掛かってきて何もできなくなる可能性だって十分あるわけでしょう」

「それは、そう。確かにね」

「だとしたらきちんと卒業後の事お考えにならないと。気付いた時には後悔する事だってあるのですから」

 ミレイユの言っている事に批判したくなる気持ちもあるが、それを真っ向否定できると思えるほど子供でもなかった。先輩にも小麦を育てながら色々やっている人もいるが大半が大学に寄りつく事もなく、毎日畑と向き合う羽目にあっているという。

そう考えたら自分のやりたいことと現実の帳尻を合わせる時がきつつあるのは間違いなかった。いつでも学生ではいられないのだ。

「まあ、そうねえ」

「わたくしでよければ口利きの一つくらいしますから。いつでもおこえをかけてくださいな。なんたって貴女はわたくしの学友なのですから」

 そう言いながらミレイユは手元のお茶を一気に飲み干した。相変わらずお茶を飲むときだけは下品だ。メディロ家の令嬢という事なのだがそういう事は教わらなかったのだろうか。まあ、このきちんと育てられたのにどこか完璧にできないところがミレイユのかわいらしさではあるのだが。

 私も合わせてカップを口に付けた。

 なるほど一気に飲み干せるほど冷たくなっていた。

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