ある図書館にて

三鹿ショート

ある図書館にて

 気が付くと、私は図書館の前に立っていた。

 だが、私が住んでいる場所の近所には、このような図書館は存在していなかったはずだ。

 では、ここは何処なのか。

 疑問が脳内を支配する中、私は歩を進めて眼前の建物の内部に入っていく。

 受付の女性は私を認めると、軽く頭を下げた。

 私も同じように会釈し、奥へと進んでいく。

 しかし、特段借りたい本も無かったため、漫然と背表紙を眺める。

 そこで、並べられた本の題名が奇妙なことに気が付いた。

 いずれも、人物の名前だったのである。

 だが、歴史に名を残したような偉人ではなく、見たことも聞いたこともないような人名ばかりだった。

 ちょうど傍を職員が通りがかったため尋ねてみると、相手は驚いたような表情を浮かべながら、

「ご存じないのですか。この場所を訪れる人間は、事情を知っているはずですが」

 職員は何かを説明してくれようとしたが、そこで声が途切れた。

 相手の口が動いているため、何かを喋っていることは確かだが、その内容を聞き取ることができなくなってしまったのである。

 私の耳に異変が生じたのかと首を傾げると同時に、目の前が黒く染まった。


***


 目覚めると、そこは見慣れた自分の部屋だった。

 どうやら夢を見ていたらしい。

 それにしても奇妙な夢だと思いながら、外出の準備をしていく。

 日課となっているのは、彼女が入院している病院への見舞いである。

 意識は明瞭だが、彼女は病院から出ることは叶わないほどの不治の病に侵されていた。

 歩くことも出来ないため、彼女の楽しみといえば、私の訪問くらいのものだろう。

 確実に別れが近付いているということは理解しているものの、それを直視することは出来なかった。

 ゆえに、彼女がどのような病気に侵されているのか知らない人間を演じながら、今日も病院へ向かうことにした。


***


 病室を訪れると、彼女は職員と会話をしていた。

 その職員は、入院当時から彼女のことを気にかけてくれていた人間で、私とも親しかった。

 職員と少しばかり会話を交わした後、私は彼女と二人きりの時間を過ごした。

 その中で、私が今朝に見た夢の話をすると、

「もしかすると、その中に、私やあなたの名前を題した本も存在するのではないのでしょうか」

 夢で出会った職員の説明を聞くことは叶わなかったが、その可能性もあるだろう。

「では、今度探してみるとしよう。何が書いてあるのか、気になるものだ」

 私がそう告げると、彼女は同意を示した。


***


 例の図書館を再び訪れたところで、私は職員から再度の説明を受けることにした。

 職員は近くの本棚から一冊を抜き取ると、それを指差しながら、

「この本には、この題名となっている人間の人生が記録されているのです」

「つまり、一般人の伝記というわけですか」

 私の言葉に、職員は頷いた。

「過去の出来事は全て記録されていますが、未来については、その都度書き足しているのです」

「それは大変でしょう」

「いえ。最近は誕生する子どもの数も減っていますので、以前よりは仕事も楽になりましたよ。喜ぶべきかどうかは不明ですがね」

 そこで私は、ある疑問を抱いた。

「では、本の内容を書き換えると、そのように人生が変化するのですか」

 その問いに対して、職員は渋い表情と化した。

「確かに、そうなります。しかし、その影響が何処まで及ぶのかは不明ですから、そのような行為は禁止されています。我々の仕事は、あくまで記録なのです」

 職員はそう告げると、その場から去って行った。

 それを聞いた私は、すぐさま彼女の本を探した。

 職員の言葉が事実ならば、病に侵されたという記録を消せば、彼女は無事に生きることができるからだ。

 たとえどのような影響があったとしても、愛する人間を病から救うことができるのならば、これほど嬉しいことはない。

 生年月日に加えて名前ごとに本棚が分けられているため、探すことは容易かった。

 彼女の名前が題名となっている本を手に取り、内容を確認していく。

 私と出会った日付などが詳細に記録されていることから、職員の言葉が間違っていないのだと確信する。

 そこで、彼女の不治の病に関する内容を全て削除することにしたのだが、どのようにすべきか、まるで分からなかった。

 たとえ文字の上を黒く塗りつぶしたとしても、頁に書かれたものが完全に消えたわけではない。

 しばらく悩んだ挙げ句、私は病気について記載された頁を破ると、それを燃やすことにした。

 外へ向かい、偶然にも衣嚢に入っていた点火器で、頁に火を点ける。

 紙が灰と化すまで見つめていると、建物の内部から職員が慌てた様子で駆け寄ってきた。

「自分が何をしたのか、分かっているのですか」

 動揺する職員に、私は笑みを浮かべながら、

「所詮は、夢です。何をしたところで、現実に影響があるわけがないのです。これは、一種の憂さ晴らしなのです」


***


 目覚めた私は、大きく息を吐いた。

 あの夢が現実に反映されるのならば嬉しいが、何も起こるはずがない。

 単なる夢であるにも関わらず、いつもよりも病院へ向かう足取りは重かった。

 図書館での私の行動は、彼女との話題にはなるが、それ以上の意味はない。

 せめて少しでも彼女にとっての気晴らしになればと考えながら病室へと入ると、彼女が自身の脚で立っている姿を目の当たりにした。

 私は、眼前の光景を信ずることができなかった。

 しかし、医者の話では、原因は不明だが、病の姿は消え去ったということだった。

 それを聞いて、私は彼女本人であるかのように涙を流した。


***


 失われた時間を取り戻すかのように、私は常に彼女と行動を共にした。

 ようやく落ち着いたのは、一年が経過した頃である。

 そろそろ二人の将来を考えなければと思っている中、彼女の行動が気になり始めた。

 一人で行動する時間はあったが、それが段々と増えてきているのだ。

 私に隠れて何か良からぬことをしているのではないかと不安になり、彼女の後を追った。

 彼女は、入院生活で世話になっていた例の職員と会っていた。

 私だけに向けていたような笑顔を浮かべ、腕を組み、宿泊施設の中に入っていく姿を見れば、どのような関係かは歴然だった。

 私の幸福の邪魔をするのならば、こちらにも考えがある。

 私は、夢の図書館に頼ることにした。


***


 例の図書館の前に降り立つと同時に、建物から職員が顔を出した。

 職員は私を責めるような表情を浮かべながら、

「何をしに来たのですか」

「一人ばかり、消えてほしい人間が存在するのです」

 私が正直に答えると、職員は一冊の本を掲げた。

「それは、この人間でしょうか」

 さすがは私の夢である、話が早い。

 そう思っていたが、私は目を疑った。

 職員が手にしていた本の題名は、私の名前だったのである。

 職員はもう片方の手に持っていた点火器を、私の本に近づけていく。

 止めようとしたが、既に遅かった。

 本に火が点き、みるみるうちに燃えていく。

 あまりのことに、私はその場に座り込んでしまった。

 夢であることは理解している。

 だが、彼女の病気が治ったことを考えると、全てが偽物だと断ずることはできなかった。

「これから私は、どうなるのですか」

 私の問いに、職員は冷徹な眼差しを向けながら、

「当然ながら、あなたという存在が消えることになります。ですが、安心してください。元々存在しなかった人間なのですから、誰も悲しむことはありません」

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ある図書館にて 三鹿ショート @mijikashort

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