そしてロマンは続く

 探偵が幕引きを提案して、怪盗が姿を消してから数日後。怪盗は予告状のような文書を警察署に投げ込んだ。文書には『自分探しの旅に出るので引退いたします。今までありがとう』と書かれていた。探偵も警察にそれを見せられて、心当たりはないか問い詰められたが、なにも知らないと答えればそれまでだった。

 怪盗がいないなら自分の存在価値もなかろう、と理由を述べて探偵も引退表明をすると、探偵だった青年は海辺の小さな町へ向かう列車へ飛び乗った。行き先は決まっている。


 あの街から二時間ほど。目当ての駅で降りて、海が見えるカフェへ向かう。怪盗で脚本家だった男がまだ同じ劇場にいた頃に、「行ってみたい」とぼやいていた店だ。最後の日に「旅行に行きたい」とも言っていたから、あの街からそこそこの距離にあるこの場所だと当たりをつけていた。予想は的中だ。テラス席に座る見慣れた背中に、青年はゆるく口角を持ち上げる。

「よお、久しぶり。今度はどのロマンを追いかけてるんだ?」

 顔を上げて振り返った男は眼鏡を掛けていた。仮面より眼鏡の方が似合っているのは新たな発見だ。

「……これはこれは。よくここがわかったね?」

「今までの会話から推理した。探偵だったからな」

「役者だから推理は苦手と言っていたような気がするけれど」

「あんたの言うことはわかりやすいんだ。長く付き合いを続けていた弊害とも言える。あ、コーヒーで」

「私もコーヒーのおかわりと、カレーを」

「ふたつ」

 注文を取りに来たウエイトレスに告げて、青年は席に着く。向かいの男は読んでいた本を閉じて、眼鏡の奥からじとりと青年を一瞥した。

「……奢らないよ」

「ええ? せっかく再会したのに」

「君が勝手にここに来ただけだ」

 向かい合って座ると、相手はもう脚本家でも怪盗でもない、本当にただの男だった。あの日に煙幕にまぎれて消えてしまったとは思えないほどに。

「それで、何の用かな。もう探偵と怪盗の脚本は書かないよ。ここの人は幸せに生きているし、エンターテイメントに目を向けさせる必要はない」

「わかってるって。俺は単に、あの街で顔が有名だから離れた場所に来ただけだよ」

「……なぜここに?」

 待ち構えていた質問に、青年は舞台と同じように魅力的に見える笑顔にウインクまで添えて、用意していた答えを述べた。

「あんたがロマンを追う姿は見ていて楽しいから。それに、次の舞台がやりたくなった時に役者が居ないと困るだろ?」

「今は気楽な詩人だよ。脚本家も怪盗も辞めてしまったからね。新作はもういいかな」

 せっかく練習までしてきた役者の演技を、さらりと肩で躱すようにして男は言った。渾身のウインクも、男にとってはなにというものでもなかった。

 青年は自分の演技が通用しなかったことよりも、告げられた事実に目を見開いた。

「新作は書かない? てっきり作品のための自分探しだと思ってたが、違ったのかよ。予告状に書いてただろ」

 運ばれてきたカレーとコーヒーが二人の間に並べられる。ウエイトレスに丁寧に礼を言ってから、男は思わせぶりにコーヒーを一口飲んで微笑んだ。

「海の見える家に住んで、本を読みつつ詩作をする。これもまたロマンだろう? 最後のあれはまあ、方便みたいなものさ」

「なるほどね」

 満足げな男に対し、青年は少しだけ苦そうな笑みを浮かべてみせた。そのまま、ため息を吐きながらずるずると机に突っ伏してしまう。向かいの男はカレー皿をそっとよけてスペースを作ってくれた。その気遣いと、上から降ってくるおやおやという声が一周回って憎らしい。

「あーあ。俺は追いかけたいロマンも、やりたい舞台も見つかってないからここに来たのに。しかし、ここにいてもあんたの邪魔になるのかな。帰った方がいいか?」

「迷惑ではない。驚きはしたけれどね。……そうだね、やることがないならうちに来るかい」

「…………いいのか?」

 唐突な申し出に思わず体を起こすと、向かいの男はカレーをつつきながらこともなげに言った。

「見ての通り、自炊ができないのでこの辺りにあるすべての店の常連になってしまいそうでね。変に有名になりそうで困ってたんだ。それに、作った詩の読者もほしい」

「つまり、家事をやりつつあんたの作品を読めってことだな」

「その通り。やってくれるかい? というか、家事はできるかい」

「もちろん。こう見えて料理や掃除は得意だよ。それに、台本読みはながらの方が捗る」

「台本じゃなくて作品だ。間違えないでくれたまえよ」

「わかってるって。ひとまず、得意料理から作ってやるから楽しみにしてろよ」

 形は変われど、二人で何かをやっていくことは続くらしい。それに、自分が側にいればこの男も気が変わって、また脚本を書くかもしれない。怪盗だった男が役者の演技を信じたように、探偵だった青年は脚本家の舞台を好んでいた。


 今後の予定が決まって上機嫌にカレーを食べ始める青年を眺めながら、向かいの男はコーヒーを飲み、ゆるりと笑みを深めた。

「うん、私もひとつくらいは盗んだもののその後に責任を持たないといけないからね」

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夢を見せる、ロマンを追う 森津あかね @nasu2bitasi

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