夢を見せる、ロマンを追う

森津あかね

ある探偵と怪盗の幕引き

「なあ、いい加減辞めたらどうだ」

 怪盗を窓辺まで追い詰めた探偵がふいにそう言った。追い詰められていたはずの怪盗は窓から逃げようとしていた動きを止め、静かに相手を見る。


 世界広しといえど、宿敵に廃業を勧められる怪盗というのも珍しい。


 今日の仕事は市長の隠し財産で、市長の住む大きな屋敷に侵入し、不当に取り立てられた税金を盗み出して大立ち回りをしたばかりだ。

 ここは潜伏している時計塔。流石に札束を盗み出してすぐに隠れ家まで行くのは難しく、一旦人の少ない場所に身を隠していた。そこへ華麗な推理をした探偵がやってきて、こうして話を持ちかけてきているというわけだ。


 怪盗は自分の稼業を、素晴らしい仕事で街の人々の耳目を楽しませる役割も大いに努めていると常に自負している。だからこそ、怪盗は探偵に問いかけた。

「辞める? 私は今夜も人々に上質なエンターテイメントを提供できたと考えていたのだがね。君は私の脚本がお気に召さなかったかな、探偵くん」

 それは、怪盗と探偵が本当は裏で繋がっていることを示す言葉だ。

 怪盗が舞台を用意して、探偵に謎を解かせ、犯行を未然に防がせたり、怪盗を追わせたりする。この街で起きる探偵と怪盗の事件は自作自演の舞台なのだ。そういう意味でも、脚本を作った怪盗は自分の舞台に自信を持っていた。

 そのことを言葉から感じ取った探偵は一瞬だけ相手を傷付けたことに怯えた顔をしたが、それを振り払うように首を横に振って答えた。

「いいや。台本は良かったよ。俺が演じやすいようにしてくれていたこともわかっている。そこは問題じゃない。あんたが犯罪を重ね続けることやそれを隠し通すことが心苦しいんだよ」

 そう語る探偵の目は疲れきっていて、最初の頃のきらきらした光はとうに消え失せていた。そういえば、ここ最近は怪盗も追われて逃げるのに夢中で、相手の顔をきちんと見ていなかったことを思い出す。


 怪盗は、もとは小さな劇場の脚本家だった。劇場には他にも脚本家がいて、彼自身の作品はあまり舞台にならなかった。それどころか、劇場は悲劇ばかりを上演していて、脚本家の書く喜劇は好まれないどころか嗤われていた。そんなものを見てなんになる、現実に救いがないのに、と。

 だから、自分が観客を集められる舞台を作り、そこに立つために怪盗になった。同じ劇場の役者だった青年に探偵役を持ちかけたのは、彼が悲劇を演じる度に舞台袖で苦しげな顔をしていたからだ。言ってしまえば、怪盗が最初に盗んだのはあの劇場の役者だったのだ。


「こうして向かい合っていると最初の頃が懐かしくなってしまうね。数ヶ月前の私たちは人々の話題の的だった。私たちの活躍は毎日のように号外記事になって」

「ああ。俺も楽しかったよ。それに、あの劇場の役者の中で、わざわざ俺を選んでくれたのが嬉しかった。でも、だからこそ、楽しいままで終わりにしたい」

 静かに、けれど真っ直ぐに告げられた言葉はきっと曲げられないものだ。この街を支配する政治家たちの隠し財産を盗んできた怪盗でも、探偵の心までは盗めない。

 どれほど楽しく、エンターテイメントとして優れていても、演者を苦しめるのは脚本家である怪盗の本意ではなかった。

「わかったよ。始まりが有れば終わりがあるのは当然のことだからね。この舞台は今日で幕引きとしようじゃないか。突然だから難しいけれど、そうだな、ひとまずこれは君に預ける」

 怪盗は探偵の言葉を受け止めると、どさりと札束の入った布袋を探偵に押し付けた。紙の束は見た目より重く、探偵はうわと声をあげて少しよろめく。

「おい、これ、どうしたらいいんだ、市長に返せって?」

「好きにすればいい。自分用の隠し財産にしてもいいし、街の人々に還元してもいい。もちろん、元あった場所に戻してもいい」

「台本ではどうするつもりだったんだ」

「秘密さ。もう上演しない脚本のことをだらだら語るなんて無粋だよ。それに、辞めるんだろ? あとのことは君が自由にしたまえ」

「……俺は生粋の探偵じゃなくて役者だ。台詞がないのにどうやって演じればいい」

「うーん、その時思ったことを言葉にしてみたらいいんじゃないか? 舞台が人を作ることは、この世界ではよくあることだ。私と君も、この舞台に生かされてきたわけだからね。悪いようにはならないよ」

 投げやりなふりをしてやったが、怪盗は探偵の演技力を信用していた。このことを伝えると、決まって探偵は否定するが、探偵は本当にいい役者なのだ。怪盗は、探偵が思うままに演じた探偵を見てみたい好奇心を持っていた。

 そんな怪盗の真意など知るわけもなく、探偵は困惑と迷いの入り混じった視線をじろりと怪盗に向ける。

「お前は自作に責任があるんだかないんだか、よくわからないな」

「脚本への責任というよりも、終わり方の問題だよ。引退した怪盗が義賊として盗んだものを返していたら、興醒めだろう? 怪盗が辞める時は煙のように消えるのが美学さ。それに、引退したら旅行に行きたい気持ちもあるし」

「最後のが本音だな」

 やれやれとため息をついた探偵は、しっかりと布袋を抱え直す。結局のところ、彼は優しい男だった。警察や記者から質問攻めにされても、きっと秘密は守り抜いてくれるだろう。その確信があったから、怪盗はそれ以上は幕引きについて何も言わなかった。

「それじゃあ、私はそろそろお暇しようかな。君は警察に協力を要請されているんだろう? うかうかしてるとここにも警察隊が押し寄せて来そうだ」

 盗んだ獲物は置いていくが、怪盗は予定通りに窓に足をかけて逃げようとする。それをもう一度だけ、探偵は呼び止めた。

「待て。最後にひとつだけ聞きたい」

「今日はやけに質問したがるね。手短に頼むよ?」

 怪盗の言葉に探偵は軽く頷き、最初の謎を口にする。

「どうして俺を巻き込んでまで、探偵と怪盗なんてやったんだ?」

 怪盗行為は、義賊的な側面があるとはいえ犯罪行為だ。罪状で言えば窃盗に該当する。そんな危険なことをしなくても、人の心を奪えるテーマは世の中にいくつもあったはずだ。彼はそのことを問うているのだと、怪盗だった脚本家はすぐに理解していた。

 だから答える前に、怪盗は街の灯りを背景に美しく笑った。まるで、そこが舞台であるかのように。役者でなくとも、彼の笑みには人を虜にする確かな魅力が存在した。

「私の怪盗行為の本質は、金や宝物盗むことではない。君と、私の大立ち回りで、このつまらない街から退屈を盗みたかったんだ」

 怪盗の美しい演説を受けた探偵は、彼の答えに苦虫を噛み潰したような顔をした。責めるような視線が怪盗を貫く。

「それなら俺に脚本を書いてくれればよかったんだ。迂遠な手段を取りやがって」

「この街は悲劇ばかりが人気で、観に来るのは市長のような汚い金持ちばかり。そんな劇場でくすぶりながら出番を待つなんて、あまつさえそのまま終わるかもしれないなんて、つまらないじゃないか! それに」

「それに?」

「探偵と怪盗の大立ち回りが嫌いな人間なんて、いると思うかい?」

 あまりにも傲慢で、不遜で、大胆な言葉だった。いつもの探偵なら否定の言葉を吐いただろう。だが、探偵だった役者は、ふはっと笑みをこぼした。

「そりゃそうだな。探偵と怪盗が嫌いな奴なんかいない。俺たちだって大好きだ」

「だろう?」

「わかったよ。俺たちは夢を見せるのが仕事だ。役者と脚本家でも、探偵と怪盗でも」

「そうとも。ま、それも今日で終いだけどね」

 怪盗はおどけるように肩をすくめて、窓の欄干の上に飛び乗った。怪盗を演じてはいるが、その中身はただの男だ。アクションの経験など勿論ない。時計塔の窓からそのまま地面まで落ちると予測した探偵が慌てた矢先、怪盗は不敵に笑った。

「これにてさよならだ、私の大好きな探偵くん。縁があったらまた会おう」

 ぼん! と軽い爆発音がして煙幕が上がる。いつの間にか窓の下に集まっていた野次馬や警察からわっと声が上がり、低い足音と共に警察隊が時計塔へ駆け込んでくる。しかし、そこには札束の入った袋を抱えて呆然と佇む探偵しかおらず、怪盗の姿は影も形もなかった。

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