色無地

増田朋美

色無地

その日も寒かった。なんだか前の日がものすごく暖かかったので、それで寒いと感じるんだろう。つまるところ、前の日があたたかすぎていたのである。それは、なんだかおかしいなとか、そういう人もいるんだろうけど、大概の人は、それをほんのちょっと感じるだけで、それ以外は感じることはない。でも、その時に、ものすごく大きく動かなければならない人もいる。その基準はよくわからないけれど、なんだか自分にとって、重要なことであれば、それは、よく動くことになるらしい。

「ああ、ここよ。製鉄所って看板に書いてあるけど、鉄を作るようなところではなくて、何でも、仕事をさせたり、勉強させたりする場所を貸しているところらしいわ。」

「といいますと、コワーキングスペースみたいなところですか?」

浜島咲が説明すると、一緒に来た加藤綾子さんは、咲にそう返した。

「ええ。まあ私は、今風の言い方を知らないけど、来るのは皆訳アリの人ばかりで、正常な人は来ないって、ここを管理している理事長さんがそう言ってたわ。」

咲は、とりあえず綾子さんににこやかに言った。

「でもなんか、コワーキングスペースみたいに、それぞれの持場に衝立をつけたりとかして、周りが見えなくなるようになっているとか、そういう事は無いんですね。浜島さん、本当に、こちらには、着物に詳しい方がいらっしゃるんですか?」

綾子さんがそう言うので、咲はにこやかに笑って、

「大丈夫よ。現役の和裁屋さんがいてくださるから、着物の事は何でもお任せよ。その着物でなぜ今日叱られたのか、ちゃんと話せば教えてくれると思うわ。」

と、説明した。

「和裁屋さん?」

綾子さんが聞きなおすと、

「そうよ。着物を作るのが仕事のひとよ。」

咲は、急いで言った。

「そう、そうですか。着物も、自動で完成するものではないですもんね。誰か作る人がいますよね。ごめんなさい。何か、勘違いしてしまいました。そうですよね、着物だって、作る人がいるのか、、、。」

綾子さんは、ちょっと考えるように言った。確かに、綾子さんのような着物というものになかなか馴染みがない女性であれば、着物を作る人と言っても、なかなかピンとこないものかもしれない。

「それでは、行きましょう。私が、ちゃんと予約をしておきましたから、待っててくれると思うわ。」

咲は、インターフォンの無い玄関をガラッと開けて、

「こんにちは。杉ちゃん、右城くん。」

と製鉄所の中へ向かって声をかけた。ところが、反応はなにもない。返ってきたのは、咳き込んでいる声である。

「はあ、またかあ。でも予約ちゃんと取ったんだし、あたしたちは客なんだから入らせてもらうわよ。」

咲は、そう言って綾子さんと二人で部屋に入った。咲が、お邪魔しますと言ってとりあえず四畳半に行ってみると、四畳半では水穂さんが咳き込んでいて、杉ちゃんが薬を飲ませたところだった。

「まあ、いつものことねえ、右城くん。今日三時にここへ来る約束したでしょう。ちゃんと約束したんだから、体調崩さないでよ。」

咲がちょっと不服そうに言うと、

「すまんなあ。昨日までが暑いくらいだったからなあ。」

と、杉ちゃんが言った。

「ごめんごめん。相手なら僕がするから。それで要件を言ってみてくれ。」

「もうしょうがないわね。杉ちゃん、そういうことなら言わせてもらうけど、あたしたちは、今日は彼女の着物のことでこさせてもらったのよ。なんで彼女、お琴教室で苑子さんに叱られなければならなかったのか。杉ちゃん、悪いところを見てやってちょうだいよ。」

咲がそう言うと、杉ちゃんは綾子さんの着ている着物をじっと見た。確かに紫の着物であるし、ちゃんと足袋も履いているし、帯は作り帯ではあるけれど、名古屋帯をつけている。特に問題はなさそうだ。着物は、紫色で、絞りで雲や松竹梅などを描いている。一見してみるといかにも立派な着物であるが、リサイクルであれば、こういう着物は、非常に安くなってしまうことも杉ちゃんは知っていた。

「はあ。そうなのね。うーんとね、柄も素材も指摘することも無いが、総絞りというのは、まずかったかもね。絞りは、着物の中でも比較的格が低いと言われているから、お琴教室には使えないと思うぞ。」

とりあえずそう答えると、

「そうなんですか。それでは、なんで絞りの着物はお琴教室にはだめなんでしょうか?」

と綾子さんが聞いた。

「まあ、簡単に言ってしまうと、琴は身分の高い人の楽器で、絞りを着るような身分の低い人の楽器じゃないから、それを苑子さんは怒ったのでは無いかな?絞りは、江戸時代くらいまではな、放浪して売春を繰り返す女性の着物でもあったわけだ。そういう女性だったら、琴という楽器は縁が無いと思うぞ。琴はどちらかといえば公家や武家の楽器だから。それに、絞り染というのは、江戸時代にもちゃんとあったけど、武家の人たちが着用するときは、絞り布に重しを長時間おいて、絞り特有の凹凸を出さないようにしてから着物に仕立てていたようだよ。低い身分の人が着る着物とは違うってことを苑子さんはいいたかったんじゃないのかな。」

杉ちゃんはできるだけわかりやすく説明した。中にはそれでも可愛い着物は可愛い着物なので着たい、という女性も少なくないが、綾子さんはこう返答した。

「そうなんですね。わかりました。身分制度のことは、仕方ないことですもんね。絞りを着ている身分の人と、琴をひく身分の人は違うんだっていいたいんですね。そういうことなら、もう絞りの着物は着ません。」

「ま、まあそうだけど、絞りというのは、非常に手間のかかる染色法であることも確かだから、捨ててしまうなんてことは無いようにね。着物は絶対無駄にはならないよ。別の用事に使うという考えも湧いてくるものなんだ。一つの用事に使えなかったからと言って、もう捨ててしまうようなことはしないでね。」

杉ちゃんがそう言うと、綾子さんは、

「ありがとうございます。でも、お琴教室以外、着物を着る機会もないのですが、、、。」

と困った顔で言った。

「そうだねえ。そうなっちまうこともあると思うけど、でも、着物を着る用事がまったくないわけじゃないでしょ。試しに、美術館の展示会とか、そういうときに着てみればいいじゃないか。」

杉ちゃんがそう言うと、布団に横になっていた水穂さんが、

「それ、有松ですね。有松絞りですから、庶民的な絞りです。なので展示会にも向かないと思います。例えば、ボタニカルアートのような西洋的な展示会だったら良いと思いますが、横山大観のような日本的な展示会には向かないと思います。」

と小さな声で言った。

「じゃあやっぱり、このお着物は処分しなければならないのでしょうか?私、何も知らないから、適当に買ってしまったんです。それでは行けないですよね。」

綾子さんがそう言うと、

「そうですね。着物は、いつどこで誰が何をどのようにどうしたが大事だと言います。だから有松絞りではなくて、正絹の例えば紋綸子の色無地とか、そういうものを買うべきだったんでしょう。ちなみに答えを教えて差し上げると、お琴教室などのお稽古ごとでは、色無地が非常に効果的です。それに苑子さんのような、厳しい先生だと、よりそうなるでは無いかと。」

と、水穂さんは説明した。

「色無地?それなんですか?」

綾子さんが聞くと、

「柄を入れないで、黒または白以外の一色で染めた着物だよ。お稽古に着ていくんだったら、着物に織り込まれている地紋という織柄がびっしりある、紋綸子の着物を買うべきだったね。」

と、杉ちゃんが答えた。

「ちょっとまってよ杉ちゃん。そういう事言うんだったら、紋綸子がどういうものなのか、それを説明してもらわないと、彼女は何もわからないのよ。まずはじめに、有松絞りと、紋綸子の違いを教えることから始めてよ。」

咲が、杉ちゃんにそう言うと、

「やっぱり私、着物を間違えてしまったようですね。これは、いけなかったんですね。私、もう少し着物のことをちゃんと調べて買うべきだったんですね。リサイクル通販サイトで、お琴教室専用の着物があるなんて何も書いていなかったので、私は適当に買ってしまったんですけど、それは行けなかったということですよね。大丈夫です、どうせ500円で買ってきたものですから、気にしないでください。」

と綾子さんは言った。

「いやあ、今回は、間違えたというべきじゃないの。それは取っておいて、別の用事に使えばそれで良いんだ。そして、また500円で色無地を買えば良いのさ。それだけのこと、今は良い世の中で良かったね。着物がそうやって買えるんだからさ。まあ、欲を出して言えば、通販サイトに、もう少し詳しく着物の使い方とか、そこらへんが書いてあればよかったんだけどな。」

と、杉ちゃんが言うと、

「ごめんなさい。私、間違えたんですね。ごめんなさい先生。ごめんなさい。」

綾子さんは涙をこぼして泣き始めた。

「ということは、よっぽどこっぴどく叱られたのかな?」

杉ちゃんがいうほど、綾子さんは泣いていた。

「泣かなくたって良いんだよ。そんな入試に落ちたとかそういうわけではないんだから。何なら、着物を500円で買える店に行ってみようか。通販サイトなんて何も説明がなくて、困っただろ?それなら、説明してくれる人がいるところに行こう。」

杉ちゃんが言うと咲が、私タクシー呼ぶわといった。

「でも、呉服屋さんはちょっと怖くて、、、。」

綾子さんがそう言うと、

「大丈夫だよ。押し売りはしないから。それより、着物を買わないと、またお前さん苑子さんに叱られるよ。苑子さんは、ホント昔気質で有名だからさ。よく怒るエピソードは僕も聞いたことあるんだ。だから、苑子さんが理想とする着物を買わなくちゃだめなの。」

杉ちゃんはにこやかに笑った。

「でも、実店舗に連れて行くのも可哀想よ。だったら、杉ちゃんがインターネットの画面から着物を選んで上げるとか、そういうことから始めてよ。」

咲は、綾子さんの顔を見て、気もちが変わってそういった。なんだか着物屋さんというと、怖い人がいるところというイメージで定着してしまっているらしい。

「まあ、そうかも知れないけどさ、インターネットというのは、注文したのと、届いたのが違ってたこともあるのであまりすきじゃないよ。それなら店に行ったほうが早いんじゃないの?」

杉ちゃんがそう言うが、水穂さんが、

「可哀想ですよ。今回は、彼女の望みを叶えてやったほうが良いと思います。もしかしたら、呉服屋で怖い思いをしたのかもしれないし。」

と、小さな声で杉ちゃんに言った。

「ほんなら、着物屋でひどい目にあったことを話してみてくれ。」

杉ちゃんがそう言うと、綾子さんは涙をこぼしながら言った。多分人にも話せなかったのだろう、つかえつかえこう話し始めた。

「あたし、下村苑子先生に着物を着てお稽古に来るようにと言われてから、すぐにデパートにある呉服屋さんに行きました。そうしたら、店員さんに、着物の写真を見せられて、この中で持っていない着物を言えと言われました。私が、着物はまったくもっていないと言ったら、いきなり、着物を着るのなら今が買いどきだと言われて、今なら、15万で月々5000円でローンを組めば払えるからと言われて、契約書も持ってこさせられて、無理やり鉛筆を渡されてサインをしろと言われて。私本当に怖くなって、そのときは用事を思い出したと言って帰って来たんですけど、本当に怖い思いをして、もう二度と呉服屋には行きたくないと思いました。」

「わかりました。わかりましたよ。そんな思いをされたら誰だって行きたくなくなりますよ。それは正常な反応です。その店が悪かっただけです。」

水穂さんが優しく彼女に言った。杉ちゃんが、そういうことなら余計に店に行ったほうが良いのではないかというが、この話を聞いて、咲もインターネット販売のほうが良いなと思った。そんな恐怖体験をさせられたら、たしかに呉服屋というところには行きたくなくなってしまうかもしれなかった。

「それじゃあ、どうやって理想の着物を買おうか。写真では、着物の格とか、そういう事はわからないぜ。」

「そこは私達でなんとかしましょう。今日はインターネットで色無地を一枚買ってあげましょうよ。大丈夫よ。それだってどうせ、1000円以下で買えるサイトもあるわ。」

咲は、そう言ってタブレットを出した。そして、リサイクルきもの通販サイトと検索した。確かに、リサイクルきもの屋も色々あった。中にはかわいいサイトにしてくれてある店もあるけれど、お遊びで着物を売っている店もある。だから、そういうところでは、きっと理想の着物に出会うことはできないのだろう。また着物に対する説明が何もないサイトもあった。値段だけ出ていても、着物をどこへ着ていくかとか、そういう説明をしなければ商売として成り立たないと思うのだが、それが成り立ってしまうのが今の社会なのだ。まずはじめに、最初にアクセスしたサイトは、着物に対する説明がなく、ただ値段とサイズだけを表示してあったので、買えなかった。次にアクセスしたサイトは、値段も表示されていて、着物の説明もあった のであるが、着物のサイズが身丈と裄丈袖丈しか表記されていないのだった。そういう言い方だと、着物の説明があっても正確では無いかもしれないと杉ちゃんが言った。

三件目にアクセスしたウェブサイトは、確かに身丈と裄丈袖丈しか表記されていなかったが、ここであれば信頼して買えそうだった。というのも、商品説明写真が10枚も貼られており、汚れのこともちゃんと表記されていた。ここであれば、着物をしっかり買うことができるかなと思って値段を調べてみると、それだけ詳しく書かれていても、900円しかしないのであった。それが着物の現状なのかもしれない。咲がそのサイトから色無地のページを開いてみると、何枚か色無地の写真が出てきた。確かに柄を入れないで、黒あるいは白以外の一色で染められた着物である。

「ほら、よく見てみな。こういうふうに、色は無いけれど、柄があるように見えるだろ。これが地紋だ。色無地の格は、これで決まるんだ。この目に見える柄はなくても、地紋が細かく入っていないと、礼装としては使えない。多分、地紋がところどころに入っている飛び柄小紋みたいな色無地では行けないだろう。それから、気をつけてほしいのは、地紋の内容。日本のお琴を習うんだから、ゆりとかバラなどの海外の花を地紋で入れたものは厳禁だぞ。」

杉ちゃんに言われて、綾子さんは、余計に難しそうな顔をした。

「例えば、地紋としては、縁起のいい松や梅などが入ってるやつが良いぜ。それから、大事なのは素材ね。ちゃんと、正絹と書かれていて、光沢がある綸子という生地が高級だよ。逆に、化繊と書かれているやつは、絶対叱られるから、それはやめておきな。」

杉ちゃんにそう言われて、綾子さんは、

「これならどうでしょうか?」

と、紫の色無地の写真を指さした。なんでも、濃い紫の色無地で、ちゃんと正絹と書かれており、値段も900円の代物であるが、地紋が松でも梅でもなく、車輪の柄だった。それが、しっかり着物全体に隙間なく入っていて、いかにも礼装という感じの雰囲気の漂う色無地だった。

「車輪か、まあいつまでも回り続けるから、平和を願うという意味があるな。お稽古で使うんだったら、松が一番敬意を現しているんだけど。松は、一年中緑の宿る神の木だからね。それを身に着けているってことは、やる気がある証拠だからね。」

杉ちゃんがそういうと、

「でも杉ちゃん、もうこれしか無いんだし、とりあえず、これで買わせてあげなさいよ。紫の色無地で、綸子生地の着物はこれしか無いわよ。車輪は平和を願う柄なんでしょ。それなら怒られることは無いと思うけど。」

と咲が話を続けた。

「でも、使用例のところには、お琴教室とは書いてありませんね。」

綾子さんは不安そうに言うと、

「書いてなくたって、色無地はお稽古事とか、そういうところでは理想の格好だよ。着用して怒るやつはいないよ。まあ、化繊の色無地であれば、怒るかもしれないけど。」

と杉ちゃんが言った。確かに、着物にまつわる情報は今はインターネットで入手するか、本で入手するしか無いという問題点もあった。昔であれば人づてて入手していたと思われるが、今はそれを親切に教えてくれる人もいない。かといってインターネットや、本で入手した情報通りにいかないことも確かであり、正しく現在は不確実性の時代かもしれなかった。

「わかりました。私この車輪の色無地を買ってみることにします。」

綾子さんはタブレットの購入ボタンを押した。

「良かったですね。次は怒られないことを祈ります。」

そう言った水穂さんはもう疲れ切ってしまったのだろう。向こうを向いたまま、もう反応しなかった。その後で、咲は、綾子さんが、配達の日時指定などをするのをちゃんと確認して、やっとめでたしめでたしだわ、と小さく呟いた。

「何もめでたしじゃあないよ。着物は着てこそ着物だよ。着物を着て、どう動くことができるかが、着物を生かせる分かれ道だ。」

と、杉ちゃんに言われて咲は、そうねえといった。

「無事に注文できました。皆さん今日はありがとうございます。お陰様で、着物が届くのが楽しみになりました。」

綾子さんは、杉ちゃんと咲に、丁寧にお礼を言った。

「今度は、リサイクルきものショップに行って、買ってみような。」

と杉ちゃんが言うと、

「はい。勇気を出して行ってみます。」

と綾子さんは、にこやかに笑った。咲は、今日彼女をここに連れてきて本当に良かったなと思ったのだった。同時に、こういう通訳者というか、アドバイザー的な人がいてくれたらなと思わずにはいられなかった。

その日も寒い日で、風が吹いていた。春は風が吹くというが、同時に風は福をもたらすもんだなと杉ちゃんは笑っていた。咲もそう思いたいと思った。


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色無地 増田朋美 @masubuchi4996

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