五章 最大の試練

 そこは、ごく普通の島に見えた。

 草木が生え、海鳥が巣を作る。どこにでもあるありふれた島。

 それが、第一印象だった。

 「でも……」

 マルテは首にかけたペンダントをギュッと握りしめた。

 「手記に記された島はここでまちがいないはず。この島にこそ、紅き千年王国の遺宝はある」

 自分自身に信じさせ、納得するように一語いちご区切りながらゆっくりとそう語る。ペンダントにはめられた紅い宝石を握る手には不思議なぬくもりが感じられた。神秘の紅い宝石が熱を放っているのだろうか。そのほのかな熱がマルテに自分の正しさを確信させた。

 マルテは島の奥へおくへと向かって言った。

 紅き千年王国の民は滅亡の日、自分たちの財宝を隠したのだ。おそらくは、いつか戻ってきて王国を復興させることを夢見て。

 だったら、すぐに目につくようなところに隠したはずがない。他の誰にも奪われないよう、出来るだけ目につかない場所に隠したはずだ。おそらくは島の一番、奥。小山のなかか、でなければ、地下に広がる洞窟にでも。

 マルテはそう思い、とにかく、奥へおくへと進んでいった。

 島は一面が草木に覆われ、幾つもの鳥の声がした。それでも、海に浮かぶ離れ小島らしく、大きな獣がいる様子はない。陸を歩く生き物と言えばせいぜいがトカゲの類ぐらい。トラやオオカミと言った獣に襲われる心配がないのはありがたかった。

 「……そんな獣たちより、人間の方がよっぽど恐ろしいけれど」

 マルテはペンダントを握りしめながらそう呟いた。その脳裏には国王と王太子の首を手に高らかに笑うヘリオスの姿があった。

 ――信じていたのに。

 そう思う。

 ――わたしのはじめての男性になってくれたら。

 そうとさえ思っていた相手に裏切られた。けれど、マルテにもはや涙はない。あるものは怒り。そして、決意。

 ――わたしに良くしてくださった王太子ご夫妻、そして、仲間たち。みんなの仇を取り、ヘリオスに一泡吹かせる。そのためにも……わたしは必ず、紅き千年王国の遺宝を手にしなければいけない。

 心にそう誓い、歩を進める。ふいに――。

 足元の地面が消えた。

 マルテの体はヘビに飲まれるネズミのように、地中へと吸い込まれていった。


 気がついたとき――。

 マルテは地中に空いた深い穴の底にいた。ちょうど、斜面にそって滑り落ちるようにして落ちてきたためか、怪我などはしていないようだ。それはなによりだった。しかし――。

 「……深い」

 マルテは頭上を見上げ、絶望の呻きをあげた。

 あたりは闇に閉ざされ、はるか上にようやくぼんやりとした明りが見える。ただ、それだけ。あれほど照っていた太陽がそんな頼りない光にしか見えない。それぐらい深く、しかも、狭い穴だった。狭い上に地表はいたるところ草に覆われていたので、穴の存在に気がつかなかったのだ。

 マルテは滑り落ちてきた土壁に近づいた。両手で表面の凸凹を握りしめた。そして――。

 「よいしょおっ!」

 気合いととともに土壁をのぼりはじめた。

 嘆いたり、迷ったりしている暇はない。ここには他には誰もいないのだ。穴の底で途方に暮れていても誰も助けに来てはくれない。飢えと渇きに苛まれ、死んでいくだけ。だったら、やるべきことは決まっている。自力で土壁をのぼり、穴から抜け出すのだ。

 ――やらなきゃ。絶対に。わたしがここで死んだらフェリックスも捨てられてしまう。そして、ヘリオスは勝者としてクロノ王国の上に君臨することになる。させない。そんなことは。フェリックスは絶対に死なせない。ヘリオスもそのままにはしておかない。だから、そのために、わたしはこの穴から抜け出し、紅き千年王国の遺宝を手に入れる。絶対に。

 その思いにかけてマルテは土壁をのぼりつづける。

 土壁に食い込ませた爪がはがれ、血が流れる。腕が痺れ、握力が失われる。

 ズルリ。

 手が滑った。

 マルテの小柄な体が再び穴底へと落ちようとした。

 ガッ!

 マルテは音を立てて土壁の出っ張りをかじった。必死に歯でくわえて体が落ちるのを防いだ。

 靴と靴下を脱いだ。効かなくなった手のかわりに足の指で土壁をつかんだ。

 口と足。

 それだけで土壁をのぼった。

 歯が欠け、口中が血だらけになったが、そんなことはどうでも良かった。

 ――わたしは。

 ――必ず。

 ――遺宝を。

 ――手に入れる。

 フェリックスの無邪気な笑顔。

 仲むつまじい王太子夫妻の姿。

 同じ時を過ごした屋敷の仲間たち。

 その姿を思い出し、それだけを支えにのぼりつづけた。やがて――。

 マルテの体は地上へと戻っていた。

 「はあ、はあ……」

 マルテは地面に突っ伏し、しばらくの間は動けなかった。頭がクラクラするのは血を流しすぎたせいで貧血になっているからだろう。傷口に黴菌ばいきんが入り、化膿かのうするかも知れない。それでも――。

 マルテは確かに穴をのぼりきったのだ。

 ポウッ、と、音を立ててペンダントにはめられた紅い宝石が光った。その光に導かれてマルテは目の前に視線を向けた。

 そして、見た。

 そこに重々しい大きな扉があることを。

 その扉は、こんもりとした草に覆われた小山の脇に取り付けられていた。自然の小山をくりぬいて保管庫としたのか。それとも、保管庫として建てられた建物の上に長い年月の間に土が溜まり、その上に草が芽生えることで小山となったのか。

 いずれにしても、そこには確かに宝へと至る扉があった。

 紅い宝石から一筋の光が放たれた。その光は扉に吸い込まれた。重々しい扉が音もなく開いた。

 マルテはその仕掛けに驚いたが、同時に納得もしていた。

 やはり、この紅い宝石はただの石などではなかった。遺宝を求める人間を遺宝のもとへと誘う魔法の道具であったのだ。

 航海術ひとつ知らないマルテが、自殺同然の無謀な航海を乗り切り、この島へとたどり着けたのも、この宝石の加護によるものだったのだろう。その力を知っていたからこそ、この島を見つけた漂流者も手記とともに紅い宝石のはまったペンダントを海に流したのだ。

 いつか誰かがこの宝石を見つけ、自分の発見した紅き千年王国の遺宝を継承してくれることを願って。

 「……ありがとう。漂流者さん」

 マルテは名も知らぬ漂流者に心からの礼を述べた。

 そして、開かれた扉をくぐって保管庫のなかに入った。そこは、太陽よりもまぶしい黄金の輝きに満たされていた。

 紅き千年王国の遺宝。

 マルテはいま確かに、その伝説の財宝を手に入れたのだ。

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