第21話 めでたしなので帰れると思いました

「……生きているのね、あの人」


 そう考えている中、視線を逸らした先で視界に入ったペネロペ王妃がぽつりと零す。髪はぼさぼさで目も赤くなり腫れていたが、それでも昨日より顔色がマシに思えるのは広間に入ってくる日差しのせいだろうか。


 彼女は湯気の立つ新しいカップに口をつけると、ほうっと息を吐き出す。そしてこちらに顔を向けると、ペネロペ王妃は突然私に向って頭を下げた。


「ありがとう、リベット。今回のことに気づけたのはあなたの存在が大きいわ」

「そんな、王妃。お顔を上げてください。私は水晶玉のお導きをそのまま口にしただけで」

「それでも、あなたが教えてくれなかったら、もっと取り返しがつかないことになっていた」


 そう言うと、ペネロペ王妃は思い出したように震える自身の片腕を抱く。握られていた時についたであろう袖からちらりと覗いた手首の赤いあとは、何もかも終わった後でもまるで消えない呪いのように、彼女の白い肌にくっきりと残っていた。


 ペネロペ王妃は細い指で自身の手首を撫でながら言う。


「私、馬鹿なの。利用されたって、殺されかけたって分かってるのに、あの人が生きてるって聞いてほっとしちゃった」

「……母上」

「サイラス。あなたに母なんて呼ばれる資格、私にはないわ。息子たちを危険に晒したのに、私、まだあの人との思い出に縋ってる。……馬鹿だわ、本当に」


 まだ気持ちの整理がついていないのだろう。覗いたペネロペ王妃の思考はぐちゃぐちゃだった。子供のことを思う気持ちと、まだ信じられない気持ち。それからこれからへの不安が混ざり合って、絡まっている。


 無理もない話だった。彼女からしてみれば、何年も寄り添ってきた相手から裏切られたのだから。彼女が受けた仕打ちを考えれば、急に何もかも理解しろというには酷な気がした。だが、こればっかりは時間をかけてどうにか乗り越えていくしかない。


「母上、そんなこと言わないでください。母上がどう思っていても、母上は母上です!」

「……ヒューゴ」

「っそれに……母上が呼ばれる資格がないというのなら、それは僕だって」


 そして、そんな母親と同じくらいかそれ以上にごちゃごちゃと考えている人間がもう一人。ヒューゴ王子は王妃の言葉に悲し気に眉根を寄せると、もごもごと下を向いて言葉の続きを言い淀む。思っていても口に出して言いたくないのだろう。


 だがそんな言葉も私の耳にははっきりと聞こえた。彼が今、何を思っているのかも。


「不安に思うなら飲み込まず、聞いてみるのがいいでしょう」

「……え?」

「水晶玉のお導きです。それがヒューゴ王子の悩みを取り除く、一番の近道となるでしょう」


 聞こえてきたヒューゴ王子の声にそう言えば、彼は驚きに目を丸くする。前に座る彼の兄の視線がうっとおしいが、私は無視して水晶玉を介した話を続けた。


「それに、ご子息のあなたがそんな不安な顔をしていては、お兄様もお母様もますます気が気でなくなってしまうのでは?」

「……本当に、何でも分かってしまうんですね」

「水晶玉は全てお見通しですので。それに、あなたはあなた。流れる血で何が変わることがありましょうか」

「お、おい。ヒューゴに変なことを吹き込む気じゃないだろうな!」

「……あとはご自分でお尋ねになってみては?」


 相変わらずのサイラス王子を放っておいて、私はヒューゴ王子を見る。彼は私の言葉に少し考え込むようにしばらく俯いて、じっとテーブルに目を落としていたが、「ヒューゴ?」とオロオロとし始めたサイラス王子の声にこのままではいけないと感じたのだろう。彼は決心したように顔を上げると、隣に座る兄へと向き直った。


「……あの、僕はこのままあなたの弟でいいんでしょうか」

「むっ? いきなり何を言うんだ」

「僕とあなたは血がつながってません。あなたは本物の父上とソフィア様の子で……僕は偽物の父上の子だから。……王子ですらない」


 ヒューゴ王子の身が固くなるのが傍から見ても分かった。言いにくいのか、彼の視線は話している間にもどんどん下がっていく。日の光の下だと、ヒューゴ王子とペネロペ王妃の金髪は目に染みるほどの輝きを放っていて、そんな中、たった一人の黒髪は濃い影のようによく目立つ。

 

【僕に彼を兄と呼ぶ資格があるのだろうか。本物でなく、あの男の血が流れている、僕が】


 ついさっき聞こえたヒューゴ王子の思考。それがまさに彼の表情を曇らせる要因だった。


 サイラスと違い、本当の父親の血が彼には流れていない。それどころか、シモンズ王家をめちゃくちゃにした男の子供であるという信じたくない真実。新たに突き付けられた事実は十七かそこらの青年に不安を植え付けるには十分すぎる。


 ヒューゴ王子は膝の上で固く手を握っていた。何を言われても耐えられるように、指先が白くなるほどきつく。

 

「あなただって、嫌じゃ、ないですか。あんな男が父親で、赤の他人が兄弟面してくるなんて――――」

「ヒューゴ。顔を上げろ」

「っ……あなたが望むなら、僕は、この城を出て行ったって」

「恐ろしくても、俺を見ろ」


 だがヒューゴ王子が最後まで話し終える前に、サイラス王子は静かに言った。自身の言葉にキュッと唇を結んで固まってしまった第二王子を前に、第一王子は彼が顔を上げるのをじっと待ち続ける。


 そして沈黙に耐えきれなくなったヒューゴ王子がついに顔を上げると、サイラス王子はまっすぐな視線を向けながら、はっきりと言い切った。


「お前は、血がつながっていない程度で俺が態度を変えるような男だと思っているのか?」

「……っ、でも! 僕はあいつの子供で」

「あの男は確かに許せないことをした。でもヒューゴが何かしたわけじゃない」


 その声は決して大声ではなかったが、サイラス王子の言葉は耳に良く残った。


 彼は兄の表情をしながら、今にも泣き出しそうになっている弟に続けて言う。それはさながらまるで舞台のワンシーンのようだった。


「誰の子供だったところでお前は、俺の弟だろ」


 たった一言。けれどそれはヒューゴ王子が心の奥底で求めていた言葉に違いなく、目尻に溜まっていた涙がその一言で決壊したように頬を流れていく。


「兄上と、また呼んでいいのですか。その資格が、僕に」

「家族に資格も何もあるか。当たり前だろ」


 その言葉に俯き涙を流すヒューゴ王子と、そんな彼を優しく見守る兄。そして兄弟の姿に目尻を光らせる母親。


 まったく絵になる、実に感動的なクライマックスシーンだ。この場面が絵本だったらまさしく「めでたし、めでたし」が似合うページに違いない。


 事実、シモンズ王家を襲った嵐は去り、問題は解決した。つまりそれが何を意味するかというと、家族でない部外者はお役御免ということである。

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