第16話 逃げる偽物、追う偽物

「ざいっ、ラスゥっ! お、お前ぇっ!」

「……俺の知っている父上は立派な方だった」


 手首からの血を押さえ、憎しみの籠った目で睨みつけてくる男を前にサイラス王子は静かに告げる。今まで大騒ぎしていた男と同一とは思えない程その声は冷静で、しかし思考を読まなくても分かるほどの怒気に溢れている。


「忙しい人だった。厳しい一面もあった。俺には幼いころの記憶しかないし、ほとんど共に過ごせなかったが、それでも父上の優しさは記憶に焼き付いている」

「よぐっ、よぐもっ、おれ、おれの、手をぉぉぉぉ!」

「たまに帰ってきた日には玩具を買ってくれた。頑張ったことを伝えれば、大きな手で俺の頭を撫でてくれた……」


 男はサイラス王子の言葉を聞かず、自身も壁に掛かった剣を取る。無事だった方の手でその柄を握りしめると、男は目の前に立つ第一王子に力任せに切りかかった。


「俺の知っている父上は、嫌がる子に剣を向けさせるような真似などしない。そういう下衆な真似を、何より嫌った人だった!」


 しかし、振りかぶった男の剣はサイラス王子の切り上げに弾かれて宙を舞う。ガキン、と金属的な音が響いた直後、サイラス王子は自身の剣を男の鼻先に突き付けた。その剣先に震えはなく、その目に迷いはなく。第一王子は父の姿をしたそれを敵と定め、叫ぶ。


「父の名を汚したお前を、俺は許さない。望み通り、その喉掻っ捌いてやる!」

「ぐっ、ぅ、ぅぅぅぅ、っ……クソがぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 だがしかし、サイラス王子の剣が男の喉に突き立てられる寸前、男は苛立ちをぶちまけるような怒声を上げると、懐から何かを取り出して床に叩きつける。その途端、床からもうもうと煙が立ち上ったかと思えば、それはあっという間に部屋に広がりそこにいる全員の視界を奪った。


「っぐ⁈ な、何だっ、これ!」

「あ、兄上! 大丈夫ですか?」

「ゲホっ、あ、ああ、だが視界が……っクソ!」


 白い煙に紛れて、男はサイラス王子の剣から逃れたらしい。家族に深い傷を残した憎き相手を取り逃がしたことにサイラス王子は悔し気な声を上げるが、ヒューゴ王子が気を失ったペネロペ王妃の介抱を始めると、今は追いかけている場合ではないと思考を切り替えたようだった。


 怒り一色だったサイラス王子の思考が段々と落ち着いていくのを見届けてから、私は煙に紛れてそうっと扉の外に体を滑らせる。少し城の構造に迷ってしまわないか不安が残るが、連れてこられた時の景色は大体覚えている。恐らく出られるだろう。


 別に逃げ出した偽物への復讐だとか、王家への同情とか、追いかけて懲らしめようとか、そういうものでは決してない。

 ただ、まだ貰えていない、大仕事の報酬を貰うためだ。

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