5

 土曜午後のファミレスはおおむねいつでも混んでいるが、それでもこの日の四人はボックス席に着くことができた。女性陣と男性陣が向かい合うようにして座るのは良くある定番で、四人もそうやって座る。窓側には長谷川秀樹と阿木野ビビ。通路側には滝川隆二と岸辺薫子。

 座ると思い思いにメニューを選び始めた。

「ビビちゃんって、実はめっちゃ食べるからね。今日はりゅうくんの奢りだけど、りゅうくん覚悟してね!」

「覚悟ってなんだよ!しかも奢りなんて聞いてないぞ。ってかそんなに食べるの?」

「甘く考えないで。この娘ったら本当にすごいんだから。カレーとか普通に三人前とか食べるし」

「ちょっとお……」阿木野ビビはモジモジと反論したがっているが岸辺薫子は無視した。

「いいじゃない、本当のことなんだから。しかも普通の大食いみたいに時間内にただただかきこむんじゃなくて、ちゃんと味わって食べるんだから」

 恥ずかしそうに俯く阿木野ビビ。

 長谷川秀樹は驚いていた。これはさすがに彼女の部屋を見ただけでは解らない情報だ。

「ほらビビちゃん、これこれ、いつものやつ頼もうよ」

 どうやらファミレスで頼む定番があるらしい。

「あたしもいつものやつ頼むから」

 二人が頼んだのはカレーだった。阿木野ビビはじっくりコトコト煮込んだビーフカレー。岸辺は野菜たっぷりカレー。阿木野ビビは岸辺に半ば押し切られるように、遠慮がちではあったが、二人前分を頼んだ。

 男性陣は滝川が煮込みうどん大盛り、長谷川秀樹はたっぷりたらこの和風スパゲティ。

「こいつはパスタが好きでさー」

「そういえばさ、最近はパスタって言うけど、元々スパゲティでしょう」

「おいおいなんだよ知らないのか?スパゲティってパスタの一種なんだぜ。だからパスタが正しいんだよ」

「そうなの?」

「よくそんなんで大学受かったな」

「試験にはそんな問題出ないもの」

「そりゃそうか。けど阿木野さんは知ってたと思うよ。ね、阿木野さん、知ってましたよね?」

「知りませんでした……」

「えぇえ、そうなの?」

「考えたこともなくて……」

「そっかぁ。じゃあ知らなくてもいいや」

「何それその態度。あたしにも優しくしなさいよ」

「悪い悪い。ってか実は俺も長谷川に聞いたっていうか、教えてもらったんだ」

「イタリアでは小麦粉を練って作ったものをパスタって言うんだよ。で、スパゲティは細長く練ったもののことなんだ」長谷川秀樹は自慢する風でもなくさりげなく話す。こういう話し方が得意なのだ。

「へぇ。長谷川さんってさ、やっぱ頭いいのね」

「俺もさ、坊主にしたら頭の形はいいよ。剣道部の時は二人とも坊主でさ。長谷川は少しだけ後頭部が絶壁気味なんだけど」

「本当?触ってもいい?」

「長谷川の弱点の一つだな」

「弱点って」岸辺が笑う。

「けど、長谷川さんって本当にかっこいいよね。何を食べたらそうなるの?」

「は、何その質問?」

「だって気になるじゃない。ビビちゃんだって、美人だけどめっちゃ食べるし」

「ますます意味わからん」

「食べ物って大事なのよ。確かに食べ過ぎは良くないけど、なんかこう"いいなぁ"って感じの人は普段から"いいなぁ"ってものを食べてる気がするのよ」

「そうなのか?……うーん、長谷川は割と洋風が多いよな。パスタとか。あとさ、こいつはサラダもよく食べるな」

「野菜は体にいいだけじゃなくて、実はお得なんだよ。肉なんかはみんな食べるから大量に仕入れるだろ?だから原価は安い。けど野菜は案外仕入れ値が高いんだ」

「まぁな。腐るから長く保存できないしな」

「そう。どうせならお得なものを食べたいからね」

「な、こいつっていっつもこういうこと考えてんだぜ。案外せこいよな」

「待てよ。これってお前が僕に最初に話したことだろ?」

「はは。おれんちは農家だから」滝川は悪びれることもなくしれっとしている。

「そういえば阿木野さんってお寺の娘さんなんだよね?」

「あ、ええ。そうですけど……」

「やっぱりお経とか習うの?」

「それが全然わかんないです。やっぱりちゃんと修行しないとわからないと思いますよ。おじいちゃんはもういつでもどこでもスラスラお経唱えることができますけど」

「へぇ。お経ってあれかい?家内安全とか悪霊退散とかそういう感じなの?」

「私もよくわからないんですけど、そういうのじゃない感じもします」

「そういうのでさ、唱えたら速攻で効き目があるお経ってあればいいよね」

「いいわね。私ならやっぱりお金欲しい!お経唱えて宝くじとか当たるなら覚えたい!」

「そんなお経あるなら俺だって覚えたいよ」

 本当に願いが叶うなら、目の前の女性と結婚したい。長谷川秀樹はそう思った。いや、強く願った。

「けどさ、なんか念仏唱えたら夢が叶うっていいよな。本当に叶うなら、俺、即、仏教徒になるよ」

「えーりゅうくんて仏教徒じゃないの?」

「ん?なった覚えはないけど」

「じゃありゅうくんの家のお墓は?」

「墓?」

「そう。あれって仏教なんでしょ?」

「ああそうか。まあ言われてみればそうかもしれないな。けどよくわからん。それを言うなら俺はクリスマスとかもするし、お正月ってあれは神道……なんだろ?よくわからんけど」

「私だってクリスマスはするわよ。正月だってするし。けどそれでもさ、日本人って仏教徒じゃない?」

「ってかさ、それってステルス仏教徒ってやつだよな」

「やだ!それってなんだかちょっとかっこいいネーミング!」

 頼んだメニューがやってきた。四人はそれぞれ食べ始める。

「あ、それ美味そう!」

「思ったより量多いな」

「私もそれ頼めばよかった」

 その後も追加でサラダやドリンクを頼んだりして食事を楽しんだ四人だが、滝川は気づいた

「阿木野さんさぁ。なんか本当に全部食べちゃったね……ってか、なんかすげー余裕な表情……なんともないの?」それなりのボリュームのカレーは二皿とも綺麗さっぱり無くなっている。ついでに言うなら食べた後にしては皿もかなり綺麗だ。

「奢ってもらってすみません。お腹はなんともないですよ」

「ひゃー。本当に食べるんだ!すげーな長谷川」

「……」

 声にこそ出ないが、長谷川秀樹も驚いていた。

 ちょっと待て!決して少量じゃないあのカレーを二杯も食べたのか!いやいや、それどころか、明らかに物足りないような雰囲気じゃないか。

「ねえりゅうくん。実はお願いがあるんだけど……」長谷川の思いをかき消すかのようにいきなり割り込む岸辺。

「なんだ、お前も物足りないのかよ?」

「私じゃないの。ビビちゃん!」

「え?カレー二杯食べてまだ食べるの?」

「いいじゃない。ってか、食後のデザートって定番でしょ?それにビビちゃんってば甘いもの好きだし……」

「本当に食べれるのかよ?……食べます?」

 岸辺は何か言いたさそうな阿木野ビビを遮るとキッパリと言い放つ。

「当たり前じゃない!この娘を誰だと思ってるの?それにりゅうくん今日はなんでも奢るって言ったじゃない」

「わかったわかったわかりました。で、何を頼むって?」

「これ!」

 盛り付けの可愛らしいパフェを指差す岸辺。

「これ?」

「そう、これ。ビビちゃんと二人で食べるんだから」

 しかし、出てきたパフェに長谷川秀樹と滝川は唖然とした。器だけでも三十センチはあるだろうか。その上に色々なものが可愛らしく乗っかってはいるが、改めて見ると、その様はある種の圧迫感すらあった。どうやらこの店の名物となっているパフェらしい。今更ながらに気づいたのだが、完食すると割引が受けられるとメニューには書いてあった。とてもじゃないが一人では食べきれない。まさに四人で寄ってたかって食べるような代物だった。写真と実物ではスケールが違いすぎるのだ。

 しかし、男性二人はその後さらに驚くこととなる。

 頼んだ手前、岸辺も口はつけたが、いかにもそれはアリバイ作りであって「もー無理」アピールと共に手が止まる。そしてその後は阿木野ビビの独壇場。パフェが淡々と減っていくのだ。美味しそうに食べる阿木野ビビと、巨大なグラスが空になっていくその対比に滝川はドン引きした。

「おいおいおいおい。阿木野さんさぁ……これってもうテレビに出られるレベルじゃないか?」

 長谷川秀樹も思いは同じだ。

 すごい……

 凄すぎる……

 ここまで食べるとは……

 これは将来彼女と結婚したら、食費がいくらあっても足りないではないか……

 阿木野ビビはスプーンを綺麗に舐めると、それを静かに置いて両手を合わせた。ナプキンで口を拭くと満足げに微笑む。

「奢りだからってごめんなさい。けど残すものなんだか悪いと思って……」

「いやいやいやいや……いいんだよ。いいんだよ。ってか、本当に無理してないよね」

「大丈夫。この娘はこれくらいが普通なのよ」岸辺がすかさずフォロー。

「ってか、この娘ったら函館のカレー屋で記録作ってるのよ。大盛りカツカレー一キロを一五分で完食したって」

「一キロ……」更なるドン引きの男性陣。

「あたしもそんときそこにいたんだけど、この娘ったらなんて言ったと思う?『もっと味わって食べたかった』って」

「だって、本当にそう思ったんだもの。あそこのカレー美味しいし」

「確かにすごく美味しいのよ。けど、ビビちゃんがあまりにも食べっぷりがいいからってマスターがわざわざ自分から言い出したの。『一五分で食べたらタダでいいけどやってみる?』って。結局ただ喰いよ」

「でもあたし、あのあとでちゃんとお礼に行ったんだから。おじいちゃんにその話したらお礼持ってけって言われて。檀家だからって」

 お腹が満たされて余裕ができたのか、阿木野ビビも普通に会話をするようになった。本来はこれくらい喋るのだろう。長谷川秀樹は「いい声だなぁ」と思いながら聞いていた。アニメ声ではない、けど女性らしい柔らかな音で、なんとも耳に心地よい声だ。

 しかし、その心地よさはいきなりぶち壊された。

「ところでさ、今ふと思い出したんだけど、あたしのアパートに空き巣が入ったじゃない?」

「あーあれな!」滝川は内容を知ってる様子だ。

「でね、その空き巣が昨日捕まったって。しかも犯人は顔見知りだったって。テレビでやってたよ」

「マジか!俺最近テレビ見てなくて」

「そう。でね、その空き巣は彼女の部屋に合鍵使って入ってバレないようにお金とか盗んでたんだって。それがあたしのアパートだったのよ。階は違うけど」

「いつだったっけ?お前言ってたもんな。なんかアパートの前に警察来てて何があったかよくわからないけど怖いって」

「本当に怖かったんだから。何があったのって。函館じゃそんなことなかったし」

「札幌だって滅多にないよ。それにしても彼女の部屋に泥棒しに入るとか最低だよな」

「本当よ。最低」

「だよな。けど女の方も見る目ないよ。よりにもよって最低なやつと付き合うとかさ」

「確かにね。ってかビビちゃんも気をつけないと」

「はい?私?」いきなりでキョトンとする阿木野ビビ。

「そうよ。あんたは天然なんだし、こういうのには弱いでしょ?」

「こういうのって?」

「男女関係!あんたにはまだ彼氏いないしさ」

「え、いや、別に……」

「何取り繕ってんのよ。まだ彼氏いないくせに。ってか相手を顔とかで選んじゃダメだからね。あ、別に長谷川さんがダメとかじゃないけど」

「どういう意味だよ」滝川が笑いながら割り込む。

「俺がどうしたって?」

「りゅうくんは男らしいいい顔してるから問題なしって言ってんの!」

「だろ?」

「長谷川さんは気にしてないわよね。とにかくビビちゃんは雰囲気に流されるタイプなんだから気をつけないとね。ってか、ビビちゃんも最近さー、なんかものがなくなるわよねー」

 この何気ない一言に阿木野ビビは狼狽えた。

「え、あ!ちょっと待って!それは言わないで!」

「いいじゃない。大丈夫よ、みんな大人なんだし」

「そうじゃなくて恥ずかしいじゃない」

 阿木野ビビに止められても岸辺は止まらない。

「実はさー、ビビちゃんのおパンツが一枚無くなったんだって。あと、なんか部屋の雰囲気がおかしいんだって」

「もうーかおちゃんたら!」

「だってあんた最近言ってたじゃない。なんかおかしいって」

「そりゃあそうだけど」

「お気に入りのおパンツだったんでしょ?」

「ちなみにそれは俺じゃないからね」と滝川。

「確かに俺はこの前、岸辺に『パンツくれ』とは言ったけどさ」

「この変態」岸辺は笑う。

「ってかさー、男ってパンツ好きだよね。パンツの何がいいの?はっきり言って汚いだけだよ」

「パンツには浪漫があるんだよ」

「なんのロマンよ?」

「女にはわかんねーんだよ。な、長谷川!」

 長谷川秀樹は文字通り頭が真っ白になってしまっていた。何をミスった?なぜバレた?あの時は何をどうしたっけ?何が悪かったんだ?何が何だかよくわからない……

「おい長谷川!どうした?腹でも痛いのか?」

「……い、いや、それは許せないよな」

「は?なんの話だよ?」

「え?なんの話だっけ?」

 長谷川秀樹はなんと答えたらいいのかわからない。

「おいおいおいおいはせがわくーん!ちゃんと話を聞いとけよ。パンツの話をしてんだよ。ぱ・ん・つ」

「ちょっとりゅうくんってば声が大きいよ。ほら、ビビちゃんだって困ってるじゃない。それにりゅうくんだけでしょ、パンツがロマンとか言ってるの」

「なんだよー」わかりやすくしゅんとなる滝川。

「しかしビビちゃんってよくもの無くすよね。前なんて部屋の鍵無くしたことあったでしょ?」

「あー。確かにあったわ」

「あれこれ探しても見つからなくて、結局大学に届けられてたんだっけ?」

「そうなの。すごく大事な鍵なのに落としてしまって。念のためにって思って大学の事務に聞いたら届けられてて」

「あーあれな。あの時は岸辺も俺に聞いてきたよな?ビビちゃんの鍵知らない?って。そんなの知るわけないだろって答えたけど」

「ごめんね。知る訳ないよね。鍵なんて見た目だけなら誰のものなのかわからないし。けどほら一応聞きたいじゃない」

「まあな」

「ってか空き巣の件もあるし、合鍵作られてたらおしまいよね」

「だな」と滝川。

「みんなちゃんと鍵持ってるか?」

 滝川がじゃらっと音を立てて鍵を出すと、残りもつられて鍵を出す。

 阿木野ビビの鍵には水晶の玉とおしゃれな虹色のキーホルダーが付いていた。

 長谷川秀樹は無言でその鍵を見た。

 そう、それ。

 今もその鍵を使っているのか……

 長谷川秀樹は思い出していた。以前四人で会った際、阿木野ビビが車に乗り込んだちょうどその時に長谷川秀樹は見たのだ。彼女が自分の部屋の鍵を手に持っているのを。そして見えたのだ。水晶の玉とおしゃれな虹色のキーホルダーが付いているのを。

 あの時から何日か経って、その日の大学の講義も終わった帰り道。ふと見たベンチに光るものがあった。見ると水晶の玉とおしゃれな虹色のキーホルダーが付いている鍵ではないか。

「どこかで見たことがあるような……」

 悩みながらも大学の事務局に届けようと引き返し、建物内に入ったところで思い出した。

「これって、ひょっとして……」

 長谷川秀樹は鍵を届けずに家にそのまま持ち帰った。そしてその夜、滝川から電話がかかってきたのだ。

「……でさ、岸辺が俺に『友達の鍵知らない?』って聞いてきてさ。だからまあ意味はないけど念のために聞くわ。ってかそんなの俺もお前も知るわけねーよな」

 長谷川秀樹は確信した。

 この鍵は彼女の鍵に違いない!

 そうだ。間違いない!

 翌日、キーホルダーを外して鍵だけにすると、鍵屋に持っていき複製を作った。防犯用にスペアを作りたい。店主はあっさりOKすると一時間と経たずに金ピカのスペア鍵が手に入った。長谷川秀樹は鍵を元通りにすると、それを大学に持って行った。

 すべてはそこから始まったのだ。


「いずれにしてもさ、世の中には悪い奴がいくらでもいるんだからさ、ビビちゃんも気をつけないとね」

「そうだ、それがいいよ」と滝川。

「俺なんて阿木野さんの部屋も知らないから何にもできないし」

「あれ、そうだっけ?あたし教えたような……」

「え、そうだっけ?まあ確かにアパート自体はどこにあるのか知ってるけど……」

「部屋番号だって教えたじゃない。あたしの部屋番号と同じだって」

「あーそうだった!四〇六ね」

「ちょっと!りゅうくんたらまた声が大きい!」

「あ、ごめん!」

 滝川のこのサービス精神とも言える振る舞いは長谷川秀樹にとって大いに役立った。知りたい情報は滝川が教えてくれるのだ。

「けどさ、なんかあのあたりって空き巣とか変質者が多いよね」

「そうなのか?」

「例えばりゅうくんみたいなおパンツ泥棒とかもいるし」

「とってないだろ?ってか、俺は岸辺に『くれませんか?』って言ったの。しかも紳士的に。俺が人のパンツとか盗むわけないだろ」

「ごめんごめん。けどさ、ビビちゃんのおパンツは不思議よね。本当になくなったの?」

「ないのは確かなの。捨てた覚えもないし……」

「でもさ、ビビちゃんのアパートって防犯カメラついてるわよね。アパートの管理人に事情話して確認してもらえば?変な人が映ってるかもしれないし!」

「そこまで大げさにはしたくないわ。私の勘違いかもしれないんだし……」

「なるほど……そういえばさっき、阿木野さんは『なんか部屋の様子がおかしい』とかって言ったよね」と滝川。

「はい……」

「俺思うんだけど、女の勘って当たるって言うよね。ほらなんだっけ?虫のいき……じゃなくて、なんだっけ?虫の……」

「しらせ、よ!虫の知らせ」

「あーそれそれ。サンキュー岸辺!でさ、そういうのって俺はあると思う」

「そうよね」

「ってことで、阿木野さんに提案なんだけど、今度さ、俺が泊まりに行ってあげようか?」滝川がにこやかに言う。

「はぁ?何言ってんの!そんなのダメに決まってるじゃない」本気で怒る岸辺。

「ごめんごめん、ごめんね阿木野さん。もちろんこれは冗談なんだけど、それはさておき、警察は一応呼んだ方がいいんじゃないかな?」

「私、警察とかは全く考えてないんです。だって私の勘違いかもしれないから。だけど、ただ……」

「ただ、どうしたの?」岸部も真剣だ。

「実はベランダの窓の鍵もかかってなくて……」

 長谷川秀樹はぎくりとした。そうだ。言われて気づいた。靴を隠していたあのベランダの鍵!閉め忘れていたのか!まずい!まずいまずいまずい!

「ちょっとちょっとそれって大事なことじゃないの?あたし、その話は聞いてないわよ」

「だってそれも私の勘違いかもしれないから……」

「大事なことじゃない?いつからなの?」

「それがよくわからなくて。滅多にベランダには出ないし」

「やっぱりさ、警察に届けた方がいいんじゃないか?」

 滝川も真剣モードだ。

「おかしな話だよ。パンツがなくなって、部屋の様子も変で、おまけにベランダの窓の鍵が開いてたんだろ?そのベランダって外から侵入できるのかな?」

「目立たないところにあるから、普通はわからないと思うんだけど」

 確かにわからない。けれども長谷川秀樹は知っていた。だからこそそこにいつも靴を隠すのだ。

「そうか。とにかく一応確認した方がいいんじゃないか?」

「うーん」

「おい長谷川!お前さっきからなにずっと黙ってんだよ!こういう時こそお前の出番だろ?お前物知りなんだし頭もいいし。何かいアドバイスないのか?」

 長谷川秀樹はそれどころではなかった。

 ずっと頭の中であの日の記憶を再生していたのだ。何か他のミスはないか。何か致命的なことをやらかしたのではないか。気をつけていたはずなのに、どうしてだ?何か他にまずい行動があったのかもしれない。どうしたらいい?

 とにかく確認せずにはいられないではないか。

「考え込んでないでなんか言ってやれよ」

 もちろんアドバイスなどあろうはずがない。なぜなら自分こそがその犯人だからだ。

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