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 それは長谷川秀樹が阿木野ビビの部屋から戦利品として頂いてきたパンティに対してすっかり耐性を身につけてしまった頃のこと。正確には阿木野ビビのパンティを彼女の部屋から戦利品として持ち出してきてから九日後のことだった。

「おい長谷川!今週の日曜空いてるか?」

 友人の滝川隆二が明らかに興奮しているのが電話の向こうからでもわかる。しかし、滝川が興奮すると、なぜか長谷川はその分だけ冷めてしまうという癖があった。

「いや、……別に何もないけど」

「いやいやいやいや長谷川さー、そうやって気取ってても無駄だぞ。実はさ、また四人で会わないかって岸辺から連絡あってさ。さっき阿木野さんに声かけて了解もらったって!今度は間違いないって!」

 以前四人で遊びに行こうとした時には、岸辺薫子がいきなり阿木野ビビを連れ出したことが問題を引き起こし、結局どこにも行けなくなってしまった。そしてその失敗を踏まえ、「次に四人で出かける時には、ちゃんとお互いの予定を確認しよう」という話になっていた。当たり前といえばそれまでの話なのだが、そういう当たり前は案外ちゃんと実行されないことも多い。一度つまづくと二の足を踏むことが案外多いからだ。

 四人にとってのその次はいつまで経っても訪れなかった。すでに二ヶ月以上経ってしまっていたこともあり、長谷川秀樹は「この話は結局このまま有耶無耶になるんだろうな」と思っていた。阿木野ビビにちゃんと会いたいという想いは強かったが、一方では"会わなくても会えている"こともあり、心に余裕があったのだ。そもそもこれは運命なのだから、そのうち必ずチャンスがやってくる。そういう思いもあった。

 それだけに、滝川からのこの知らせは思いがけないものとなった。

「もちろん来るよな?阿木野さんめっちゃ美人だし」

「よせよ」

「ってかさ、ぶっちゃけ今回は前回の謝罪の意味でオーケーしたそうなんだけど、でもさ、ならこれってすげーチャンスじゃね?」

「は?」

「は?じゃねえよ。これはお前にとってのチャンスだぞって俺は言ってんの!わかる?」

「わかるよ」

「いや、わかってねーだろ?謝罪ってことはだ、負い目があるってことだ。で、負い目がるってことは、これは大きなアドバンテージなんだよ。相手は『償わないといけない』って思ってるんだから。ましてやお前はイケメンだ。ってことはだ、これはうまくいけば阿木野さんと付き合えるってことなんだぞ」

「……まあいろいろと論理が飛躍してる気がするけど、でもそれはそうだろうな」

 長谷川秀樹はチャンスをじっと待つタイプだ。そして実は滝川に言われるまでもなく、これは大きなチャンスだと感じていた。何より長谷川秀樹にはしっかりとした情報がある。「阿木野ビビには彼氏がいない」ことがわかっていたし、実は性に対して興味津々であることもわかっていた。プライベートの塊である彼女の部屋の中を何度も見ているのだから間違いないのだ。とはいえ、さすがに彼女の好みのタイプまでは分からないが、捻くれているならともかく、イケメンなんて心底嫌いだ!などというような女性などそうはいないだろう。

 あれこれ考えても仕方がない。それに滝川の推理も的確だと思える。

「正直言うと、付き合う云々はともかくとして、僕も阿木野さんには会いたいし」

「よし、なら決まりだな!じゃあまた俺、親父から車借りるわ!」

 滝川隆二は兼業農家の長男で、こういうことにはソツがない。色々と調達するのはお手のものなのだ。ちなみに、ド派手な赤の車は滝川の父の好みで、代々の車は赤で統一されているらしい。

「ところでどこに行くんだ?」と長谷川秀樹。

「決まってんだろ。秋の海!」と滝川。

 秋の海と阿木野ビビの語感は似ているが、それを狙っていないのはわかっている。滝川はそういうタイプではないのだ。


 当日の朝。

 出かける長谷川秀樹を追うように、珍しく妹のルイが見送りに出てきた。そして長谷川秀樹をじーっと見つめると一言。

「合コンなの?」

「は?」

「頑張れ兄貴」

 抑揚のない応援をしてそのまま去っていく。

 ……と、長谷川秀樹が玄関の扉を開いた後で、後ろから声がした。

「けど兄貴さ……」

「……なんだ?」

「いや、なんでもない。変なことしないでね」

「変なことってなんだよ?」

「兄貴は見た目と中身が違うんだからさ」

「どういう意味だよ」

「まんまそういう意味よ」

 長谷川秀樹はこの日のために珍しく服を買っていた。目敏い妹はそれに気付いたのだろう。普段は着ないようなこざっぱりした服装は、店員に聞いて選んだものだから、いつもの野暮ったさとは違うのだ。とはいえ長谷川秀樹にはファッションはうまく説明できない。ただ、ジャケットなどというものは確かに普段は着ないものなので、これだけでもいつもの長谷川秀樹ではないとすぐにわかる。その証拠に、滝川もすぐに気づいた。

「おいおいおいおいおい」

「なんだよ」

「なんだよその格好」

「悪いか?」

「いや、ってか髪もいじっただろ?」

「いや、髪は何もしてない」

「マジか?」

 滝川の彼女である岸辺薫子もすぐ突っ込んだ。

「ちょっと長谷川さんイメージ違う」

「そうですか?」

「ようやく自分のイケメンぶりに気付いたって感じ!」

「はい?」

「すっごく似合ってるわよってこと!」

「おいおい岸辺さぁ、なんだよそれ!俺だって今日はおしゃれしてきたんだぞ!俺も褒めろよ」

「りゅうくんてば褒めてほしいの?その格好で?」

「いやいやいやいやちょっと待て。それってなかなかに傷つく発言だぞ」

「えへへ。ごめんね」

「いや、別にいいんだけどさ」

 三人でワイワイやりながら車を走らせ、やがて滝川が目当てのアパート前で車を停めると、岸辺薫子が素早く車から降りて足速にかけていく。長谷川秀樹が二週間ほど前に来た時とあまり変わっていない風景だが、その時とは違って今は天気が下り坂で、午前中なのにもかかわらず薄暗い。

「まあでも天気を除けば何も変わってないな」

 長谷川秀樹はぼんやりとそう思うが、もちろん声には出さない。あくまでも知らない風景なのだ。こんなアパートには来たことなどないのだ。正面入り口の監視カメラを何気なく見ていると、やがてアパートの正面入り口から岸部薫子が出てきた。そしてその後から……

 阿木野ビビがやってきた。

 長谷川秀樹にとってそれは待ちに待った瞬間。そんな想いはおくびにも出さないが、しかし食い入るように見てしまう。が、視線が合いそうになった途端、長谷川秀樹は思わず目を伏せてしまった。

 意識しすぎたためか、ちゃんと見ることができない。相手はあまりにも眩し過ぎたのだ。けれど"チラ見"であっても、阿木野ビビの美貌は目に強烈に焼きついた。前回の他所行きの派手さとは明らかに違う紺のパーカーとジーンズ。前回のように挙動不審な不安顔ではなく、多少ぎこちなさはあるけど輝くような笑顔。

 よかった。笑ってる。

 阿木野ビビは車に乗ると、かしこまって挨拶をした。妙にカクカクした動きは下手をすれば挙動不審に見えなくもないが、それは心から謝ってるからだ。

「そんなに緊張しないでいいのよ」

 すかさず岸辺がフォロー。

「みんなもう何にも気にしてないんだから。ね!」

「そうそう。阿木野さん気にしないでね。前回は岸辺が悪かったんだし」と滝川。

「なによー私のせいだって言うの?」

「あーもう面倒だから誰のせいでもないよ。なー長谷川!」

「ああ、もちろん」

 長谷川秀樹は自分の心臓のはちきれんばかりの鼓動に困惑していた。誰かに聞かれるんじゃないか?というレベルでどくどくと音が聞こえるのだ。それどころか、顔も信じられないくらいに熱い。鼓動も熱も抑えようにも抑えることができない。もちろんそれはすぐにバレた。

「あれー長谷川ー、お前顔赤くね?」

「本当だ。長谷川さんどうしたの?」

「お前さー緊張してるだろ?阿木野さん、こいつ緊張してますよ!けど、単なるシャイだから気にしないでね」

 長谷川秀樹はそれを聞いてむしろ安堵した。阿木野ビビの部屋、下着、洗濯物、レディコミ、そしてパンティ。いろいろなものが一気に頭に浮かび上がり、そして目の前には本人がいる。本人を目の前にしても僕は冷静でいられる!などと思ってはいたが、実際には無理だった。これは自分の弱さなのか、それとも当たり前のことなのか。

「いやぁ」

 長谷川秀樹は全てをごまかすかのように、慣れない照れ笑いをした。いかにもぎこちないがどうしようもない。これが現状できることの精一杯だ。

「気合い入れてコーディネートまでしてきたんだから、そりゃあ緊張もするよな」滝川は容赦なかった。

「阿木野さんどうですか、長谷川のこの格好、ってか、こいつすごくかっこいいでしょ?けど中身はこういう奴なんですよ」

「はぁ、その……」

「ちょっとりゅうくん、地味にビビちゃんと長谷川さんを追い込まないで!二人ともすごくシャイなんだから!」

 車内は前回とは打って変わって和やかで楽しい。天気こそ前回と同様にはっきりしないものだったが、若い四人にはぐずついた天候など関係などなかった。さまざまな会話が飛び交い、皆笑い合った。

 とはいえ、長谷川秀樹は心の底からは笑っていない。

 それどころか、違う意味での緊張が続いていた。

 ……バレているわけがない。けどひょっとしたらバレているかもしれない。

 そういう思いが頭から消えない。冷静に考えるまでもなく自分は隣の美女の部屋に「勝手に入っている」。そして「何か致命的なミスを犯している」のかもしれない。ひょっとしたら既に「警察に通報している」のかもしれない。そういう疑心暗鬼が長谷川秀樹の意識にこびりついてしまって離れない。

 これまでのところ、隣に座る阿木野ビビからは長谷川秀樹にとって致命傷となるような会話は全く出てこなかった。それどころか、車の後部座席で隣同士に座っているにも関わらず、二人の間には見えない壁があるかのようであり、直接の会話は全くなかった。

 それでも長谷川秀樹は次第に落ち着きを取り戻しつつあった。

 彼女は、おそらくではあるが、全く気づいてないのではないか……

 なんの確証もなかった。それでも長谷川秀樹はそう考えた。今のところは心配する必要などこれっぽっちもない。そう判断していいのではないか。

 疑心暗鬼は完全には消えない。

 しかしこれまでのところは何も起こりそうにない。

 全ては杞憂に過ぎないのかもしれない。

 そんな気持ちにすらなった。

 そうなのだ。杞憂なのだ。むしろこれは運命。何事もないのではなく、何があっても大丈夫、なのかもしれないのだ。

 ひょっとしたら、このはちきれんばかりの胸の膨らみも、いずれは自分のものになるのかもしれないのだ!

 そう思うと、長谷川秀樹は違う意味でさらに緊張した。

「おい長谷川ー、お前さぁ、さっきから阿木野さんの胸ばかり見てるだろ!」

 運転しているはずの滝川は相変わらず鋭い。

「こっからだってお前のことは見えるんだぞ!」

 長谷川が前方のバックミラーを見ると、鏡の中で滝川はニヤニヤしている。まさに「相手をからかっている」時のにやつき顔だ。

「いや別に」

 滝川のテンションと長谷川秀樹のテンションはいつも反比例。条件反射でそうなるのだが、長谷川秀樹は今回もいつものごとくクールに言い放った。

「僕が見てたのはパーカー。こっちでも良かったなぁってね。確かにちょっと服に気合い入れすぎたなぁってね」

「なんだ。やっぱりお前もそう思ってたんだ。服に気合い入れすぎたって」滝川が同意。

「もうちょっと普段着っぽい方が良かったかもね。でも長谷川さんそのジャケットすっごく似合ってるわよ」岸辺薫子は後部座席の長谷川にアピールするように両手でピースした。

「そうですね。似合ってますよ」と阿木野ビビも賛同。

「そうかな。けどこれ、なんか慣れなくて。車内が暑い気もするし」

「暑くないわよ。外だって天気悪いし。けど長谷川さんは暑いかもしれないわね。さっきなんて顔がめっちゃ赤かったし」

「阿木野さんが来たから緊張したんだろ」

「けどさ、なんかさ、二人はすごくお似合いな感じよね。ねぇ、ビビちゃんはどう思う?」

「え、私は……」狼狽える阿木野ビビ。

「岸辺さー、そんなにすぐに答えを求めんなよ。それよか阿木野さんは今日はなんにも用事ないんですよね?」

「え、あ、はい」

「じゃあ時間はあるんだし、とにかくみんなで楽しもうよ」

「は、はい」

 長谷川秀樹は隣に座る阿木野ビビをちら見した。

 今日はどんな下着を身につけているのだろう?

 ついうっかりそう思った。

 途端、下半身がいきなり充血した。まさに条件反射。さらに間の悪いことに"戦利品"を思い出してしまった。

 もはや匂いもしないあのパンティ。

 しかし、今こうして隣に座る阿木野ビビのほのかに漂ういい匂いときたら!

 阿木野ビビの部屋にはこれといって香水があるわけではなかった。それどころか化粧品自体が目のつくところにはなかった。彼女は化粧をしてるんだろうか?と訝しんだぐらいなのだ。それなのにこの匂いときたら……

 長谷川秀樹は洗濯機から取り出した阿木野ビビのパンティを思い出した。

 もうだめだ……

 下半身はすでにコンクリートの強度と化していた。自分でも驚くくらいの強度だ。

 こうなるともはや自分ではコントロールできない。そう簡単には元に戻らない。幸いまだ誰も気付いてはいないようだが……

 バレたら最悪だ

 しかし、そんな思いとは裏腹に、下半身はもうどうにもならなかった。むしろどうにかしようと思えば思うほど硬くなるのを抑えることができない。ジャケットのポケットに両手を突っ込み、その格好でさりげなく下半身を覆っているが、いかにも不自然な体勢だ。しかしそれをどうすることもできない。

 どうかツッコミが入りませんように!

「長谷川、お前さー」

 いきなりの滝川。にやついていることは声でわかる。

「なんか今日はずっと静かだな。さてはお前……」

 堅い逸物をどうにもできない。早くおさまれ!どうしてカチカチなんだよー!

「何、どうしたの?」とすかさず岸辺薫子。

「まさか長谷川さんってばまだキンチョーしてるの?なんかはーはーしてるみたいだし」

「いやいや。そうじゃなくて」勿体ぶる滝川。「じゃあ何?どうしたの?長谷川さんってばさっきは顔を真っ赤にしてたけど……」

「確かにさっきは顔真っ赤にして緊張してた。けど、実はこいつ、今も緊張してんだよ。俺にはわかるぞ長谷川ー!」と滝川。特撮ヒーローものに出てくる悪の首領のような大仰さだ。

「えーほんと?ほんとなの?」岸辺はいかにも悪の首領の手下のような追従ぶりを発揮。

「俺にはわかるぞ!だよな、長谷川ぁ」

 長谷川秀樹は無言にならざるを得ない。返答次第によっては大変なことになるからだ。それに今でこそ無理やり抑え込んでいる呼吸がさらに怪しくなってしまうかもしれない。

 しばし車内は沈黙。

 滝川はにやつき、岸辺薫子は滝川と長谷川秀樹の顔を見比べ、長谷川秀樹はどこを見るでもなく無表情。やがて滝川がおもむろに口を開いた。

「……実はこいつね」

「うんうん」

「……けど、いいのかなぁこれ言っても」

「なんなの?ここでは言えないことなの?」

「阿木野さんにも関わることだからね」

「えーそうなのぉ?ビビちゃんわかる?あたしはなんだかわからないけど」

 それまで車窓を眺めてぼんやりしていた阿木野ビビはキョトンとした顔で岸辺薫子を見つめた。 

「?」

「ほら、ビビちゃんもわからないって顔してるじゃない。りゅうくん勿体ぶらないで教えてよー。なんなの、何がどうしたの?」

「あーごめんごめん。ちょっと演技入ってた。実は長谷川はさー、阿木野さんがまた逃げちゃうんじゃないかって、それで緊張してるんだ。なー長谷川、そうだよな!」

「えーそうなの、長谷川さん?」

「え、いや、その……」

「そういうやつなんだよ。実はこいつまだ疑ってるんだよ。阿木野さんがまたいなくなったりしないかって。ダメだぞ長谷川ーこんな素敵な阿木野さんを疑ったりしちゃあ」

「そうなの?ちょっと長谷川さんたらそれは酷いわよ!ビビちゃんはさっきちゃんと謝ったじゃない。それにあの時は私も悪かったんだから。いきなりビビちゃんの部屋に行って強引に呼び出したりしたのは私なんだし」

「確かにあれはびっくりしたわ」

 阿木野ビビは車に乗ってから初めてしっかりした口調になった。

「私すっかりパニックになっちゃったもん」

 岸辺薫子に「もう!」って顔をすると、すぐに笑う。いつものことだけどね、やれやれ、といった感じだ。阿木野ビビと岸辺薫子は仲がいいのだ。

「ビビちゃんごめんね。けど、そうでもしないとあんたはこういうのに出てこないでしょ?」

「それはそうだけど」

「まあいいじゃないか。その話はもう済んだことなんだし」と滝川。

「何よ、元はと言えば、りゅうくんが蒸し返したんでしょ?」

「あれ、そうだっけ?」

「そうよ、ちゃんと謝ってよね。長谷川さんもね!」

「え、僕?」

「疑ってたんでしょ?」

「いや、別に……」

「何よ、男らしくないわね」

 この時代、まだこの種の理不尽な理屈はまかり通っていた。けれど、この理不尽さは一方ではある種の潤滑用になっていたことも否めない。男女の間に無駄に角が立たないように、何事もなく丸く収めるために、あえて男性が泥をかぶる。これを「男らしい」と称していたのだ。もちろん女性陣だってそれが理不尽であることはわかっていた。だからこそあえて泥をかぶる男性を立ててもいた。単純に権利だ平等だという話ではなく、役割分担のようなもので、お互いに役をしっかりと演じること。それは男女間での大事な作法であり、礼儀でもあったのだ。

 もちろん、過度な役割分担や、役割の押し付けは嫌われる。その匙加減こそがそれぞれの能力であり、それぞれの性が持つ「らしさ」であり作法なのだ。お互いを立てる礼儀なのだ。

「阿木野さん、変に思ったのならごめんね」

 長谷川秀樹は謝った。しかし、同時にホッとしてもいた。

 あれほどまでに硬かったものがすっかり収まったのだ。この一連のやり取りの中で興奮が冷めたのだ。阿木野ビビに変な思いをさせるのは絶対に避けたかった。なぜなら彼女は将来の僕の嫁なのだから。その思いが興奮を完全に抑え込んだのだ。

 阿木野ビビは長谷川秀樹のそんなを思いを知ってか知らずか、にっこり笑顔だ。

「私、別になんとも思ってませんよ。それより私が疑われるような感じだったらごめんなさい。今日はちゃんと最後までいますから安心してくださいね」

「よかったな。長谷川ー」

「……」

 長谷川秀樹は無言。けど、笑顔なのは車内に十分伝わった。

「やっぱりさー」と滝川。

「お前やっぱりずーっと緊張してるだろ。さっきから口数少なすぎだって」

「……」

「だからしゃべれって!」

 滝川も岸辺も、そして阿木野ビビも笑った。

 長谷川秀樹も笑顔だ。

 外はポツポツと雨が降ってきていたが、車内は陽気だ。

 なんだかんだで今日は楽しい一日になりそうだとみんなが思った。

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