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長谷川秀樹が腕時計を見ると、現在の時刻は午前九時七分。阿木野ビビの部屋に入ってからすでに三十分経過していることを確認した。
以前と同じペースだ。問題ない。
納得すると、今度は寝室として使われている部屋に入る。阿木野ビビの部屋は2DKで一人で住むには申し分のない広さがある。二部屋のうち一部屋は居間、そしてもう一部屋は寝室としている使っているようで、寝室は畳敷き、布団は押し入れに入れられていた。押し入れを開けて布団に触れるとかなり冷たくなっている。今日は早起きだったのだろう。ついでに押し入れの中の写真も撮るが、布団は出さない。本来であれば布団を敷いてそこに寝たいのだが、自分の体臭が混ざることを考えると、どうしてもそれはできないことだった。自分が臭いのかどうか、長谷川秀樹には判断がつかない。それに意識したところで自分の体臭などわからない。わからないことを元に何かを判断するのは危険なことなのだ。
押し入れの中の写真を撮ると、一旦閉めて反対側を開ける。そこにはカラーボックスが縦三段横二段に並べられていた。少しだけしっかり閉まってないカラーボックスがあるが、そこには下着が入っていることを長谷川秀樹は知っている。しかしあえてまだ開けない。物事には順序ってものがあるだろう。そう自分に言い聞かせつつ、下側のカラーボックスから順に開けていくのがいつものパターンなのだ。
右側一番下のカラーボックスにはズボン類が入っている。ズボン、とはいうが、長谷川秀樹には正確には分からない。というのも、女性の衣類の種類も名前も全く分からないからだ。最近ではズボンではなくパンツと言ったりもするようだが、パンツってのはつまりはパンティというのが恥ずかしいからパンツと言うのではないか?あるいはパンツの様に短いからそう言うのではないか?長谷川秀樹の女性の衣類に関する知識は万事が万事この程度のものでしかない。
左側一番下のカラーボックスにはジーンズが畳まれて入っているが、さすがにジーンズはわかる。しかし、なぜこんなにもジーンズだけがたくさん入っているのかは分からない。長谷川秀樹もジーンズは持っているが、二着だけだ。ちなみに言うと「チノパン」という言葉もつい最近覚えたばかりの言葉だ。
左右二段目のカラーボックスにはシャツが入っていた。右側のTシャツはわかる。しかし左側の肩の部分が紐のやつは分からない。少なくともこんなのを着てる女性は見たことがないが、けど一方では確かにみんな着てるような気もする。女性の服はなぜこんなにもいろいろな種類があるのか、長谷川秀樹には全く理解できない。妹に聞けばいいんだろうなぁ。しかしこんなことは聞けないこともまた事実だ。
そうこうしながら左右下から順にカラーボックスを開けていき、そしていよいよ残す左右上の段となった。そこにはブラジャーとパンティがそれぞれに左右に分かれて入っていることを長谷川秀樹はすでに知っていた。そしていつもこのあたりで自分の呼吸が荒くなることもわかっていた。
しかしわかってはいてもそれを制御することはできない。そして制御することができないのは呼吸だけではなかった。
下半身がグッと熱くなるのだ。
思わず前屈みになるのを堪えつつ、長谷川秀樹は左右上の段のカラーボックスの右側からゆっくり開けた。そこには色とりどりのブラジャーが丁寧に並べられてきちんと収納されている。ピンクが多いが、黒や紫もある。ボックスの一番奥には真紅のブラジャーもあった。ボックス内からは心なしかいい匂いがして、長谷川秀樹はさらに息遣いが荒くなったが、フラッと手が出るのをどうにか自制し、自分に言い聞かせる。
「まずは写真……」
ブラジャーを引き出すのは別にいい。これまでもやってる。しかし、元に戻すためには写真を撮っておくことが肝心だ。そうしないとちゃんと戻せない。
携帯電話のカメラで写真を撮りつつ、長谷川秀樹は気がついた。というのも、丁寧に収納されているブラジャーの一部に隙間があったのだ。写真を撮り終わるとすぐに過去の写真を見てみる。あれこれとしばらく見比べてから長谷川秀樹は結論づけた。
「今日は白にピンクのレースが入ったブラジャーを付けたんだな」
そのブラジャーだけがなかったのだ。最も、単に洗濯しているだけのことかもしれない。
ブラジャーに満足すると、今度は左側のボックスを開ける。中にはコンパクトに折り畳まれたパンティがこれまた丁寧に並べられていた。
室内には呼吸音が響き、股間もものすごいことになっているが、幸いなことに今この室内には一人しかいない。だから長谷川秀樹は自分の呼吸音など全く気にしない。やはり丁寧に写真を撮ると、またしても長谷川秀樹は気づいた。
「これは新しいな……」
それは大胆にも、ウエストゴムの部分が紐状になっており、布面積がものすごく少ない、ピンクのパンティだった。長谷川秀樹はこれまでの経験から、もう一度ブラのボックスを見る。すると、明らかにペアと思えるブラを発見した。ブラとパンティをそれぞれ丁寧にボックスから出すと、畳の上に広げてみる。
薄いピンクの生地に明るいピンクで花柄があしらわれているのがなんとも艶やかで、長谷川秀樹は思わず「うぅっ」と唸った。しかし、誰に見せるでもないだろうに、これほどまでに凝った下着をつけてるのかぁ。ああ、この下着を身につけているところを直に見たい……
想像するだけで、長谷川秀樹は視界不良になり、立ちくらみがした。もう辛抱たまらん!と思うものの、お楽しみはまだこれから。ここで暴発するわけにはいかないのだ。
長谷川秀樹はなおも、自分の好みのパンティやブラをボックスから出しては並べ、そしてその都度写真を撮る。撮影しながら阿木野ビビの肢体を妄想した。
大きすぎるにもかかわらず品があってツンとした乳房。張りと弾力があって若々しくプルンと揺れる尻。あんな美人は滅多にいるものじゃあないし簡単に出会えるものでもない。つまり、偶然ではなかったのだ。必然だったのだ。大学校内に落ちていた鍵だって、そのこと自体は偶然に違いないのだろうが、それでもやはり必然だったとしか思えない。そう、これは運命なのだ。今にこのブラジャーもパンティも堂々と見ることができる様になる。それどころか、中身も見ることができるようになるだろう。今はただそのための予習にすぎないのだ。
長谷川秀樹は何かを思いつき、そして和室を出た。キッチンの隣にあるバスルームに向かうと、脱衣所に置いてある洗濯機の前に行き、そして蓋を開ける。
思った通り、中には脱いだ衣類や下着が入れてあった。今朝脱いだのか、それとも昨夜脱いだのかは分からない。とりあえず衣類を出してみると、紺色の無地のTシャツと、これまた無地の白いTシャツ。薄い色のジーンズ。可愛い花柄の靴下。そして紺色の生地に刺繍の入ったパンティ。ブラジャーは洗濯ネットに入っていたが、明らかにパンティとワンセットものだ。
無地の白いTシャツとパンティはまだほんのりと暖かい。よく目を凝らすと、シミのようなものもうっすらと見える。長谷川秀樹は思わず匂いを嗅いでしまった。
……これは!
もうだめだ!
もう!
長谷川秀樹はパンティを持ち出すと、そのままトイレに駆け込んだ。トイレのドアは閉めることなく、あとは自分の思いに正直になるだけだ。
はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ……
う……うぅぅうう……
……
……
ふう……
あまりにも興奮しすぎたためか、かなり盛大に飛び散り、あちこちに散らばってしまった。しかし気にはしない。放心状態のまま、自分の荒い息が収まるのを待った。パンティ越しの手でしごいたため、パンティにも液はしっかりと付いてしまったが、なぁに、これは洗濯物。洗濯機の中に入れたものをわざわざまた洗濯機から取り出すような間抜けな人などいないのだから、また適当に放り込んでおけばいいのだ。
徐々に息が治まっていき、そして賢者タイムが始まる……とはならず、その後も若さと勢いで、今度はブラジャーを利用してトイレにこもる。
若さの特権。一度程度では賢者タイムはやってこない。むしろ二度三度行うことでようやく賢者タイムがやってくるのであって、長谷川秀樹は誰もいないこの時間と空間を思う存分自分のために費やした。
「ふう」
ある程度時間が過ぎ、ひと段落すると、ようやく賢者タイム。長谷川秀樹はブラジャーとパンティを洗濯機の中に入れ直し、その上からTシャツをかけておいた。こうしておけば、仮にチラッと中を覗いても汚れたブラジャーとパンティは見えないだろう。そもそも洗濯機の中の洗濯物をじっくり見る人など誰もいない。ましてや「どれどれどのくらい汚れているのかな?」などと言ってかき回すような人は地球上のどこにもいないだろう。
よく見ると、自分のベージュのチノパンに汁がついていることに気づいたが、これはそのうち乾くだろうと気にもかけなかった。それよりも大事なことはトイレ。長谷川秀樹はトイレクイックルでトイレを丁寧に磨くように洗った。先ほど撮影した写真を確認しながらなので時間はかかるが、安全第一なので時間は気にしない。ついでにゴミ箱を覗くと、使用済みの生理用品は入ってなかった。
「ちょっと残念……」
思わず声が出る。自分がいかにも変態っぽく感じられて、長谷川秀樹はふふっと笑った。さすがに使用済みの生理用品まで漁るのはどうかしていると思ったのだ。
トイレ掃除をしてクイックルワイパーを流し、念のため消臭剤を撒く。これで完璧だ。
トイレを出ると、先ほどの和室に戻る。畳に並べて置いてあるブラとパンティがいささか滑稽に思えた。確かに素晴らしいものなのだが、今は賢者タイム。冷静なのだ。
長谷川秀樹は写真を見ながら下着を元に戻した。現状復帰。今はそれが最優先なのだ。丁寧にたたみ、丁寧にしまい、そして押し入れもちゃんと閉める。指紋に関しては、ポケットに入れて持ってきた眼鏡拭きを使い丁寧に拭いたから問題ない。帰る際にもあちこち拭こう……
あ!
長谷川秀樹は一度閉めた押し入れをまた開けた。カラーボックスが少し空いていたことを思い出したのだ。確か下着……ブラジャーが入っていたボックスが少し空いていたはずだ。一瞬躊躇したが、あらかじめ撮っておいた写真通りに整えるとまた押し入れを閉める。
全てを終えると、なんだか一仕事終わった気分になった。みょうに清々しく、そして素晴らしい満足感。出るものを出すと、賢者タイムと共に満足感も得られる。
今日は良い日だと思う。
長谷川秀樹はふと時間が気になった。室内にある大きな鏡の脇に置いてある置き時計を見ると、十時四十一分過ぎ。阿木野ビビの部屋に入ってからすでに二時間半以上が経過している計算になる。
昼までには帰るつもりでいたから、これは問題ない。そして、ということは、時間はまだ少しあるということを意味している。
長谷川秀樹は考えた。このまま帰るか、あるいはもう少し残るか。
実は金銭に関しては全く興味がなかったので、例えば銀行の通帳がどこにあるのか知らないし、アクセサリーの類があるのかないのかも知らなかった。興味の対象はあくまでも阿木野ビビの体、つまり性的な部分なのであって、他はどうでもよかったのだ。
あの素敵な肉体を自分の思うがままに弄びたい。
今の長谷川秀樹にとってはそれが全てなのだ。
それゆえ、今のこの賢者タイムの状態では何をすれば良いのかわからなかった。手持ち無沙汰になってしまったのだ。
さて、残った時間で何をしようか……
アルバムなんかがあればいいのだが、どこにも見当たらなかった。もしかしたらまだ開けて中を見ていないところがどこかにあるのかもしれないが、これまでの"訪問"で、一応一通り全部の引き出しは開けて見ている。なのにアルバム同様に通帳やアクセサリーの類の記憶がないということは、最初からその手のものはこの部屋にはないのかもしれない。実は小遣い制でお金の管理は親がしているのなら通帳なんて確かにないだろうし、大学生なのでアクセサリーなんてものもまだ持ってないのかもしれない。そもそも化粧品の類が少ししかないのだから、その手のものには興味がないのかもしれない。
……とはいえ、あれもないこれもない何もないでは時間が勿体無いし、なんだか寂しい気もする……
そんなことを思いながらぼんやりと適当にあれこれ見ていると、本棚として使っているカラーボックスの中に、前回見つけたレディコミがまだちゃんと挟まっていることに気づいた。
この本!
まだあったのか!
割とボロボロになっているのにまだ捨てられないんだな!
長谷川秀樹はまだ賢者タイムの最中であるはずなのに、またも呼吸音が荒くなってきた。当然股間も熱くなる。こうなるともうどうすることもできない。
阿木野ビビがレディコミを読んでいたのはまさかの驚きだったが、彼女だって年頃の女性。性に目覚めていてもおかしくはない。しかも、エスエム特集と銘打たれたこの雑誌を買ったということは、阿木野ビビはそっち系に興味があるということで、前回それを知ったとき、長谷川秀樹はこの雑誌で二度も抜いてしまっていた。
……そうか、まだ捨ててないということは、やっぱり彼女はそういうのが好きなんだ……
長谷川秀樹は昂る感情を抑えることができなくなった。しかし、同時に後悔もした。
洗濯機の中の下着を使ってしまっていた!どうせならこの雑誌と一緒に使うべきだった!
濡れてベトベトになっているパンティやブラジャーはさすがにもう使えない。悩んだ挙句、長谷川秀樹はもう一度和室に向かうと、押し入れを開け、カラーボックスの下着を物色した。そしてその中から一枚のパンティを選ぶ。
レディコミとパンティを持っただけで鼓動が最高潮になるが、はやる心を抑えつつ、今回は浴室に向かった。想像通り、浴室は濡れており、使った形跡があった。ここなら思う存分飛ばしても問題ない。終わった後でシャワーで軽く流せば良いのだ。そして珍しくも長谷川秀樹は賭けに出た。
おそらくはあまり使用頻度が少ないであろう、ボックスの一番後ろの方にあるパンティ、白い地味なパンティをあえて選んだのだ。長谷川秀樹は決めていた。このパンティには対となるブラがない。そのようなパンティは何枚かあるが、そのうちの一枚が無くなってもおそらくは気づかないのではないか。
これは確かに賭けだ。しかし勝つ確率は高い!
自分に言い聞かせるようにして頷くと、長谷川秀樹は衣服と靴下を脱ぎ、レディコミとパンティを持って浴槽内に入る。カチカチの陰茎を包み込むようにパンティで覆うと、鼓動がはち切れんばかりの長谷川秀樹はレディコミを見つつ自分の世界に没頭した。
う、ううぅぅううう……
やがてことが済むと、さすがにどっと疲れが出た。やり切った感があった。パンティにも浴室にも盛大に飛び散ったが、もちろんシャワーで流せば良い。しかし、今は少しだけ休みたい。頭がぼんやりするが、じきに今日二度目の賢者タイムに突入するだろう。そうなってから考えれば良い。
激しい呼吸が徐々に落ち着き、そして頭もクリアになっていくに従い、長谷川秀樹は撤収を考え始めた。正午まではこの部屋を出たい。汚れた浴室を丁寧に洗い、汚れたパンティも丁寧に洗った。このパンティは持って帰るつもりだったので、干すことはせず、しっかり絞ってから畳むと、キッチンにある透明のビニール袋をもらって中に入れ、そしてズボンのポケットにしまう。大丈夫。これまでは完璧だったのだ。だから今回も見つかるはずがない。バレるはずもない。
レディコミをもとあった場所にしまうと、時計は十一時二十九分。
いい時間だと長谷川秀樹は思った。撤収の時間だ。
再確認のためにもう一度室内を見て回る。忘れ物はないか。うっかりミスはないか。トイレや浴室に余計な汁が残ってないか。
そうだ、カレンダー!
カレンダーには本人の字であれこれ予定が書かれていた。今日の日付を見るとハートマークと共に「支笏湖」と書かれていた。やはり支笏湖に出かけたのだ。来月、再来月とカレンダーを捲りながら写真に収める。これで予定もバッチリ確認できるし、次はいつ"訪問"するか判断もできる。
長谷川秀樹は軽く頷いた。もうこれで終わり。ベランダに置いていた靴を玄関に運び、部屋を出る準備をする。
一番緊張する場面だ。
ドアを開けた瞬間に誰かが居たらまずい。覗き窓から外を除き、その後にゆっくりとドアを開ける。人の気配はない。ゆっくりとドアを閉めると、素早く鍵をかけた。このアパートは四階建てで、それぞれの階には階段が三箇所ある。正面入り口に隣接した階段、部屋と部屋の間にある階段、そして非常階段だ。長谷川秀樹は迷わず非常階段を使ってまずは二階まで降りた。そしてその後、今度は正面入り口に出る階段を降りる。一階まで降りると、入り口ではなく、その横にあるゴミ集積所につながる通路を通って外に出た。実はここには防犯カメラが設置されていないのだ。さらに、本来ならロックがかかっていて、住民のみが出入りできる仕様になっているこの通路が、おそらくは住民の利便性のためだろう、事実上誰でも通ることができるようになってしまっていた。内部事情さえ知っていれば誰でも通ることのできる入り口。この通路はこのアパートの住民なら誰でも知ってるはずで、だからこの通路を使う人はこのアパートの住人だと判断される。この存在のおかげで長谷川秀樹は安心してこのアパートに入り込むことができるのだ。
ゴミ集積場のすぐ横には自転車置き場があり、そこを通ると朝に通った道につながる。ここに自分の自転車を置けたらいいのだが、赤い自転車はやはり物凄く目立つ。だから自転車を使いたくても使えない。
けど、まあいいか。
というか、今日もゲームクリア!
戦利品もゲットして気分も上々!
長谷川秀樹は程よく脱力し、そして笑顔になった。イケメンである今の彼の笑顔を見たら、阿木野ビビはどう思うことだろう。
空は高かった。
日差しは強く、そして暑い。
長谷川秀樹は何をする風でもなく、笑顔を浮かべながら、ただただ道なりに歩いた。無事にアパートを出たのはいい。しかし、これからの時間をどうするか、長谷川秀樹は全く考えてなかった。
しばらくはこの高揚感を味わっていたい。性的興奮とは違う、一種の充実感に身を委ねていたい。
昼時ではあるが食欲はなかった。その分性欲が思う存分満たされている。食欲などどこかに消し飛んでしまっていた。
長谷川秀樹は家に帰りたかった。早く帰ってズボンの尻ポケットに入っている戦利品をじっくりと眺めたかった。キラキラと輝く最高の戦利品なのだ。誰にも邪魔されない自分の部屋で思う存分じっくりと眺めたいではないか。
しかしながら、このまま家に帰るわけにはいかなかった。昼食はいらないと宣言し、夕方まで帰らないと母親に言ってしまっていたからだ。いつもの自分にはハプニングもイレギュラーもないのだから、いらないものはいらないし、帰らないものは帰らない。そうしなければならない。
元々友人は数えるほどしかいないが、今はその友人とも会いたくはない。尻ポケットの戦利品がある以上、誰とも会うわけにはいかないではないか。
「天気もいいしなぁ」
長谷川秀樹は歩いた。このまま歩いて家に帰るのも悪くはない。地下鉄を使えばすぐだが、歩きなら数時間はかかるだろう。
結局、長谷川秀樹は歩き続けて札幌駅まで行くと、アニメ映画を観てから歩いて家に帰った。普段であれば面白いはずのアニメ映画も、圧倒的な現実の前にはあまりにも無力だ。そしてその圧倒的な現実である戦利品は尻ポケットの中でいやでも強力な存在感を出している。
気もそぞろのままに誰もいない家に帰ると、長谷川秀樹はすぐに自分の部屋に入ってドアを閉めた。ドアには鍵はついてないが、鍵などかけてなくても誰も入ってこないだろう。いつもそうだからだ。
安心して尻ポケットから戦利品を取り出すと、生乾きのそれは最高に魅力的に見えた。
長谷川秀樹は自分でも気づかぬままに唾を飲み込むと、すぐに自分の世界に入り込む。少しして母が買い物から帰ってくる頃には、今日三度目の賢者タイムに突入していた。
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