毬と散歩

神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)

第1話

「ゆりちゃん、おそといこうよ」

「うん、さとみちゃん」

 楽しかった。ただ、楽しかった。大好きな姉と、その息子との散歩。お昼ごはんをすまして、外へと出掛ける。

 姉は、私を決して好いてはなかった。それでも、午後の散歩だけは、同行を許してくれた。宝物のような時間だった。その時だけは、姉も私に微笑んでくれる。仲良し姉妹になれる。

 ああ、でも、残酷だ。甥は、命を落とす。そうして、簡単に、大切な時は奪われた。姉は、一室に閉じ籠る。それでも、私は、決まった時間になると、外出の用意をする。今日も、里見さとみちゃんは、迎えに来てくれない。辛い。どうして。一日でいちばん幸せなはずなのに。たまらず私は、姉の元へと駆け出していた。

「姉さま、散歩の時間です」

 しゃくり上げながら、それだけ言い切る。見ると、姉は蹲ってぬいぐるみを抱いている。甥の誕生祝いに、私が姉に贈ったものだ。姉の横でひざを折る。

「さとみちゃん、お外へ行きたいね。ね、そうしましょう。姉さま」

 まるで、私などはじめから存在しないもののごとく。姉は、反応すら示さない。姉への一方的な思慕なら、子供の頃から持ち合わせているのだ。懲りずに、毎日、誘いに出向く。見かねた両親からは、しばらく放っておけとほのめかされた。私は諦めない。里見ちゃんは、毎日、来てくれた。今こそ、甥に報いるときではないのか。諦めない。諦めてはならないのだ。

「よく連れ出してくれた」

 半年以上も経った時、義兄に声をかけられた。すぐには意味を飲み込めず、黙り込む。姉のことかと思い至った時、頬に紅が差す。

「私の手柄ではありません。全ては里見ちゃんの家族愛の賜物です」

 必死に顔の横で両手を振る。義兄は不思議そうに首を傾げる。

「それは、そうかもしれないが、実際に連れ出したのは結里ゆりちゃんだよ」

 ふっと笑い声を洩らす。

「私には友がいるからね。里見のことでは、随分、助けられたのだよ。妻には、私しか居なかったものだから、対応を間違えてはならないと、声のひとつもかけられなかった」

 ゆりちゃん。笑いかけてくれた里見ちゃん。私は悟った。

「私、姉さまに嫌われています」

 義兄は、突然の告白に面喰らう。

「でも、それで良かった。姉さまが真っ暗闇にいるとき、太陽光のように照らしてやる、そんな役回りだったのですね」

 嬉しい。嬉しい。心臓がバクバクする。涙が溢れ出して、止まらない。

「本当に、嫌われ者でよかった。嘘じゃないですよ」

 とびきりの笑顔を義兄に向けた。胸打たれたような顔をして、義兄は顔を逸らした。

「ありがとう。結里ちゃん」

「あら、お義兄さま。私は、毬ですので、跳ねるのが仕事みたいなものですのよ」

 私は笑い声を洩らす。時報が聞こえる。さあ、出掛けましょう。大好きな姉さまと。

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毬と散歩 神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ) @kamiwosakamariho

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