第17話

▫︎◇▫︎


 チュンチュンチュン………、


 耳に心地の良い音に目覚めた私は、一瞬呆然としました。だって、昨日は訓練場にいたはずです。なのに、なぜ私は今王城にいて、しかもニックの寝室にいて上半身裸のニックに、着た覚えの無い薄い夜間着で抱きつかれているのでしょうか。

 しかも、綺麗に抱きつかれて起き上がってからうんともすんとも動けません。


 コンコンコン!


「!?!?!?!?!?!?」


 ノックの音に、私は本気で焦ります。こんなのを見られたら一生の終わりです。私の楽しい楽しい司書生活とおさらばです。


「ニコラス王太子殿下、アラスター・ローゼンベルクです。失礼させていただきます。」


 入って来たのが兄であることに安心した私は、ほっと胸を撫で下ろしました。

 記憶のある最後の場面に一緒にいたアルお兄様ならば、なぜこんなことになっているのかご存知なはずですからね。


「おはようございます。っと、シャーリー、まさかニックは起きていない?」


 落ち着き払いすぎているアルお兄様を一睨みした私は、こくんと頷きました。


「シャーリー、お前は昨日の記憶があるか?」


「………アルお兄様に愚痴って、そのままぎゃん泣きしたところまでしかありません。」


 私は唇を尖らせて、水を手渡しながら聞いてくるアルお兄様に答えました。ここは虚勢を張るよりも、正直に話して事情を知る方が優先です。


「あの後、お前は発作を起こした。」


「え………。」


 私が最後に発作を起こしたのは7年前だったはずです。私の事件の後遺症として発生した発作は、ニックとは違って呼吸困難が起こったり、脈が狂ってしまっったり、全身に発疹が出てしまったり、気を失ってしまったりする類のものです。

 それも、7年前を最後になくなっていたので、後遺症として考えられていないほどのものです。


「見るからに酷い発作だった。だから、すぐにニックを呼んだ。………取り返しがつかない事態に陥らないために。」


 私は声を失いました。泣きそうなアルお兄様は久しぶりで、それでいてそこまでの発作が起こったとは俄かにも信じられなかったからです。まだ、食事に毒がまぜられていたや、睡眠薬を飲ませたと言われた方が説得力があります。


「ん、」


 ニックの身じろぎに、私はそっと彼に視線を向けました。未だに状況はよく分かりませんが、私が1度死にかけて周りに要らぬ心配をかけたということは分かりました。


「ふぁー、シャーリー?」


「おはよう、ニック。」


「!?」


 にこりと微笑んで顔にかかっていた長い銀髪を耳にかけながら挨拶をすると、がばりと抱きつかれて布団に押し倒されました。


「ニック?」


「うぅー、よかった………、本当にっ、………君を、失ってしまうんじゃないかってっ、本当に、本当に、………怖かったっ!!」


「うん、………ごめんね?」


 ニックは私の腰に抱きついてわんわん泣き始めました。品性方向完璧王太子殿下がこんなに泣き虫だって知っている女性は、王妃様を除ければ私だけです。これは私だけの特別な秘密なのです。

 そんな事実にちょっと優越感を抱いた私は、ニックの金髪をサラサラと撫でました。薄い夜間着のせいで彼の涙がちょっと、いえ、大分冷たいし、肌がダイレクトに密着して気恥ずかしいですが、たくさん心配をかけてしまっているようですので、我慢、我慢です。


 数十分後、やっとのことで泣き止んだニックの頭を撫で続けながら、私はぽつりぽつりと呟かれる昨日の出来事を聞きました。

 曰く、昨日あの後、私は魔力の暴走を起こしてなおかつ呼吸困難と不整脈を起こして、発疹を出した挙句嘔吐してしまったらしいです。

 そして、SOSで呼ばれてやってきて、そんな私を見たニックも見事に魔力を暴走させ、ローゼンベルクの訓練場は見事んみ吹き飛んでしまったらしいです。


「何が引き金になってしまったのでしょうね?」


「…………わかんない。」


 ニックはふるふると首を振りました。腰に頭が刺さって地味に痛いのですが………。


「ニックは…………。」


「シャーリー所為。」


「だよね~。」


「“だよね~”じゃ、ないっ!!」


 怒りの形相でガバッと顔を上げたニックは今までにないほどの勢いで、一気に捲し立ててくるように話し始めました。


「本当に死んじゃうんじゃないかって思ったんだよっ!?怖かったんだよっ!?いなくなるんじゃないかって、………本当に、怖かったんだよ………。」


「ごめんね。」


 普段の語彙力満載な彼はどこにいったのやら、彼はずっと怖いと言いながら震えていました。


「シャーリー、しばらくは王宮で暮らしなさい。」


「え………。」


 私はアルお兄様の言葉に、呆然としてしまいました。


「昨日のお前の暴走で8年前の事件がどこからか、いや、ある大臣の口から漏れた。」


「っ、」


 私は目を見開いてニックの頭を撫でていた手を止めました。


 漏れ、た………?

 8年前のあの事件のことが………?


「落ち着け、シャーリー。そこまで酷いことにはなっていない。ただ………。」


 過呼吸になり始めた私に、アルお兄様が必死に言い募り始めました。


「アル!それは黙っておいて!!」


 そして、何かを言おうとしたところで、ニックによるストップがかかりました。


「だが、………。」


「それだけは………。それは僕がちゃんと彼女の事を落としてからにして。」


 何か不穏なことが聞こえた気がしましたが、必死になって呼吸を落ち着けようとしている私には、全くもって耳に入りませんでした。


「そうだ、シャーリー。僕はお仕事をしばらく休めるようにしたから、君はお仕事に行ってもいいよ。」


「?」


 涙目で彼のことを見上げると、彼はゆっくりと頷きました。



「じゃあ、今日もお仕事行って良いの?」


「あぁ、今日は禁書庫に行こうか。」


「………うん。」


 はにかみながらゆっくり頷くと、彼がうぐっ!!という呻き声を漏らしてそれは反則だとかなんとか言い始めました。


「先輩も一緒に行くの?」


「………シャーリーは彼とも一緒に行きたいのかい?」


「ん?昨日お約束してたから。」


「あぁ、そうだったね。」


 少しだけ不穏な空気を放つ彼に首を傾げながら、私はゆっくりと寝台から降りました。一瞬ふらついてしまいましたが、昨日の影響でしょうか?


「アルお兄様、ニック、私の服はありますか?」


 ニックはアルお兄様の方を向きました。


「あぁ、カロリーナを呼んだから問題ないだろう。今は部屋の外に控えさせているが、呼べばすぐに来る。」


「じゃあ出勤したいので、着替えさせてください。」


「むぅ、せっかくの機会なのにシャーリーは働くの?」


 不機嫌そうな彼に、私は不敵に笑います。


「図書館司書は私にとって天職なのよ?休むなんて勿体無いじゃない!!」


「さいですか………。」


「ニック、諦めろ。シャーリーはいつもこうだ。」


「知ってるよ。」



 失礼な男性陣(アルお兄様とニック)をニックの部屋から追い出して、入れ替わりに号泣しながら入ってきたカロリーナに、私は着替えを手伝ってもらいました。


 ………どうしてこうも今日は泣き付かれるのでしょうか。

 ………ま、そりゃあ十中八九私が死にかけたからですわよね………。


「カロリーナ、私は死んでいませんわ。可愛く笑ってちょうだい。」


「はいぃ~、お嬢ざまぁ~!!」


 全くもって泣き止んでくれない彼女をぽんぽんと抱きしめたあと、有無を言わさず着替えを手渡させました。今の彼女に着替えの手伝いは不可能です。できたとしても、現在同様涙でぐっしょりです。


「シャーロットお嬢ざま、もうじわげ、ございまぜん。」


「………ひとまず鼻をかみなさい。お顔が涙でぐずぐずですわ。」


「はいぃ~。」


 ポッケに入れられていた私のハンカチを手渡すと、彼女はなんの躊躇いもなくちーんと鼻をかみました。こういう仕草まで童顔で小動物な彼女は可愛くて愛らしいのですから、本当に羨ましい限りです。


 人生は不平等だ、と吊り目で可愛げのない私が嘆きたくなった瞬間でもあります。


「シャーリー、お着替え終わった?」


「まだよ。」


 楽しくベッドサイドに座ってバスケットに入っていたフルーツを食べ始めて早5分、部屋から追い出して10分も経たないうちにうずうずとし始めたらしいニックが、待ち侘びたように扉の向こうから尋ねてきました。


「シャーロットお嬢様、アレいいんですか?」


「えぇ、いいんじゃないのですか?」


 扉の方を指差したカロリーナが、マスカットを口の中にポイッと入れながら尋ねてきました。ひとまず私は、どれから注意するべきでしょうか。立ったままフルーツを食していること?人を指差していること?それとも、食べながらおしゃべりしたこと?


「お嬢様、ここは無礼講だとおっしゃったのは他ならぬお嬢様ですよ?」


「無礼講というのは最低限マナーを守って堅苦しいことなしの場のことではなくて?」


「いいじゃないですかー!!お母さんもここにはいませんしー!!」


 クリスティーナのことを恐れているカロリーナは、満面の笑みを浮かべてくるくるとステップを踏みました。これは帰ったら報告ですね。


「シャーリー!!」


 いい加減に待てなくなったのか、声を大きくして呼びかけてきたニックに苦笑した私は、扉を開けにベッドから降りて扉の方に行きました。


「今開けるから待ってちょうだい。」


「むぅっ、遅いっ!!」


「ちょっとカロリーナとお話ししていたの。」


 扉の鍵を閉めていた有能なメイドカロリーナのお陰で、自分の寝室であるのにも関わらず、戻ることができなかったニックは、扉を開けると私を抱きしめてきました。


「………今はちょっとの間も離れたくないんだ。お願いだから、意地悪しないでくれ。」


「はいはい。」


 カロリーナの時同様にポンポンと背中を叩くと、私は彼も着替えていることに気がつきました。


 あら、ここで着替えるのではありませんでしたのね。


「じゃあ出勤しましょう?」


「僕お腹空いたんだけど………。」


「私は空いていないわ。ねぇー、カロリーナー。」


 カロリーナは思いっきり肩を震わせながら下を向きました。何が彼女のツボにハマったのでしょうか?


「ふふっ、あはは、ふふ、このためににシャーロットお嬢様はフルーツを食べたの?ふふふ、嫌がらせが、はは、幼稚すぎる。ふふふ、ははははは、」



 フルーツのあった籠の方に視線を向けたニックは、そのあとカロリーナの方を向いて、最後に私の方に視線を寄越しました。


「そうなの?」


「さぁ、どうだろうね。」


 実際のところはお腹が空いたからですが、ニックに対する嫌がらせってことにしておくのもいいですわね。まぁ、幼稚なのは否めませんが。


「はぁー、侯爵たちも来ているから、みんなで朝食にしよう。侯爵は君のことをものすっごく心配していたよ。」


「そうね。お父様とお母様が暴走しちゃわないうちに、ご挨拶にいきましょうか。」


 自然な仕草で手を差し出してくれたニックに、私は渋々手を乗せました。


「不服?」


「私はもう迷子にはならないわ。」


 小さい頃、私は1度だけ王宮内で迷子になってしまったことがありました。そしてそれ以来、彼は私が迷子にならないように必ず私の手を取るのです。

 方向音痴な幼子扱いのようで、私はこの扱いが不服です。


「これは迷子防止じゃなくて、お姫様のエスコートだよ。シャーリー。」


「分かったわよ。好きにすれば。」


 可愛げの壊滅的な私の返事に、ニックは嬉しそうに破顔しました。


「シャーリー、………どうして司書の制服姿なんだ………!?」


「え?そのまま出勤する気満々だからですよ?この格好してないと、多分お父様達は私をお仕事に行かせてくれないじゃないですか!!」


 元より私を止める気であったであろうアルお兄様は、ぐぐぐっと眉間の皺をいつもの3倍にしました。そんなことしてたら、お年を召したら皺くちゃになってしまいますよーだ。


「下は何を着ているんだ?」


「ただのワンピースですわ。」


「なら、ローブは脱げ。」


「うわー、おにいさまのいじわるー。」


 棒読みも良いところな大根演技で、セリフを言ってみると、アルお兄様は有無を言わせず圧をかけてきました。


「はいはい、脱ぎますよ。脱げば良いんでしょう。ですが、仕事には行きますからね?」


「………父上次第だ。」


 視線を逸らしたアルお兄様に、私はむぅっと唇を尖らせました。


「ニックの許可もちゃんととってるから!!」


「殿下………。」


「すまん、負けた。」


 何の勝負があったかは存じ上げませんが、私は完璧王太子たるニックに何かで勝ったようです。


「行きましょう。ニック、アルお兄様。私がお仕事に遅れてしまいますわ。」


「そうだね。」


「仕事に遅れる危機なのは俺も一緒なのだが………。」


 アルお兄様が何か愚痴ってきましたが、無視です無視。


「カロリーナ、ローブを預かっておいてくれますか?」


「承知いたしましたー!!アイアイサー!!」


「いたくご機嫌ですわね。」


 私は私の脱ぎたてローブをぎゅっと抱いてスキップしそうなまでにびっくりするくらいご機嫌なカロリーナに、じとっとした視線を寄越しました。これは何か裏がありそうです。


「シャーロットお嬢様の香り~!!」


「あぁ、………そういえば、この子はそういう子でしたわね………。」


 私の脱いだばっかりのローブに泣きじゃくったことでメイクを落としてすっぴんなのをいいことに、顔を近づけてクンクンしたカロリーナに、私は思いっきり引き攣った笑みをぴくぴくと浮かべました。


「やっぱり、その、あの子って、なんというか、そのー、………ど、独特な子だよね。」


「はっきり変態と言って良いと思うわよ。」


 せっかく言葉を濁してくれたニックに、私はピシャリとなんの躊躇いもなく言いました。事実は事実です。


 カロリーナの奇行を放って私とニックとアルお兄様は、王宮の王族専用の食堂に向けて歩き始めました。


「前から思ってたんだけれど、あの子、どうしてそばに置くの?」


「………乳姉妹だから、かしら?なんだかおっちょこちょいすぎてついつい世話を焼いちゃうのよ。」


「あぁー、なるほど。シャーリーの面倒見の良さに起因しているんだね。」


 ニックは呆れたように声を上げました。面倒見の良さで言いたら、ニックも私とトントンでしょうに。そんなふうに溜め息をつくのなんて酷いと思います。


「お2人さん、仲がいいのは結構だけれど、ひとまず今はシャキッとしようか。」


「「はーい。」」


 私とニックは食堂の扉を前にして注意してきたアルお兄様に、仲良く手慣れた雰囲気を匂わせて同時に返事をしました。やっぱり仲良し幼馴染組です。


「アラスター・ローゼンベルク、シャーロット・ローゼンベルク、」


「ニコラス・グランツライヒ、ただいま到着いたしました。」


「入れ。」


 アルお兄様とニックの名乗りに、国王陛下からのお声が帰ってきました。

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